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「ないものをあると思う」ことと「あるものをないと思う」ことのどちらを恐れるのか

「ないものをあると思う」ことと「あるものをないと思う」ことのどちらを恐れるのかは、原則的には「有事」のリスクと、平時にその体制を維持するためのコストによって決まり、それらはその時々にプレイヤーが置かれた環境条件に依存する。

「ある」ことが共通認識であるような物事が環境の大半を占めるようになってきた時代においては、一般に、「ないものをあると思う」ことのリスクとコストの方が大きい。

このような場合、「もしかしたらあるのではないか」という態度は抑制され、「もしかしたらないのではないか」という態度は「「ある」ことに関する共通認識の品質保証」(=なるべくノイズを含まないようにする)の観点から奨励される。

しかし一方で、「「ある」ことに関する共通認識」によって覆い尽くされた環境に適応できない人々にとっては、「ないものをあると思う」ことが、ある種の「可能世界」を想起させ、それによる「ベネフィット」がもたらされる。

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