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NYと奇跡のストーリー

こんばんは!松浦文子です。

この題名は2020年4月に考えた題名。

そんなことあるのかな?って思いながらも、そんなストーリーがあったらいいなって、大げさかもしれないけど、思いついた題名。

この先も続くストーリー。

NYに住むMusaHitomiさんとの出会いは、2020年4月。

その頃はすでにNYがロックダウン。日本は緊急事態宣言発令。

先の見えない未曾有の出来事で、世界中が恐怖におびえあがった。

西野亮廣さんのサロンで、絵本『えんとつ町のプぺル』がNYのオフ・ブロードウェイでミュージカル『POUPELLE OF CHIMNEY TOWN The Musical』として公演される予定でしたが、9月に予定されていた公演は中止に決定。

NYでミュージカルを公演する為に、NY在住の小野功司さん率いるNYチームが結成されていましたが、日本よりもひどいロックダウン。

家から一歩も出られず、食べる事にも困り、家の中でひとりきりで過ごす、サイレンの音におびえ、どうにもできない状態に。

それでも、何かできる事はあると、制作途中のミュージカルの裏側を見せてくれていました。




その事を知ってすぐに、小野さんに思わず友達申請して、メッセージを送りました。

『承認して下さり、ありがとうございます😭
頑張ってる姿を見せて頂き、感謝しています。
心身ともに元気でいられる事を祈っています。』

それから、NYチームの事を知りたいと思い、いろいろ探して、MusaHitomiが手話歌のレッスンをオンラインでしているのがわかって、ドキドキしながら申し込みしました。

その時のnoteがこれです⇊⇊⇊


NYチームで振付師として活躍していたNY在住のMusaさんの手話歌オンラインレッスンに参加した時、ZOOMで初めて会えました。

その後、NYチーム応援団を5月16日に結成して、ミュージカルの応援をすることを決意。

Musaさんに関しての投稿も⇊⇊⇊


さらに、7月には応援団をリニューアル

えんとつ町の応援団~オフ・ブロードウェイミュージカル『POUPELLE OF CHIMNEY TOWN The Musical』として、応援し続けてきました。



9月にはオンライン公演をすることになったNYチーム、応援団のみんなでスポンサーになったり、みんなでオンラインのチケットを売ったり、花を贈ったりしました。

オンライン公演のスポンサー獲得のために、応援団のみんなで必死に考えた。20万をみんなで分けてスポンサーになろう!って頑張ってたのを知ったMusaさんが応援団の為に、イベントを組んでくれました。⇊⇊⇊


その時の動画をYouTubeにしてくれた、こんつばと白坂さん。


それから、9か月が過ぎ、MusaHitomiさんが日本に一時帰国する情報があって、一瞬、うわっ!会える!!!って心が躍りました。

でも、Musaさんが会いたい人に会えて、時間があったら会えたらいいな、会えなくてもMusaさんが会いたい人と会えたらそれでいいと思い、それでも滞在中にいつか会えるよね、と思ったりもしました。

