人気歌手オリヴィア・ロドリゴがアラフォー女に刺さるのは、“中島みゆき”っぽい魂が感じられるから。
「オリヴィア……、なぜ君は20年前に存在してくれなかった……」。
まもなく不惑を迎える私は、心底そう思う。
ライブの客層はもちろん、ファン層も10代から20代が圧倒的多数を占めるなか、アラフォーの私が熱心に推す歌姫、オリヴィア・ロドリゴ。
私が若者文化の中心にいた時代、
流行っていたのは大塚愛の『さくらんぼ』だった。
街じゅうにその曲が流れていたし、
カラオケでは男子が女子に歌わせて喜んでいた。
今聴けば「可愛らしくて微笑ましいいい曲」だと思う。
なんなら最近は、
「こういう気持ちを忘れないまま、結婚生活を送り続けたい」
という想いで、たまに聴いている。
だけど20歳そこそこだった当時は、その良さが理解できなかった。
『さくらんぼ』を全力で歌ったり聴いたりしても、気が晴れなかったのだ。
というのも、人口1万人の田舎町で育ち、大学進学で上京したばかりだった当時の私は、大都会東京で希望と混乱と絶望……という感情の渦に飲み込まれ、言語化できない鬱憤がたまっていたからだった。
世の中そのものはもちろん、
到底理解し合えない世界線に存在している東京の女性、
そして特に異性は
『さくらんぼ』が表現するものよりもっと理不尽で残酷であると感じるのに、この曲には(当たり前だけど)恨み節ひとつない。
私は“魂の叫び”のような歌を欲していた。
それを体現してくれていたのが、中島みゆきだった。
母がたまに歌っていたので知ってはいたけれど、もっといろんな曲を教えてくれたのは、新潟出身の同級生Nさんだった。
カラオケで他の同級生と歌っても、聴いている人は「どうノッたらいいか、よくわからない」というような顔をするので、普段は“津軽海峡冬景色”くらいで抑えておいて、Nさんとカラオケに行くときには思いっきり中島みゆきを歌ったものだった。
内側から湧き出る劣等感から、わずかな光を信じる希望まで、中島みゆきの曲は、とても救いとなった。
話は逸れるが、当時の流行ファッションも私には窮屈だった。
時はエビちゃん全盛期。“モテ”こそ全てであり、ファッション誌は「いかに異性に好かれるか」という価値観が席巻していた。
ファストファッションもなかった時代、仕送り生活で東京の人に合わせるのは大変だったし、特にしたいとも思わなかった。
2024年の今も、流行りこそあれど、媚びすぎないファッションが市民権を得ているのは素敵だし、この時代に生まれたかったなぁとぼんやり思うこともある。
話は戻って、オリヴィア・ロドリゴだ。
10代で感じる焦りや自己嫌悪、そして誰かや何かを喪失した経験から紡ぎだされている、まるで日記のような叫びが生々しい。
時に自分をこき下ろし、時に相手への嫌悪や嫉妬、劣等感をむき出しにする。
『deja vu』という歌では、元カノの立場から「自分といたときにしたデートを、元カレが新カノにも繰り返している(まるでデジャブ)」という皮肉を歌っていて「あ、なんかそれ似たようなことが私にもあったぞ」と思う。
彼氏とデートをしていた時に私が見つけたお店を、別日に彼が“女友達”と2人で行っていたのを知って、後日激おこした件。
「あんたは私の叡智を我が物顔で別の女性に使ったわけだけど、それをして満足だった?」というようなことを100倍くらいキツくして言ったのは、今はもう笑い話である(そんなにキレ散らかしたのに、その後結婚したので)。
また、『happier』という曲では、
元カレに対し「幸せになってほしい」一方で、
「私と一緒にいた時よりは幸せにならないでほしい」
という気持ちが描かれている。
元恋人に対して「幸せになって」っていう気持ちはウソではないものの、
自分といたときが一番幸せだったと思ってほしいっていう気持ち、
絶対あるでしょ?
もしくは、自分が不幸なのに、相手だけ幸せになってほしくない……
みたいなドス黒い気持ち、あるでしょ?(……ないですか?)
ともかくオリヴィアは、そんなネチネチした感情を、
ポップな音楽にのせて歌うのである。
そんな女性歌手は、中島みゆき以外に私は知らない。
いるかもしれないけど、私のプレイリストにはない。
だからこそ、アラフォーにはあまり流行ってなくとも、
私はオリヴィア・ロドリゴが好きなのだ。
「20年前に存在していてほしかった……」そう思いながらWikipediaを覗くと、オリヴィア・ロドリゴの年齢は「21」とのことだった……。
そんな若かったのか!
どおりでファン層が……。
オリヴィア、20年前……、君はまだ赤ちゃんだったんじゃん。
そんなオリヴィアの生歌を聴きに、明日、ライブに行ってきます。
楽しみや感動をありがとう。