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はじまりの物語㉛ 熱
醍醐天皇の法要以降
ときおり一水は宮中に説法に招かれるようになった
説法といいつつその実、
めっきり年老い気力が弱った宇多法王とそのひ孫
後の村上天皇となる成明(なりあき)様の話相手である
父、醍醐天皇をたった4つで失くした阿古に
宮中で目の前にいる法王の膝に載り
漢詩を諳んじていた子どもの頃を懐かしく思いだす
漢詩に加えて今、主流の和歌も学ぶ
若木が水を吸い上げるように、どんどんコトバを
吸収する姿に目を見張る
一水は存分に枝を伸ばした成木だ
しかし、一つずつ年輪を重ね大きく強くなっていく
いや、強くなっていけるよう精進せねばならない
市井の一法僧ばかりを贔屓にしていると
うわさになるのをさけ、一水を呼ぶときは常に
他の僧侶もよばれていた
修養の末、高慢となり明らかに見下す僧もいれば
分け隔てなく接し、寧ろ一水の游行の経験から
聞き学ぼうと聴講を望む僧侶もいた
お互いに修験の場は違えど現世で励むもの同士
いつでも協力するという言葉が嬉しかった
市井では、十一面観音像を後ろに背負い
なむあみだふ との称名を広め
力仕事であっても惜しまずに力を尽くした
自らは空に浮かぶ水であろう、
落ち着いた澄んだ心でいよう、と思っていても
心乱れ、天に慟哭したくなることも度々あった
宇多法王が崩御して2年後、
京都地震で大きく2回大地が揺れ動いた
いよいよ地方も朝廷の威光に陰りがでたのか
奥州平家の内紛に藤原純友による海賊行為が勃発する
衆生の生活にも落ち着きがなくなってきた頃
前よりはるかに大きな地震が京の都を揺るがした
4月15日、後に天慶地震とよばれる大地震だ
宮中でも4名亡くなるほどのひどい揺れ
市井などひとたまりもなかった
修繕も食料も何もが皇族貴族大きな寺が優先だ
気温が上がるにしたがって衛生状態も悪化する
念仏を唱えて浄土になんてと、唾を吐きかけられる
こともあった
忍従の徳、これほどまでにつらい状況にあって
修身することなど、とてもできることではない
ひとりで忍従する必要などない、
仏に向かって祈りを伝えてほしい
それできっと軽くなる
浄土にそのままうつるのだ
仏はきっと見捨てはしない
だからこうして私はここにいるのだ
でも私一人ではとても映しきれない
もっとたくさんの人で、たくさんの救いを
表に裏に協力してくれるものを募り
一人ひとりには若干であれども
来る日も来る日も
握り飯と梅干しとこぶをいれた茶を施した
朝廷よりもっと高いところから
天の仏様が見ていることを伝えるために
寺と仏像の建立にも力を注いだ
寺の名は達谷西光寺から頂き西光寺とする
寺に昔、蛇と出会ったときに預かった大きな玉
それを宝珠として仏像と一緒に祀った
蛇も寺に願いにくるものの『重い』を懸命にのんだ
豊かなときの願いと瀕しているときの願いは違う
より生そのものへの願いだ
生をなによりも慈しむが故の生宣り(いのり)だ
それが天帝、一水のいう仏に届かぬわけがない
『届け・届け・届け』
もう一葉であった頃の一人の熱ではない
あたたかな空気が流れ込むように
みなの願い、皆の祈りとなって
少しずつ、だが着実に大きくなっていった
締め切りに追われてボルテージが上がってきました
大丈夫でしょうか
『禅定』大きくひとつ深呼吸