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この世界は「なんでもあり」
原則的にこの世界は「なんでもあり」なのだが、他人の「なんでもあり」の集積によって構成される相互作用環境が、自分の自由度を奪い「なんでもあり」というリアリティーを失わせる。
これを克服するには(克服することが社会的に適切かどうかは置いておいて)この相互作用環境をいかに「無視」して振舞えるかが重要であり、それはありていに言えばいかに「狂うことができるか」ということである。
しかしながら他人の狂気はほとんどの場合単に迷惑で、かつ凡庸なので(そして残念ながら自分の狂気もまたそうなので)、表面的には相互作用環境を人々が重視するように促す言動を選択せざるを得ない。
つまり、我々は何を言おうが腹の底では全く別のことを考えているということである。それも含めての「なんでもあり」であり、さらに言えば、それにも関わらずなぜ我々は「この世界は「なんでもあり」なのだ」と個人の内省を越えて「発言」したくなるのか、ということだ。