永遠は此処に
これは昨日解散したアイドルグループV6への個人的な手紙みたいなものだ。
オタクのぐだぐだした戯言に興味のある人は軽いノリで聞いて言って欲しい。
「永遠なんかにキョーミはないけど泣いたのさ」なんて嘯きながら、私は無意識に彼らが6人という集合体であることを永遠だとそう、思っていた。
大学の時にメンバーの一人が出ているドラマを見て、俳優としての彼を好きになった。
大好きになったアクションを自分自身の揺るぎない武器として仕事に活かしている姿はは本当に誇らしいが、昔の未成熟さの中にキラリとしたものを感じさせる演技も好きだ。
そんな彼がジャニーズのV6のメンバーだと知ったのは少し先のことだ。
ジャニーズに対してのイメージはおおよそファンでない一般の人間が抱くものと同様だった。しかし入口から中に入ってみると、そこは見たことのない世界だった。
個性がバラバラな声が心地よく重なる音の心地良さ、良質な楽曲、キレのあるダンスパフォーマンス。
そしてメンバーの真摯で優しい人柄、メンバー同士の信頼の上に成り立つ軽快で愉快なやりとり。
私は坂道を転がり落ちるような勢いで彼らの虜になった。一番好きなメンバーはもちろん彼だが、箱推しだ。
それぞれのメンバーに魅力があり、得意とするものがあり、スキルがある。彼らは世間受けするアイドルとは少しズレた職人集団で、そこが私が彼らが好きで尊敬する部分であり、特定の人に刺さる理由だったように思う。
それから長い間自分自身の生活も変わりながらも彼らの存在に励まされ一緒に歩んできた。
彼らのおかげで一緒にライブに行ったり、旅行をする一生物の友達が出来た。彼らがアイドルであることで様々なものを与えられたのだ。
なんの確証もなく、疑問もなく、ずっとそばにいてくれると思っていた。
絶対なんて世の中にはないと思いつつも、信じるに足る永遠だと思っていた。
そう思わせるだけの積み重ねてきた軌跡が、いつだって真摯だった言葉が、ずっと心弱い私を奮い立たせ進むために背中を押してくれていたから。
それは3月のある日、終わりを告げることになる。
解散の方を受けたその日の夜私は、号泣している友人と電話をしながら涙も出せずに呆然としながら上滑りする空虚な慰めの言葉をかけ続けた。現実味なんて、微塵もなかった。
だってそんな気配、本当に何もなかったからだ。
昨年25周年を迎え、円熟期を迎えながらも彼らの音楽やパフォーマンスは常に新しい良いもの、今までなかったカタチを追求した洗練されたものになっていって、ジャニーズという垣根を超えて今までそういったジャンルに触れてこなかった層にも届いていることはファンにとっても喜びだった。
彼らは結果的に言えばセールス的に派手に記録に残るアイドルではない。
けれど彼らの作るものはジャニーズなんて…という偏見を壊すことの出来るポテンシャルを、相手を納得して意識を変えさせてしまう力を持っていた。
なのに解散してしまったら新しいそれはもう生み出されないのだ。
私は彼らの音楽もしばらく聴くことすら出来なかった。
なんで?ばかりが頭をこだまして、少し裏切られたような気分になった。
話し合い自体は2019年くらいからされていたそうだから、25周年の時にはすでに彼らは来るべきゴールに向けて走っていたわけだ。
勤続25年の男たちに私たちは変わり続けるが、変わらない安心感を覚え祝福を送っていた。
ただ、それはファンに気づかせないために彼らが振舞ってくれていただけで解散の事実を知ったあとでは何となくこの時はこう思っていたのかもしれないと察する事が出来る部分もあるにはある。
けれどそれは結局のところはわかりゃしないのだ。そしてわからなくてもいい。
本当のところは彼らだけにわかっていればいい。
彼らがファンに見せたい、受け取って欲しいと思っているものをしっかりと正面から受け取るのがファンの役割なのだから。