でも、なかなかスケジュールが合わず、NYへ帰る1週間前の昨日、Musaさんが会いに来てくれました。

会いに来てくれる前にこんなFacebookの投稿を。

これから、念願の人に会えます。
この日を一生忘れないと思います。
今まで、子供が生まれた日とか、だれだれが何かをしてくれた日、何かを見て感動した日、たくさんの一生の思い出もあるけど。
今日も。
どうやったら会えるのか調べて、4月、ドキドキしながらZOOMで繋がって、世界が開けました。
息子の将来を本気で考え、自分の将来も考え、この先の未来はどうなるのか、どういう事を知っていたらいいのか、どう生きて行けばいいのか、真剣に考えた2019年12月。
それからたくさんの本を読み漁りました。
あっ!もう時代遅れにならないように親自身が考えて、行動して、息子にも伝えなきゃと思わせてくれた西野亮廣さんのサロン。小野功司さんがいなかったら、会えなかった。
息子には、小さい世界に留まらず、広い世界を見てほしいと願い。
知ったからにはみんなにも伝えたいと思い。
息子がいなかったら、そこまで真剣に考える私じゃなかったかも。
美容師になりたかった高校時代、反対されても押しきれず受験の道へ。
いろんな事があったけど、でも思い立った時からまたリセットして、わざわざ飛び込んだ世界。
まだまだ捨てたもんじゃない世の中を知り、近くにいなくても遠くても分かり合える人はいると聞いたあの日から、探していたような気がします。
本当に分かり合える人はいるのかしら・・・。
近くにいるママ友も何があっても味方でいるよの言葉に励まされ、少しづつわかってくれる人が出来て。
まだまだこれからなんだけど、大好きな人と生きて行きたいは変わっていなくて。
私のような人が未だに頑張ってる姿を見て、応援してくれる地元の友人たちにも、感謝と敬意を持って。
未曾有の世界なんて想像してなかった、でもだからこそわかった悲しいこともうれしいことも、今まで見たことのない景色をみさせてくれているんだな。
これからも、ひとりひとりと大事な時間を過ごせたら幸せ。


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Musaさんはね。レトルトカレーを食べるのが好き、バジルも好きなの。バジルを入れすぎちゃったっていうTwitterのつぶやきを忘れてないよ。

ちょうどその日、私が勤めているBMCエンタープライズ㈱の代表、武者博和さんが、カレーを食べたい!と言っていて、2人が好きなカレーを作って会えるのを待っていました。

カレー作りながら泣いちゃって、せっかくお化粧がんばったのに・・・。

Musaさんからお花のプレゼントをもらったよ。早いけど、母の日って!

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武者さんも同席するはずだったけど、会議があって遅れるって言ってたから、2人でカレー食べながら、会いたい人には会えたの?○○ちゃん、○○さんには会えた?って聞いたり、MusaさんのYouTubeみて、これが好きとか話した。



元劇団四季で、NYでミュージカル俳優をしている人と、ミュージカルってさあこういうところがいいよね。なんて偉そうに話しちゃったなあ・・・。

オーナーの武者さんと合流して、武者さんがMusaに歌を歌ってほしいって言ったら、リクエストにも答えてくれて、

中島みゆきさんの『地上の星』と『糸』を歌ってくれて、糸を聴きながら泣いてた。

武者さんが、Musaさんが歌ってくれたんだから、歌いなと言われて、アンサーソングとして、私はAIの『STORY』を泣きながら歌いました。

Musaさんはね。中島みゆきさんの歌が好きなんだって、私もお客様に歌ってって言われると、中島みゆきさんの『時代』とか歌うの。

武者さんも『ふれあい』を歌ってくれました。

なんかね、2人が楽しそうに話してた、名前がむさとむしゃで似てて、何やらルーツの話とか、お芝居の話とかも真剣に話をしてたよ。

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そして、3人のサイン会が・・・。

武者さんからMusaさんへ

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Musaさんから松浦へ

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松浦からMusaさんへ

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大好きな人たちが繋がって、大好きな人たちと生きて行きたい!

これからもこれは変わらない。

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帰りはマンスリーマンションまで車で送って、お別れが・・・。

会えてよかった、ほんとによかった、ありがとう!!!!!

私自身が『お帰りのプラットフォーム』母ちゃんのポジション。

願ってた、世間の母としても生きたい!って。

NYにいつか行けたらね、Musaが教えてくれた公園でひなたぼっこしながら、いろんな人のパフォーマンスを見てみたいな。

Musaは大好きなNYで、これからもNYの人たちと一緒に楽しい生活が出来ますように、やりたい事が出来ますように、私も含めて日本からたくさんの人たちが応援してます。

Musaがたくさんの人たちを繋いでくれて、たくさんの感動を届けてくれて。

そして

私たちを深い絆で結んでくれた西野亮廣さん、小野功司さん、そして応援団のみんな、地元のお友達、家族、息子に感謝しています。

ありがとうございます!これからも皆様よろしくお願いします。

これからもまだまだ、NYとの奇跡のストーリーは続きます。


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