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埼玉県は沈まない
【埼玉半島の話】
いつもの通勤、通学時間帯。大宮駅のJR中央改札前を歩いていた俺は、人の流れに乗りながら広場の中心を見ていた。
「あれ?」
周りの通勤客たちまで、忙しい朝にも関わらずチラチラと同じ方向を気にしている。その視線の先には、高い天井まで届く巨大な足場と、それを包む防音の布が張られていた。
いつもある、まめの木を囲んで。
その翌週、まめの木が無くなった。俺も他の人たちも、お通夜のようにJR中央改札広場を歩いた。大切なものを失った、そんな喪失感を抱えて。
でも、その喪失感は嘘じゃなかった。
この時、埼玉県は大切なものをごっそりと無くしてしまったのだ。
ーーー
「海に行こうよ」
週末の朝、起きたら姉にそう言われた。
「はぁ?海?遠いよ」
「何言ってんの、すぐそこじゃん」
姉が指差したのはテレビ。そこに映っていたのは、川口海浜公園。
埼玉県に、海があった。
「おかしいおかしい!海無し県ってネタにされてた埼玉県に海が!?どういう経緯で!?そんな…これじゃあ埼玉県のアイデンティティが…」
「ん?さっきから何言ってるの?埼玉県は素晴らしいところだよ。世界的大都市とはこのことだよ」
「えっ…世界的大都市?もしかして首都東京と合併した気になってる?」
「何言ってるの?埼玉県は日本の首都だよ」
「いや違うでしょ!地図を見せて!」
姉が差し出してきたスマホに映る地図を見る。たしかに埼玉県は海に囲まれていた。かろうじて陸続きなのは長野県だ。
しかし、その画面は砂嵐のように時々ひどく霞んだ。
地図にノイズが走る…はっきりと見えないのはなぜだ…?
「どうしたの?」
「な、なんでもない…それよりこれ何?なんでピーポくんがアイコンなの?」
「なんでって…埼玉県のイメージキャラクターでしょ」
「ええっ!?コバトンは?」
「コバトン?なにそれ」
「なん…だと…」
隣接する長野県以外の場所をすべて海に囲まれた首都埼玉は、俺の知る海無し県ではなかった。
この場所を、埼玉半島と言うらしい。
〜真の埼玉県を知る人物たちと出会う〜
一人目「東武動物公園駅が最寄りです。でもなぜか、東武動物公園はずっと前に廃園になっていました」
二人目「川口に住んでるッス。都内に通勤してたッス。職場、いま海の中ッス。というか無いッス」
「ずっと川口に住んでるなら、県境で何があったかわかるでしょう!」
「し、知らねーッスよ!俺、いま住んでるの川口駅前だけど、狭山出身だし…」
「何ですって!?川口だとか粋がりやがりまして!田舎者じゃありませんか!」
「生まれたときから東武動物公園駅が最寄りのヤツに言われなくねーッス!」
「あなた、東武動物公園ナメてやがりますの!?」
「ナメてねーッス!東武動物公園は埼玉県の象徴的テーマパークッス!」
「わかってるじゃないの!」
「わかってるッス!」
〜春日部、外郭放水路地下調圧水槽、通称地下神殿で過去に飛ぶぞ〜
「国体でのコバトン召喚方法…これで、埼玉県を囲む都と県は沈まずに済むのか…!?」
「ウーミーハーヒロイーナーオオキーイーナー♪」
「しまった…さいたま市のイカれた帰りましょうのチャイムが鳴り始めた!海に憧れるあまり、海がないのに海の歌を流し始めた頭のおかしいさいたま市だ!逃げろ!」
「でも!さいたま市はやたら合併を繰り返したため広すぎます!時間までに脱出できるかどうか…」
「大丈夫だ、ここは大宮駅…埼玉県最大のターミナル駅!新幹線が止まる!新幹線改札内がショボいと有名だが新山口駅よりははるかにマシ!早く乗れ!」
「そこで他の県を引き合いに出してはいけません!何より、山口県には海があります!下関ですよ!」
「うるさい!自動改札もろくにない県の民が跳んで埼玉を観て笑っていたかと思うと、越谷レイクタウンほどの怒りで満ち溢れるわ!」
「微妙に広い!」
〜ラスボス戦〜
「おお、我らがまめの木よ!埼玉県民の悲願を聞き届けたまえ!埼玉県に海を!埼玉県民に潮風を!」
「やめろ!」
「召喚術式シマムラアカギニューギョーシューゴーイケブクロ!コバトンよ!我らがフェニックス、本当の埼玉県を…!」
「本当にいいのか?本当にコバトンを召喚していいのか?貴様らの悲願が叶ったんたぞ。ダサイタマを脱した。東京を超えた。海を手に入れた。十万石まんじゅうが鳩サブレーに変わり、さきたま古墳群がスカイツリーに変わり、東武動物公園が夢の国に変わった。それらを手放してまで、貴様らはあの埼玉県にこだわるのか?」
「こだわるさ…だってここは…」
「何もなくて何でもある、俺たちの愛する埼玉県だから!」
〜後日〜
「東武動物公園に行きましょう」
「いいね〜。朝九時まめの木集合」
「うちに十万石まんじゅうめっちゃあるんだけどいるッスか?」
「風が語りかけてきたら食う」
「春日部集合のほうがいいと思います」
はたして埼玉県は海無し県でよかったのか。ピーポくんではなくコバトンでよかったのか。
正解なんてわからない。
それでも俺たちはしまむらで服を買うし、サイゼリヤで飯を食うし、コバトンを神聖視する。
きっとこれが、埼玉県なんだ。
という夢を見た。