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感染症とは、スケールメリットキラーである
「人が集まる」というのはスケールメリットを産み出すということであり、特に近代の都市部ではそれは極めて大きい。
そして感染症流行下において、我々はそれまでとは打って変わって「集まるな」と言われる。つまりスケールメリットを捨てよ、と。これに我々の社会システムがどう耐えうるかだ。
小学校が一斉休校になった。共働き家庭や片親の家庭では、昼間子どもの面倒を見る大人がいなくなるので困ることになる。では別途子どもを預けるサービスがあればいいのかというと、それでは結局同じように「人が集まる」ので無意味である。
ならばシッターか、というと、今度はスケールメリットを利用できないので高コスト過ぎて一般家庭には利用できない。
満員電車も、コンサートも講演会も学校の授業も全て同じ。「人が物理的に集まる」というスケールメリットの下に成り立っていた現象が全て機能不全を起こし始めていることがあぶり出されている。
様々な分野で「オンライン」への切り替えが模索されつつあるが、これがどの程度の代替策になりうるかは未知数である。
感染症とは、スケールメリットキラーである。
(そしてオンラインにも、オフラインとは異なる「スケールメリットキラー」が恐らく存在する。)