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安井仲治「僕の大切な写真」が見せてくれるもの@東京ステーションギャラリー

  戦前の写真家の作品は、写真で何ができるだろう、というワクワク感があるというか、カメラの性能もカメラマンの技巧もまだ発展途上なだけに、「こんなことやってみたぜ」みたいな荒削りな作品が多くて面白い。創生期に属した人だけが味わえる、何でもアリな感じ。ということで、新しいものに挑戦する気持ちを味わいに行ってきました。
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202402_yasui.html

  なぜか?展覧会サイトのリンクが味気なく出てくるので、展覧会概要をこちらに・・・

「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」
近代写真の金字塔。「安井仲治」を知らずに日本の写真は語れない!」
■ 開催期間:2024年2月23日(金・祝) - 4月14日(日)
■ 展示概要
日本写真史において傑出した存在として知られる安井仲治(やすいなかじ/1903-1942)の20年ぶりとなる回顧展。大正・昭和戦前期の日本の写真は、アマチュア写真家たちの旺盛な探求によって豊かな芸術表現として成熟していきました。この時期を牽引した写真家の代表格が安井仲治です。安井は38歳で病没するまでの約20年という短い写歴のあいだに、驚くほど多彩な仕事を発表しました。その作品は同時代の写真家をはじめ、土門拳や森山大道など後世に活躍した写真家たちからも掛け値なしの称賛を得ています。

展覧会サイトより抜粋

  ということで、まだ日本の写真が黎明期。「うまい!」というよりも、撮っている方の試行錯誤や、新しいことを試して楽しんでいる感じが伝わる写真でした。例えばコラージュ技術を採り入れはじめた写真は、まだこなれていない風もありつつ、時代感あって良かったです。特にこの大阪中之島のメーデーを撮った、報道写真×コラージュ×トリミングがミックスされた「メーデー」シリーズは、テーマが持つ勢いと発展途上感がマッチ。

「メーデー」より左「凝視」、右「旗」:展覧会サイトより引用

  安井仲治の写真で独自の世界観があるのは、「半静物」かもしれないのですが、私は微妙・・・ここまでやるならもうちょっと作り込んだ世界の方が好きかも。基本的には、もう少し偶然性というか瞬間を切り取ったような写真ならではの表現が好きだからかなあ。

撮影現場にあるものを自由に構成する手法を、安井は「半静物」と呼んだ。見知った風景が、ときに驚くような光景に変わる。隠された“世界の秘密”に触れるような瞬間を安井は楽しんだ。

展覧会サイトより抜粋
左「構成 牛骨」、右「虫」:展覧会サイトより引用

  一方で、人物を撮った写真はどれも表情が素晴らしい!特に、第二次世界大戦中、ヨーロッパから迫害を逃れて神戸にやってきたユダヤ人を撮った連作「流氓ユダヤ」は、時代の空気が伝わる写真。
  日本人外交官、杉原千畝が日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアで、ナチスに迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、亡命を手助けしたのですが、このユダヤ人達は、日本を「経由地」とすることで米国や豪州に亡命できました。まさにこの人達を撮った連作があったとは。

左「流氓ユダヤ 子供」、右「流氓ユダヤ 窓」:展覧会サイトより引用

  以前、日本橋高島屋で杉原千畝の生誕120周年(あ、今回の展覧会も安井仲治の生誕120周年だ)として開催された「杉原千畝展 命のビザに刻まれた想い」で、当時の記録・写真・ビザの実物や、亡命時に子供だった人が、辛い思い出と杉原への感謝を語るビデオが展示されていたのですが、その記憶が蘇るような写真でした。写真としても美しいのに、ぎゅっと様々な想いや物語が詰まってる。

  最後に、今回は写真撮れなかったので、出口のところに飾られていたポスター写真を・・・

「山根曲馬団」シリーズの「道化」。
なんだったかな・・・「顔」だったかな。インパクトのある写真です。
「作品 1939年」少し、カッコつけた写真ですが、印象的です。
「馬と少女」これは他の展覧会で見た記憶がある。ノスタルジーな感じで記憶に残る一枚。

  <余談:個人的なつぶやき>東京ステーションギャラリーは、毎回ポスター、フライヤー、チケットのデザインが複数あって、なんだかリッチ。今回のフライヤーは2種類(「馬と少女」と「作品 1939年」)でしたが、「大阪の日本画展」とか3~4種類あった記憶が。今回もチケットはもっと種類があった。展覧会によっては「そっちの赤いのを・・」とか恥ずかしながらチケット交換を頼んだことあります。毎回楽しみだからいいんだけれど、どんな人なんだろうなーと、展覧会企画担当の人が気になっています。

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