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暇
「人間暇やとろくなこと考えへん。だから仕事をしているんだ。」これは紛れもないメッセンジャーあいはら師匠のお言葉。
本当にその通りだと思う。暇だとその暇な時間を何かで満たそうと要らぬのとを考えるのが人間だ。
その要らぬことは人によりけりだ。ギャンブルに走る者もいるだろう、素振りに走る者もいるだろう、ベースケなお店に走る者もいるだろう、もしかすると犯罪に走る者もいるかもしれない。
でも、暇があれば何かで暇を埋めようとする、これは紛れもなく人間の性だ。
これは学生時代の授業中の態度に象徴されているのかもしれない。
学生時代、誰しもが興味がなくただただ暇な授業を過ごした経験があるはずだ。その時、大半の人の過ごし方は、違う教科の内職、居眠り、友達との手紙回し、、、などなどよく「そうそう、それが青春やん!」と美化されているものだろう。私も経験がある。
しかし、これらは決して褒められたものではない。授業の本文とはかけ離れたものだ。だから、教師の方々は生徒が暇を持て余さないようにと試行錯誤をなさっている。
人生においてこの試行錯誤は自分でしなければならない。この時、恐ろしいものがある。それは、"錯覚"だ。
「これをすることは効率的や!」と自慢気に考える人が多い気がする。
さっきの授業の例で言えば、他科目の内職がそうだ。ほとんどの者は、「暇な授業をダラダラ聞くより、よっぽど効率的だ。」と考えていることだろう。しかし、それは真っ当ではない。試行錯誤を重ねた先生には大変失礼な行為だ。
特殊詐欺や売春なんかも根底にあるものも同じような気がする。「何もせんより金稼げるやったらええやん!むしろめっちゃ効率的!!」こういう考えが根底にあるのだろう。これがいけないことなのは言うまでもない。
要は、暇の持て余し方。他人に迷惑をかける暇の持て余し方は絶対にしてはいけない。
というよりも、そもそも暇を作らないことが一番だ。そのために人は学校に行き、会社に行く。知識を蓄える、お金を稼ぐ以上に、"要らぬことを考えさせない"ことが一番の目的なのかもしれない。
「暇を作らない」
これが、人が真っ当に生きるカギを握っているのだろう。