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79年前の8月15日の暑さに思いをはせる

79年前の8月15日、日本は敗戦の日を迎えました。
その日も、さぞや暑かったことでしょう。現代ほどではないとしても、、、

すでに他界した父は、16歳の誕生日を迎えたばかりでした。
そのときの父の目に映った東京の景色はどんなだったのだろうか。
現在私たちが目にすることが出来る、終戦直後の銀座の街の写真そのものだったのだと思うと、心が痛みます。

もう少したつと、「ゴジラ -1.0」みたいになってたんでしょうか(・_・)

小学生の頃に父から聞いた戦争の話で覚えているのは、

東京大空襲で焼夷弾が町を焼き尽くしたこと。
私の叔父に当たる人が戦地で亡くなり、帰ってきた箱には石が入っていたとこと。
栄養状態が悪い中、軍事教練で身体を壊したこと。
などなどでした。

小学生には理解できない話でした。
父はだんだん戦争のときの話をすることは無くなっていきました。
記憶の奥にしまってカギをかけてしまったのかも知れません。

私が生を受けたのは、敗戦の日から12年後でした。
焼け野原だったあの日から、たった12年しか経っていなかったのに、産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。という気持ちで一杯です。
いくら感謝してもたりません。

そのくせ自分は、父の最晩年には意見のくい違いなどがあり、よい関係とはいえない状態のまま、父を亡くしました。

そんな私にできることは、彼岸、お盆に墓参りにいくことと、
実家に行ったときに仏壇に手を合わせること、
8月15日には、父が少年の日に経験した戦争の記憶を思い出すことでしょうか。

後悔先に立たず。
自分が死ぬときには心残りがないようにしたいですが、、、

暑い8月に生まれた父。
今年も暑かったですが、
8月15日の暑さは父を思い出す暑い日です。

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