私は自分たちを切り売りせず単なる消費物にせず、アイドルという虚像の無限の可能性をを真面目に真摯に見せてくれる彼らのその姿勢を好きになった。
そんな彼らが選んだ道でひとつ確かなことは、ひとりでもいなくなるならそれはもうV6でない、だから解散するというのを選んだこと。
私たちは様々なグループの変容や終わりを見てきた。
それは悲しいものであったり、怒りを覚えるようなものであったり、前向きなものであったり様々だ。決まった正解はない。
本人たちが選んだ道こそが正道で、それは外野が世間一般の常識や感性で判定するものでは無いからだ。
けれど様々な選択肢がある中でV6が解散という形を選んだことは、最善な選択であると思っている。
オタク的に言うなら、解釈一致といつやつだ。
彼らはとことん他者の憶測や勝手な主観を差し込む余地を作らない美しい円の中にいる。
そんな彼らはメンバーが欠けるわけでもなく、仲違いしたわけでもなく、パフォーマンスが低下したわけでも、方向性に行き詰まったわけでもない、可能性を残したままの一番うつくしい瞬間を永遠にするために「V6」という存在を思い出という箱にしまうのだ。
彼らは自分たちがなかよしである、的なことを積極的にアピールしない。
一緒に出かけたりだとか(そういうエピソード自体は数多くある)連絡を取り合う的なことを言わない。携帯を番号ごと変えて、メンバーの電話番号を知らないなんてことすらある。
けれどやっぱり彼らはなかよしだったのだと思うし、メンバーが集まれば何気ない言葉から会話が弾み笑顔が弾け白い歯が見える。
そうであることを敢えて認識しないほどに近い、名前をつけることが出来ない彼ら6人の間でしか存在しない無二の関係性。
ファンはその形こそを、愛した。
スキルも経験も積んだ確固たる力を持ったメンバーたちがひとりで活躍できることがわかりきっていても、やはり悲しくなってしまう。
彼らからV6という場所が無くなってしまう事がこの上なく胸を締めつける。
しかし終わりの日はやってきた。
終わり、はどんなに強がったって悲しいもので彼らが選んだ道を信じなくてはと思いつつも終わってしまうのは嫌だと泣く私たちに彼らは幸せだったといってくれた。
出会ってくれてありがとうと言ってくれた。
今までファンが彼らに対して出来たことなんかたいしてありはない。傷つけたすらあった。
今だって限られている。
でも思い出を胸に笑うことは、出来る。
あなた達を好きになれて幸せだったと。今も、これからもきっと幸せだと。
あなた達は私たちの誇りであり、毎日生きるのに必死なちっぽけな自分が好きになった人が彼らだったことを心から誇れると。
永遠なんてものはない。V6は完結した。
けれど、確かにあなた達の心は、情熱は此処にあった。
そして、それは決して失われることはないのだと思う。
彼らは急に居なくなったりせず最後の期間懐かしい過去を振り返り、なおかつ今でしか出来得ない最新を魅せ、丁寧に別れの言葉を伝えてくれた。
ファンの心に寄り添い、大丈夫だよと言い続けてくれた。
彼ら6人でしか出来ないことをして、最後は笑顔で手を振って去っていった。
私は馬鹿みたいに泣いて、妙に穏やかな気持ちになった。
そして思った。明日からもずっと彼らを好きでいられると。
(まぁそのあとファンクラブの映像でまた友人と号泣したのだが)
沢山の人が、企業が、V6にありがとうを伝えてくれているのを見ると、彼らは「そういう風」に生きてきたのだと思う。
色んな人の思い出や記憶の断片に確かに彼らは居たのだ。
悲しい別れではなく、彼らの新しい門出に祝福と愛と感謝の花が降り注ぐ。
こんなに幸せな終わりを、私は知らない。
さよならは言わない
ありがとう、またね
私が、多くの人が愛した、最高のアイドル
V6 SINCE1995〜FOREVER