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【毎100】6/13相克する死生観


「安楽死がもっと人生に近いモノであればいいのに」

日本の医療現場では不可能ではない安楽死だが、自死が絶えぬ世界で手続きを踏めば誰でも安楽死を受けれる制度を作ればいいのではないか。

大学時代に真剣に考えていた。

決してポンポン死ぬことを推奨する為ではなく
国が安楽死をする専門機関を作れば
誰にも知られずに死ぬ選択をしたはずの人を発見でき、申請の過程で適切な機関に繋げる等の役割も担えると考えたからだ。
そうして取っ掛かりを探すだけ探して
それでもダメだったら責任を持って安楽死させる。電車に轢かれバラバラになるわけでもなく。学校を忌地にするわけでもなく。

そんな機関があればいいのになぁと考えていた。

生きる権利を押し付け、義務にして
死ぬ権利は何故剥奪されているのだろうか。

勿論、いじめからくる自殺の為だけではなく
障がい、介護など。
適切な機関があるが、それでもどうにもならない事例は幾らでもある。

【伏見介護殺人事件】
加害者Yは3人家族の一人息子として生まれる。1995年に父親が他界したのち、母親が認知症を発症。Yが単身で介護にあたっていたが、経済的に余裕がなくなったため生活保護の申請を行うも、休職中であったことや失業保険の給付中であったことなどから受け入れられなかった。Yはのちに退職し母親とつきっきりの生活を送っていたが、次第に生活を賄えなくなり最終的に心中を決意。二人で河原町周辺を歩き回った後、桂川の河川敷で母親と最後の会話をする。母が「もう生きられへんのやで。 ここで終わりやで。」「そうか、あかんか。 一緒やで。」「こっち来い、わしの子や。」などの言葉をかけるとYは殺害を決意。母親の首を絞めて殺害、自らも包丁やロープを用いて心中を図ろうとしたが失敗し、その後逮捕された。
母子のあまりの悲惨な境遇から各所で多くの同情を誘った。同年7月に京都地裁で行われた裁判では、検察官ですらその困窮ぶりに同情し、福祉事務所の冷淡な対応などに苦言を呈すなど批判的な弁論を行った。Yは「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」と供述し、法廷は静まり返った。裁判官は福祉行政の在り方に対して疑問を投げかけると同時に、Yに対して「自分で自分をあやめることのないように、お母さんのためにも幸せに生きてほしい」と述べ、懲役2年6月、執行猶予3年という殺人事件としては異例の温情判決を下した。Yも「母の年まで生きる」と語った。
wiki より

子と親だけではない。
老老介護の末の殺人事件。
彼らにも今の僕たちのような若い時代があった。もしかしたらお見合いだったかもしれないし、もしかしたら大恋愛だったかもしれない。
何だったとしても事の顛末としては悲惨極まりない。

家族が家族の手に負えなくなった時にその受け皿として施設が利用される。
しかし、実際その受け皿は足りていない。自分たちではどうしようもなくなった家族を施設に入れられずに負担が増え続け追い詰められていく事もある話だ。

普通にっていう普通って不変じゃないけれど、それでも想像し得るくらい普通に生きてみると自分の事だけでも大変なんだ十二分に。

死ぬ権利があれば
周りの家族や、自分自身が救われる、というより悲惨な結末に進まずに済むのなら
僕の倫理観では安楽死は賛成だった。

だった。

今の倫理観では「わかりません」が回答だ。

運が良くという言い方が正しいかわからないが、葬式に一度も行ったことがない。
亡くなったらしい知り合い達は人生に居たかもわからない距離だったし、再婚のおかげで3人も居た祖父の内2人が亡くなった時は、僕自身との関係の遠さもあり出席させてもらえなかった。

かといってご遺体を拝んだことが無いわけでもない。就活で葬式会社を受けている際に2度その機会があった。冷蔵室から出てきた「誰かの大切な人」は蝋人形のようで精気の存在を無い中で知った。

死とフィクションの様な感覚に陥りそうなくらいの距離から考える「正しさ」のようなモノがあった。

2つ、今「わからない」と答える出来事があった。

1つは2年ほど前に池袋アウルスポットで観劇したアマヤドリの「天国への登り方」だ。
主人公の恋人が病から逃れられず安楽死が許可されている特区へ向かった話だ。
僕はそこで残される側の擬似体験をした。
ボロボロに泣いた。演劇って凄い。
その体験を通じて安楽死したい側の気持ち/残される側の気持ちに触れ、「正しさ」など無い事がわかった。

もう1つは、つい先日
祖父が脳梗塞になった。
1番繋がりがあり大学4年間下宿でお世話になった祖父だ。

幸い自分で病院に行き発覚して入院した為
今のところ命に別状はないらしいが
それでも近日中にポックリ逝くのではないかとヒヤヒヤしている。

だが、今一番家族周りで関心を集めているのは後遺症の有無だ。
勿論1番苦しいのは本人だが
後遺症によっては我々親戚達の生活様式は一変する可能性がある。
介護が必要な場合、僕が祖父祖母の家に戻るか
実家の母親が来るか、という話も出ている。
「とうとう来るか?」と内心びびっている。
いつかは来るだろうとちゃんと思っていたのに。

「何かあったらポックリ逝きたい」
よく、そう話してたから今回の事は大変ショックだ。実際けっこう元気に戻ってこれるかもしれない。
先のことなんてわからないけれど
僕の中での祖父と死の距離は近づいた。

だからかなのか、今日は安楽死の事をふっと思い出し、書きたくなったので書いてみた。

勿論昔から思っていた死ぬ権利について今も否定するつもりはない。
だが、自分ごとで考えた時
目の前の知人が行って帰ってきたら息絶えていると思うと止めずにいられるだろうか。
もしも自分がどうしようもないモノを抱え込んでしまった時生きていたいと考えるだろうか。
「正しさ」はどこにもない。

僕の死生観は相克する。



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