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外からのイメージと本当の自分

私が生まれたとき、母は看護師さんにお願いして二回も血液検査をしたそうだ。なぜならば、娘さん(私)は「B型」と言われて、その結果に納得がいかなかったから。わが家は母がA型、父がB型なので、当然その子どもとなれば、B型である確率も半分くらいあるのだが・・・笑

私の母は室町時代に行っても、おそらく模範人として生きていけるであろうというくらい、ものすごーく真面目で几帳面、完璧主義な人。ちなみに元銀行員(ピッタリ!)である。

一方、父はほのぼの系で、10歳離れた優しいお姉ちゃんの弟として、穏やかな瀬戸内の風に吹かれておっとり育った人。ときとしてそんな父の振る舞いは、母には超マイペースに映っていたようで、自分の娘も同じなんてイヤ!と当時まだ20代半ばだった母は強く思い、二回目の検査を願い出たらしい。まあ、若かったということ。

ちなみに2歳上の姉はAB型で、「まあAが半分くらい入ってるならヨシ!」となったそうだ・・・。まあ、母の抵抗もむなしく、私の二回目の結果もB型。私はB型として登録された。

日本人って、「血液型占い」好きよね

私はインターナショナルスクール出身だが、ここまで血液型を話題にする人種をほかに知らない。そして、人生におけるさまざまな自己紹介の中で血液型への質問は登場頻度高めである。一般的に、以下のようなキャラクタ―イメージがセットになっている。

●A型=几帳面
●B型=マイペース
●O型=大らか・大雑把
●AB型=新人類

B型って、最もメジャーなA型と相反する性格としていじられがち。ABほど割合も少ないないから、弱いものいじめの体にもならないし。私も幾度となく、初対面からこんな風に言われたものだ。

「B型?やっぱり!我が道を行く感じするもん!」※クラスメイトより
「B型だと思った!他の女の子たちが遠慮して手を付けてなかった食事を君だけはモリモリ食べてた」※大昔のイケてる風コンパにて
「自由人の私と同じ匂いがするもん、B型、納得!」※入社時の同期との懇談にて

子どもの頃からこうやって生きてくると、人ってあら不思議。なんとなく、自分でもマイペースな人間なんだろうと思ってしまい、それが自分に求められているキャラのように刷り込まれてしまう。マイペースなのが自分らしいと思い、何だったら必要以上に自由に振舞っていた節もある。

30代半ばで発覚した新事実

しかし、時は流れて30代を過ぎ、私は自身のとある治療で、久方ぶりに血液検査をしたのだ。もちろん血液型をチェックするためではない。当時不妊治療をしていてその検査。見たい数値は別にあったのだが一週間後に送られてきた結果表の一番下の段に記載されていた情報を見て、「えっ!!」と声が出た。血液型の欄に、AB型と書いてあるではないか。

私の本当の血液型・・・なんとAB型だったのだ。
(検査した病院にも電話しちゃった。ホントですかって)

40年くらい前の検査って、そんなに精度が低かったのか?生まれたてだとハッキリしないこともあるのか?原因は定かでないが、ともかく30代半ばで私は自分のホントの血液型を知ったのだった。ウソのような本当の話。

初めましてAB型、これからよろしくねAB型

わー、私、AB型だったのか。ちょっと大げさだが、生まれ変わったような新鮮な気持ちを覚えた。そして同時に思った。

「初対面で私をマイペースと決めつけた人たち、戻ってこーい!!」

たしかに否定はしない。私はあまり人からどう思われるかがそこまで気になるほうではないし、協調性も低めかも。でも、人間って本当に多面的な生き物だとつくづく思う。

私の中には自由な自分もいれば、超がつくほど几帳面なところ、意外なほど他人に気を遣ってしまったり、遠慮して引いたりしてしまったりする部分も多くある。

内面的な要素と外面的な要素が複雑に絡まり、相手や状況によって変わる、いろんなキャラクターが内面に同梱している、それが人間という生き物の面白さ、かわいらしさ、奥深さだと思うのだ。要は、性格って「これ!」って一言で決められる平面的なものではなくて、見る角度や位置によって変わる立体的な性質ものだと思う。

意外な血液検査の結果を受けて、「やっぱり私、マイペースなだけじゃないよね?」と思って妙に納得したのだった。血液型みたいな大雑把なくくりで性格は分類できないはず。私は、「絶対B型と思った!」と言った生真面目風のA型の人にも超マイペースな部分があるはず(笑)と信じている。

よくわからない根拠のない軸で勝手に自分のキャラを固定されて、求められるイメージへの期待に応えなきゃと思ってしまうのはもったいない。この外部圧力は案外けっこう強いんだけど、本当の自分を知っているのは自分だけであると私は思う。






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