夢を見ると鼻が詰まるんだよね
暦の上では梅雨であるはず6月半ば。
初夏を超えるほどの暑い温度と近い太陽。
気丈に並べられた本達の間を抜け、テプラ作品の山を作り上げた。
前回の個展から3ヶ月弱。準備を始めたのは1ヶ月前から。さがしものをずっと手探りで探してきた。恋心、葛藤、絶望、歓喜。名前のある感情はいつも後から付いてくる。
絶対に間に合わないと思っていた。古本屋の仕事もしっかりと慌しかったので、展示の文章は仕事終わりや休憩中、トイレの中で考えるしかなかった。読み手への配慮を大切にといつも思うのだけれど、ペンを握ると私のエゴが止まらない。足は消え、背中には大きな羽が生えていた。視力は悪いものの感覚神経は研ぎ澄まされていて、創る時間に溺れ狂っていた。果てしなく続けと願うばかりで時間を支配することは出来ず、数字の背中を追っていた。
不安で弾けそうになる前日。在廊中、本当はもっとクールにかっこよく佇んでいたいのだけれど、それが中々出来ない。文章でめいいっぱい話をするから、声に出して話してまうのはなんだかダサい気もする。毎度毎度、話しすぎないように気を付けようとするのだけれど、やはり気持ちはちゃんと昂り、文章を読みに来てくれた仲間達と声で言葉を交わしていたいと思うのだ。
ここで言う"仲間"は私の文章を読んでくれる人のことを指す。SNSを通して私の文章を読んでくれる人のことをなんと呼べばいいかずっと悩んでいた。フォロワーさん、ファンの方。その呼び方に違和感をずっと感じていた。私の心に一番近い人に、"仲間だよ。今回の展示でたくさん仲間が増えたなあ!"そう言われた。ああ、そうだ、仲間だ。これから私はあなた達のことを仲間と呼びたい。そう思った。
出来るならば一人一人、1日かけてゆっくり話したい。そんなのは到底無理なのだろうけれど、無理だと思うにはまだ早い。私は諦めたくない。私のことはある程度知っているくせに私は仲間達のことを知らなすぎる。そんなのはフェアじゃないから、一人一人と話す時間が欲しい。捻くれていて、可愛げが足りず、ふざけている。そんな文章を読んでくれる人の素性をもっと知りたいのだ。もっと教えてくれよ。
柔らかく、熱い、時には涙がこぼれ、愛を伝える。夢のような時間のせいで鼻が詰まったまんまだった。
今度みんなで海にでも行こうか。