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「それでも日本語が読みたい!~怖い漫画しかないよ編~」(ベルギー物語1986年)
私は小学1年生から数年間、ベルギーの首都ブリュッセルに住んでいた。父の仕事の都合で一家四人で赴任していたのだが、海外生活の中で子どもながらに最も不自由を感じていたのは、「当たり前のように日本語を読めない・聞けない」環境だった。
赴任したのは今から36年前の1986年。当然インターネットなどない。今なら海外に住んでいてもネットで日本語のニュースを見たり、電子書籍を読んだりできる。しかし当時はそんな技術などなく、日本語の衛星放送すらなかったのでテレビを付けてもフランス語か英語の放送のみ。
日本語の本や漫画が買いたくても当時のブリュッセル市内には、日本の本屋さんはおそらく1店舗しかなかった。そのうえ、子ども向けの漫画コーナーは隅にあって小さく、ド定番の昭和漫画を定価の何倍もの値段で売っているという状況。ドイツにまで行けば日本の大型書店の支店があったが、そう頻繁には行けない。
私は子どもの頃から本が好きだった。お気に入りの絵本や童話、漫画たちを船便で送ってはいたが、いかんせんどれもすでに読んでいるものばかりで次第に退屈してくる。
ちなみに当時のベルギーの駐在員たちは3~4年の交代制で、家具・家電付きの会社所有のマンションを前任者から引き継ぐスタイル。備え付けのほかに、前任者の家族が日本には持ち帰らない家具や家電、本(小説や子ども向けには漫画)などを置いて行ってくれるのがならわしだった。
私たちの前任者はSさんというご家族で、我が家と同様に姉妹がいた。年齢は2~3歳上くらいのとても上品なお嬢さんたち。受け継いだ子ども部屋に備え付けの本棚に、彼女たちが置き土産に残していった漫画が数冊並べられていた。それらはなぜだかどうして、すべて楳図かずおの怪奇漫画だった。(ふつう、置いていってくれるのはドラえもんとかりぼんの少女漫画とかなのに、Sさーん!!)
しかも、「漂流教室」とかメジャーどころではなく、「へび少女」とか「おみっちゃんが今夜もやってくる」とかなかなか渋いラインナップ。
怪奇漫画は私も姉も超苦手なジャンル。話がいくら素晴らしくても、いかんせん絵が怖い。もう表紙からして怖い。二人とも恐れて当初はほかの本の後ろに隠していたくらいだったが、新刊が一切手に入らないという状況の中で日本語に飢えに飢え、次第にその漫画たちが存在感を増していった。そしてある日、恐怖よりも「日本語を読みたい欲」が上回った姉がついに「へび少女」を手に取った。
ベッドで頭から布団をかぶって「うわああ」「怖いぃ」と叫び声を上げながらも「へび少女」を読みあさる姉の勇姿に鼓舞された私も、意を決して「おみっちゃん」をつかんだ。
それは、病気で亡くなった「おみつ」という名の女の子が新たにその一家の養女になった少女に嫉妬して夜な夜な、恐ろしい姿で会いに来るという話だった。よりによって養女の寝室に面した庭(全面ガラス張り)にお墓を作っているというしんどさ。もう読んだのを後悔するくらい絵も何もかも怖かった。トラウマ級。さすが楳図先生。
子どものときに読んだ漫画なので、強烈な体験としてまあ記憶に残ってしまい、30年以上経った今でも内容はよく覚えている。ちなみに養女を脅して帰る際におみっちゃんが毎度、「明日の夜、また来るわ」と言い残して去って行くのだが、未だに私と姉(近所)はお互いの家を行き来して帰るときにこの台詞で別れるのが決まりだ(笑)
小学校低学年の子どもといっても、やっぱりどうしたって日本語に飢えてくるのだ。怯えながら楳図先生の漫画を読んでは案の定、夜に怖い夢にうなされていた当時の私たちに、タイムマシンで「サザエさん」を差し入れにいきたいとあの頃を懐かしく思い出した昼下がりであった。