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「娯楽の飽食期」に思うこと~その2・「飽食≠全部の食べ物がある」の理論

 前回のは原文があまりにも長かった…気づけば2000字を超えるレベルだったはず。そんな大学の期末レポートみたいな文章、誰が読みたいよ?と思っていくらか分割することを決意。今回はその2。

 さて、前回の話の末で書いたが、何か大事なことを見落としていたような気がした。倍速で観る人たちの気持ちを汲んでいなかったのだ。その人の気持ちを完全には理解することができないだろうが、私はあることを思い出し、それが偶然にもあることとリンクした。それを書いていく。

 一応、前回の文章ではコスパの話もした。4月末にNETFLIXの会員数が激減したというニュースが流れた(実情は後述のもののほか、世論的なものもあるっぽい)が、該当ニュースのコメント欄には「コスパが悪い」「アニメの新しいシリーズが来るまで解約」というものがチラホラみられた。なるだけ安く、かつなるべく多く。そういったコスパの話は往々にして見られる。が、これはサブスクの話。サブスクか否かという話を抜きにして、あるワイドショーの街頭インタビューでは「単純に速い音楽が好きだから倍速にして聴いている」という意見が飛び出した。これを観た私は当初、音楽の冒涜だと思ったが、後になってあることに気づいた。

ルパン・ザ・サード!!

 日本国民なら恐らく一度くらいは耳にしたであろう曲、「ルパン三世のテーマ」。この曲が生まれたのは1971年。うぉぉ…めちゃくちゃ古いんだな…とか思いながら私は月に1回くらいカラオケで歌っている感覚だ。そこから現在に至るまで、この曲には様々なリメイクがされている。歌手が変わったという問題でもなく、歌無しのメロディ版でも相当数出てくるはずだ。その中には、原曲の1.5倍以上の速度で演奏されているものもあるのだ!!まさにお誂え向き。

 1.5倍以上のはどんなものなの?というと、簡単に言えば原曲がおしゃれなら1.5倍速はまさに「弾丸」。間に銃声が入るのも相まって()、ルパン一味の逃避行をそのまま音楽にしたような感じに仕上がっているのだ。『ルパン三世』という作品ありきのリメイクなんだな、という感じはある。ただ単に1.5倍に回すのではなく、弾丸が行きかっているかのように楽器は少し強めに演奏されているし、銃声のチョイスも絶妙だ。プロの「本気の遊び」を耳で感じ取ることができる。是非一度は聴いてほしい。

 が、素人からしてみれば「それだけ」に感じることが少なくはないのかもしれない。どういうことかと言えば、「型にはまりすぎててつまらない」のだ。

 どの分野にも「魅せ方」はある。それに則ってやっていけば大方上手くいくことだろう。だが、それが一極化するあまり「似たり寄ったり」になる可能性は無きにしも非ず、そしてそこから飽きるという場合もあると思われる。速度「だけ」を退屈と思っているならもう擁護のしようがないが、果たしてそれだけだろうか?

 別に書いている「細々と書く男性高音のお話」でも触れているが、興味のない人間には何でもかんでも同じに聞こえ、つまらなく感じる。定石のようなものがあればなおのこと。ましてや飽食期で次から次へと新しいものが出てきて「贋作だ」とか言われるものも多くなるというのにどう判別をつける?

 演奏技術的問題として難しいものだってあるだろうが、そこら辺の速度調整は新しい風を「疑似的に」吹かせることが可能な面があると思う。バラード調の曲が速くなったらどうだ?オーケストラが速くなったら?新しい「魅せ方」だって見つかるかもよ?とまあ、そういうことがあるかもしれない。
 記事を大方書いてから私もやりました。…うん、長くなっちゃうし感想は今度()

 私個人としては原曲がある以上、その原曲(と、OPとかであればそのドラマ等の作品)を大事にしてほしいが、見方を変えればこんなことになるのかもしれない。

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