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侮蔑という感情について

「侮蔑」という感情は一般に、(括弧付きの)「優位」に立つものが(括弧付きの)「劣位」に立つものに対して持つものだと捉えられがちだが、真に優位に立っているのならばそもそもそのような感情を持つ必要はないとも考えられる。さらに、逆に、劣位に立つものが優位に立つものに対して侮蔑感情を持つことも頻繁に生じる。

思うに、侮蔑とは、何か他者に関する納得のいかない、受け入れがたいことがらが存在しながら、それが存在する状態を強いられており、自分にはそれを変える自由を持ち得ないとき、その不全感を糊塗するために呼び出される感情なのではないだろうか。

これはいわゆる「酸っぱい葡萄」のエピソードに見られるような「負け惜しみ」の感情に似てはいるが、それよりもずっと攻撃的な感情である。

優位に立つものは、自らがたとえすでに優位に立っていても、劣位に立つものと比較してそれ相応の待遇の差を与えられていなかったり、期待する敬意や支持を得られていなかったりするとき、その相手への侮蔑感情によってその「欠落」を購おうとするだろう。

劣位に立つものは、その立場に置かれていること自体が公正ではないと感じ、それにも関わらず状況を変えることに対して無力であると感じている時に、優位に立つものへの侮蔑感情によってその「欠落」を購おうとするだろう。

これは、その感情を持つことの善し悪しとはまた別の話である。侮蔑という感情がある特定の状態のインデックスとなっているのではないかという議論である。

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