独り旅 三日目後半-下山

十分あったまったし、体も動くようなので下山を決心した。頂上に着く苦労を知ると非常に名残惜しく、後悔を残さないよう、あらゆるところを写真に収めた。

下山の道は驚くほどやさしかった。なだらか!岩がゴツゴツしてない!
登りの道よりも明らかに整備されている。階段になっていたりして、岩はあまりなかった。筋肉痛も和らいでいて、どんどこ進むことができた。

道端に、土にまみれた白い鉱石を発見した。誰も気づいていなかったが、お宝が何かのはずみに掘り起こされたようだ。クリスタルのようにきらめいて美しい。しかし手にとるとほろほろ崩れ、するすると溶けてしまう。
どうやら、霜柱というものらしかった。幼い頃から雪に親しんだ身ではあるものの、出会えたことのなかった霜柱。本の中の存在だったから、伝説や幻の類なのではと存在を疑っていた。まさかこんなに美しいものだったとは。

反対側から人が来たり、狭い道を譲ったりするときに「おはようございます」が交わされた。挨拶のサクラではないけれど、するたびに気分がよくなっていくのねあれって!元気になる。挨拶ってすごいなあ。

反対側からグループがやって来て、挨拶ついでに「あとどのくらいで山頂ですか」と聞くので「あともうちょっとですよ!」と返す。無意識でもうちょっと信仰を布教してしまった。でも本当にもうちょっとだと思ったんだもの。

ここから、走り去る鹿を数頭見た。

ある程度進むと、素敵な道にさしかかった。
地面は葉っぱで埋められて足にやさしい。行儀よく並んだ林から差す日差しは暖かく、心地いい。

なあんてきもちがよいのだろう。
春のくまになった気持ち。
私はくまだ。くまだから、道端で寝ていても構わないだろう。だって野生動物だもん。この道で何をしててもいいじゃない。人は通らなさそう。
私は冬眠からちょっと軽く目覚めてしまっただけだ。まだまだ寝ぼけ眼のくまは眠るぞ。うん、寝る。こんなに心地よくて、眠気があって、どうして寝ずにいられるだろう。私はふかふかした葉っぱのおふとんに寝転がった。

眠った。
どのくらい寝ていたかはわからないけれど、枯葉のやわらかさと林から漏れる太陽の暖かさは格別だった。おそらく山の澄んだ空気も上質な睡眠をもたらしたことだろう。

ふと目を開けると、知らない人の顔があった。
「よかった〜」
「どこか体調が悪いんですか?」
「大丈夫ですか?」
えっと・・・

登山に慣れていそうな中年グループが私のことを見つめていた。
あ、よくアニメとかで描写される倒れた主人公の視界ってこんなんだよな。
困った、ただ私は寝ていただけなのに。
「あ、すみません、眠くて」
「もしかしてご来光見てたんですか」
「そうなんですよ、寝てなくて……」
「そうですか〜よかった!貧血とかで倒れたのかと思いました!」
そりゃそうだわ。登山道で人が倒れてたら驚くわな。ごめんなさい。
「そうですよね、すみません、ありがとうございます!」
これ以上心配かけてはいけないのですっくと立ち上がって反対方向に進む。

「ぼくは くまのままで いたかったのに……」という絵本を思い出す。
冬眠から目覚めた熊が社会生活を営む話だったと思う。私もくまのままでいたかった、道で寝てても心配されない、気ままな野生の生活。いいなあ、少しだけ憧れる。

スマホでくまの寝床を撮っておけばよかったと思ったが、私は相変わらず春のくまなのでスマホなんて電子機器持っていないのであった。のっしのっしと山を歩く。
が、さすがの野生生物にも不安があった。歩くと動物のフンが道の中央にある。えっと、ここは下山ルートなのだろうか?枯れ葉の量も周りの植物も明らかに違う・・・?もしやケノモミチ…??あーっ私人間です!くまじゃないです!
とりあえず人間の道らしきところまで戻って人間を待つ。
人は現れない。
……現れない。

え、ここどこ???
死ぬ??こんな暖かい日の中で遭難?!わあ!!!じりじりと不安が募っていく。
そこに人の良さそうで登山に慣れていそうな方が通りかかった!救世主さま!すがるように「下山したいんですけど・・・」って聞く。

どうやら道を間違えていたらしい。ケーブルカーの阿夫利神社駅に戻る道は見逃していたようだ。途中まで一緒に歩いて、道を教えてくれた。ありがたい。
ろくにお礼も言えなかったのを後悔。

下山途中でまた先ほどの救世主が向かい側から来たので、目一杯感謝の言葉を伝えられた。ありがとうございました。しかし進むの早過ぎないですかね?さすが慣れていらっしゃる……

