駿台全国模試の現代文に採用された自著「まなざしのデザイン」を解いてみる
拙著「まなざしのデザイン」が、2018年12月末の駿台の全国模試の国語の問題に採用された。まさか自分の文章がセンター試験に向けた全国模試で選ばれると思っていなかったので青天の霹靂ではあったが、全国各地の受験生の目に触れたことは素直に嬉しい。
また現代文の問題に選ばれた理由として、「文化・芸術論をベースにして知や社会の枠組みを問い直そうとする論旨の文章を出題した。」と書いていただいたのも大変光栄に思う。
事前に駿台予備校からは出題に使う箇所のことは聞いていたが、試験が終わるまでは口外できないので問題を見たことが無かった。しかし先日ようやく手元に届いたので、実際に問題を解いてみることにした。
問題文として引用された箇所は本書の第6章「日常を冒険する」の中の”風景のリミックス”、”ブリコラージュが開く想像力”、”分類を変える”という三つの節からだ。ゲンバリミックスという僕の作品の解説にあたる部分だ。著者として自分が書いた文章から出題された設問を解くのは奇妙な感じがしたが、7つに設けられた設問の11個の選択問題で、一応すべて正解を得てホッとする。
問1は漢字問題。
(ア)用事がスめば
(イ)光がカクサン
(ウ)エンジニアリングをクシする専門家
(エ)素材に戻すソウサをしている
(オ)数字やヒョウシキ
それぞれ下線部にあたる部分と同じ漢字を5択から選ぶ。
問2から問4は文中の傍線部AからCについての著者の意図を選ばせる問題。
傍線A「この工事現場にある現場資材を『組み替える』だけで風景をつくることにした」
傍線B「私たちは何か新しいことをする時に、何かを持ってきてゼロからスタートしようとしがちである。」
傍線C「その対象は意味と同化したものとして捉えられる」
この三つの説明や理由を5択から選ぶ。この問題をもし間違えると、僕は著者の意図を汲み取れていないということになる...。「僕=著者」だから、僕が僕自身の意図を読み違えているとすれば、アイデンティティクライシスに陥りそうだ。フロイト先生のように自分の無意識を探らねばならないところだったが、一応ここも全部正解だったので、自己崩壊にはならずに済んだ。
面白かったのは問5である。
四人の生徒が本文を読んだ後に話し合っている場面での、セリフの穴埋め問題だ。本文の内容をふまえて空欄に入るもっとも適当なものを①〜⑤の中から一つ選ぶという問題。
以下に引用してみたい。
生徒A____素朴な疑問なんだけど、「ゲンバリミックス」がどうして「アート」なんだろう。本文の最初に「素材を変化させることによる風景異化」とあるけど、それにどんな意味があるのかな。
生徒B____風景に対する見方が変わるってことだけでも、十分面白いし、意味あることだと思うけどね。それ以上の「意味」がなければいけないっていうものじゃないでしょう、アートなんだから。
生徒C____たしかにそうだね。でも、そういう体験を通じて、身の回りのさまざまなものをを「素材」として、今までとは別の可能性を見いだすような想像力を養うことができれば、現実の生活上でも「意味」があると言えるんじゃないかな。
生徒D____工事現場の「ショベルカー」は、もちろん土を掘る機械だけど、それを、〈奇妙な形の鉄の塊〉というふうに見ると、イベント会場の「ゲート」になりそうだ、なんて発想が生まれてくる。そんなふうに、【 】と思う。
生徒B____となると、「ゲンバリミックス」には、「素材を変化させることによる風景異化」だけでなく、「記号」を「引き剥が」したり「変化」させたりすることによる「風景異化」の側面もある、と言えそうだね。
生徒A____なるほど。アートっていうのは、美しいものを作ったり鑑賞したりするだけじゃなくて、人間の想像力と創造力を触発するものだ、っていうことなんだね。
この生徒Dのセリフの空白部分に以下の5択から適切なものを選ぶという。
①:その場にあるものをうまく利用してアートイベントを効率的に運営していくことは、現実を生きる知恵にもつながる
②:旧来の芸術にはなかった実用的な視点をも取り入れることで、社会に共有されるアートとして存続することができる
③:ものや場所を惰性化した既成概念から解放することで、世界に対する新しい視点をもたらすことも、アートの役割だ
④:認識の主体としての人間にとって世界は記号的意味の集合体なのだと明らかにしたことが、現代アートの功績なんだ
⑤:社会の約束事を守りつつ、人々に共有される場所の記号を一時的に書き換える試みは、アートの創造性に通じている
なるほど、どれもそれっぽい感じがするが...。
本書をお読みになった方は、どれが正解か分かるだろうか?
その後、最後の問6は文章の表現と構成・展開についての(ⅰ)適切なもの、(ⅱ)適切でないものを選ばせる問題と続く。
あんまりこんなことを意識して書いたつもりはなかったが、言われてみると確かにそんな構成と展開になっている。問題作った人に解説してもらうと自分の無意識も浮き彫りになる。
「解答・解説」には、正解とその理由、アドバイスなどが書かれていて、こちらの方が著者としては勉強になる。〈出典〉として著者の紹介の後に、〈問題文〉として本書を取り上げた理由がこのように書かれている。
「大学入試センター試験評論問題に関し、近年の傾向をまとめてみると、
・分量的には3,500〜4,500字程度の長文
・内容的には08年以前には哲学系および芸術・文化論系の文章が多く、09年〜11年には社会論系の文章が、12年には広義の哲学系の文章が、13年・14年には文化論系の文章が、15年〜17年には社会論系の文章が、18年には心理学をベースとした広義の哲学系の文章が出題された。
・15〜18年は、いわゆる〈入試頻出テーマ〉と重なる部分を持ちつつ、そこから一歩踏み込んだ論点をも含む文章(既成の知識にとどまらず、本文の論旨をその場できちんと追いかけ、読み取っていく読解力が求められる文章)であった。
・全体として近現代の知や社会の枠組みを問い直すような文章が、多く出題されている。
・16年・18年には、学習指導要領に〈言語活動の充実〉という学習目標を意識した、生徒の会話の形式をとった設問が出題された。また、18年には図(写真)を含む文章が出題され、それにふれた設問が出題された。
以上を踏まえて今回は、4,000字を超える長文で、図(写真)を含み、文化・芸術論をベースにして知や社会の枠組みを問い直そうとする論旨の文章を出題した。また、独自の視点や用語法を含む文章であり、本文の論旨をその場できちんと追いかけ、読み取っていく読解力を必要とする点でも、センター試験評論問題の傾向に沿うものとした。」
なるほど、こういう視点で問題が選ばれているのだと知る。
大学入試の問題に選ばれるということは、高校生でも一応読解できるほどの難度の文章になっていると理解して良いのだろうか。
それにしてもこうして設問にされると、文章として少々難しいような気もする。だから次に書くときはもっと簡単な文章を心がけた方がいいのだろうかと悩むが、そうなれば現代文の問題としては取り上げられなくなるのかもしれない。
いずれにしても自分の書いたものから設問がつくられて、それを自分で解くという体験は滅多にないので、貴重な機会を頂いた。感謝。