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「娯楽の飽食期」に思うこと~その1・「情報」と「趣」

 今の時代を(20代に入ってばかりの若造の)私は「娯楽の飽食期」と(偉そうに)勝手に呼んでいる。Z世代がなんちゃら、ファスト映画がなんちゃら、TikTokがなんちゃら、いろいろと言葉が飛び交う時代。マジでコンテンツ多いよなぁ…。
 私はボランティアで中学生を相手にすることが多いが、流行り病の猛威が始まる前、中学生の面倒を対面で見ていたころのこと(今は形式がある程度変わった。それこそ流行り病でZoomが教育現場に広く普及した功績である)。その頃は流行り病が影響する前、対面で実施ということもあって多くの中学生が集まったものだが、

「ねえFさん、TWICEって知ってる?この子可愛くない?」
「Fさん、この絵(ジャンプのキャラ)、うまく描けたと思わない?」
「あのさFさん、○○ってどう思う?」
(無論、仮にこの場ではニックネームを出しているが本来の場では本名呼び)

とまあこんな感じ。一度に5人くらいの子を見るのは茶飯レベルだったのでその辺はどうとも思わなかったがとにかくジャンルが多い!!とか思って隣にいる先輩の方に目を向ければ他の子のいなし方のうまいこと。いやぁ…あの先輩は尊敬に値する人だ。

 中学生が口々に出す話題もこれくらい騒がしくなるレベル。高校生にもなればスマホをより巧みに操るようになり、さらにマイナーな路線にたどり着く人も現れるだろう。それほどまでに今の時代は娯楽があふれている。まさに飽食期。

 その飽食期だからこそなのか、最近(執筆時は5月上旬)はワイドショーに「倍速問題」がよく上がる。耳タコレベルだと思うがまあ説明を入れておくと、視覚・聴覚を伴うコンテンツを何でもかんでもZ世代は元の速さよりも速いスピードで視聴しているとのこと。こちらとしてはくくられると不本意だが。その「倍速問題」について。

 一応、元を取るためにいろいろと観たい、聴きたいという心理はよくわかる。私もカラオケに入っては時間いっぱいまで一人で馬鹿みたいに歌うタイプだ。3時間で30曲はザラ。5時間12分籠った結果、54曲とか歌ったことがあったはずだし()

 ただ、私は間奏の一つも飛ばさないし楽曲のフェードアウトもかけない。強制停止もしなければ歌唱部位が完全に終わっても音楽は途中で終わらせない。カラオケで言う場合、間奏はどういった意味を持つかと言えば、歌う側からしてみれば「心情の整理」の意味を持つと考える。たいていの曲は1番、2番ときたら間奏、ちょっと歌ってそして最後の大サビに出ると思うが、この「ちょっと歌って」のところに入る前に整理をする時間は大事なのではないかな、と。だって2番のサビのまま歌ってみろ?大サビまで体力が持つことは大方ない。それに間奏だって雰囲気づくりのために必要だ。間奏飛ばしは純粋に音楽を楽しみたい人には向かないと思っている。それにテンポの取り方が同じと言えど弾き方や音の厚みが違って面白いし、そうなれば聴きたくなるし。

 間奏一つとってもここまで書けば大体わかることだろう。街頭インタビューでも取り上げられている通り倍速は「情報」をつかむことができても「趣」を感じることは難しいのではないか。「情報」だけ掴むことができればそれでいいのか?というのが私見。「趣」を味わうのも楽しいぞ。まあ、いろんなコンテンツを食いたいからと時間に追われるんだろうけど…。
 その点で言えば大学講義は芸術分野を除けば(というか口頭弁論とかなら完全に)「趣」を重視することはないはずなので倍速も問題ないと思う…まあ、しっかり聞いてくれってんなら話は別だが(というかぶっちゃけ倍速にしようがするまいが情報が頭に残らなければ「しっかり聞いた」ことにはならないと思うが…)。

 …とまあ、ここまで話したが、執筆途中の休憩のサイクリング中に見落としていることに気づいた!!あぶねえ、これを見落としてはいけない…!!長くなったので続きはまた。

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