歩きながら、今回の旅を少し振り返った。今回は海と島と山に行ったな。孤独を求めて。だけど、結局孤独がなんなのか痛感することはなかった。残念なことに。
そういえば、これからてっとり早く孤独になりたい時はどこに行くべきだろうか。海、山、島のどれかな。どこが一番孤独にふさわしい場所なのだろう。島だけ孤島という言葉があるな。じゃあ島は孤独なのだろうか。山には孤独はないのか。海には孤独はないのか。孤山、孤海は?山にとっての孤独って?海は孤独を感じるか?んんん!なんか、面白そう!
下山中、海、山、島の立場になったり比喩表現として考えたりして、それぞれが孤独を感じうるポイントを想像してみた。
そうして、いつのまにか、ケーブルカー山頂駅のところまで降りていた。

山の案内板を見て、私が春のくまになった道は「癒し・スピリチュアルルート」であったことがわかった。スピリチュアルはともかくとして、名前の通り癒される道であったな。本来なら通らなくてもいいし、結果的に道草を食ったことになったけれど、出会えてよかった道だった。いい迷い。喜びが凝縮されたひと時だった。

店の並ぶ中、隅に座り込んで、ノートにシャーペンを走らせる。スマホは充電が切れそうで、モバイルバッテリーも死んでいた。だからノートに記す。忘れないうちに、この考えを記さねば。山、海、島、それぞれの孤独について。ノート二ページくらいを書いて、とても満足した。

お腹がすきに空いたので、売店で何かを食べようと思う。

ルーメソという謎の表記。ラーメンじゃないの?謎すぎて食べたい。

おしるこに強く惹かれたが、実家で食べることを期待し、やめた。帰省するのは明日なので、我慢もできた。正直、山頂で思ったよりお金を使ってしまったから、節約せねばならなかった。それで結局、団子を食べることにした。店内に入って、お茶とお団子をいただく。コンセントが近くにあったのでこっそりお借りする。ありがとうございます。感謝。

机に敷いてあった案内で、三つしかないケーブルカーの二番目の駅近くの寺に国宝があると知った。帰りに寄ろうかな。

お腹も満たされたので、阿夫利神社に参拝した。余裕のある人になれますように。匂い袋のお守りを買い、小さいチャームの入ったおみくじを引いた。金色の大黒天が入っていた。

再びここの景色を観るのはおそらくないと思うと名残惜しかったけれど、温泉が待っていると思って、ケーブルカーに乗った。さすがに昼なのでライトアップはしていなかったが、それでもケーブルカーからの景色は綺麗だった。

ケーブルカーで途中下車して大山寺駅。鐘があったので鳴らす。大山寺ではお坊さんが新年の言葉を唱えていた。国宝の大山不動明王を見る。
ケーブルカーに戻り、バスに乗り、JRの駅に戻った。ここら辺はよく覚えていない。バスの中で寝ていたのかもしれない。

フリーパス区間の東海大学駅にさざんかという温泉があるそうなので、行ってみる。
温泉、最高。広いし露天風呂はあるし、いいなあ。露天の樽風呂を堪能する。電気風呂がきもちいいのか悪いのかわかんなくて面白い。刺激的。テレビのない静かなサウナがあったけれど、少し喉が痛いのでやめておく。軽くのぼせなが全ての湯船を長く楽しんで、二時間くらい風呂場にいたと思う。
さて、帰るか。

今日のうちに旅の安全を祈った馴染みの神社にお礼参りをしたいと思ったが、門限に間に合わないので断念。
次の日の昼から地元に帰ることになっていた。親がとってくれた飛行機は変更不可だから、何としても乗らねばならない。
本当は一月一日の昼には家に帰っているつもりだったので、荷造りも何も済ませていない。私は本当に荷造りが苦手なんだよな。

長く電車に乗り、行きと同じところで乗り換えた。移動を線で捉えるといまは最初とぴったり同じところを通っていて、返し縫いをしてるみたいだ。
夜十二時ちょっと前に帰宅。どうやら新年のため門限がなかったらしい。なんだ、神社に寄ってこれたじゃん。

懐かしい部屋。ベット。うーん、眠いし目の前にふとんがあるとダメだ!寝たい!寝てからやればいい!荷造りしたくない!どうせ起きられるさ、今までなんとか起きれているし。二時間あれば荷造りなんて終わるし。

と、寝たのが愚かだった。
ふと目が覚めたら家を出るべき時間。今出ても空港に着く頃には離陸している!新年早々人生屈指の大寝坊。
慌てふためく私と電話先で呆れる親。予約していた飛行機は見事キャンセル!
ぐしゃぐしゃの部屋を発ちパニクりながら数万と引き換えに新しい飛行機をとる。
そうして実家に着けばインフルエンザが発覚。旅先での長いサウナが脳裏をかすめる。

孤独を求めた末に、実家の人たちに大変お世話になってしまった。
嗚呼、余裕のある人になりたいと様々な神に祈ったのはなんだったのか。

旅から何ヶ月も経った今日も今日とて余裕のある生活には程遠い。

つくることへ生かしてゆきます お花の写真をどうぞ