
No!!を受け入れる勇気。
偽善な律法学者、
パリサイ人たちよ。
あなたがたは、わざわいである。
あなたがたは
白く塗った墓に似ている。
外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
マタイによる福音書23章27節
皆さま今晩は(^^)ごまふです!
ここのところのぴっちゃんは、自我カンブリア大爆発が激しく…笑
とうとう「いやだ」と「だ」まで言えるようになって…毎日翻弄されっぱなしです😅
(自我カンブリア期については、こちらをどうぞ(^^)↓↓)
朝の着替えから始まり、食事、外出、家遊び、歯磨き、お風呂🛁、就寝するタイミングまで…
兎に角、自分が納得しないならば、それがどんなに正しく(微妙にニュアンスが違いますが💦)、すべき事であったとしても、、
「いやだ」
と言い張ります😊💦💦
それでも生活しなくちゃいけないから、親が無理矢理行いますが…最後まで抵抗し、泣き喚きます〜おぉぅ。。。
しかし、
これだけ自分の気持ちに忠実に行動できるから、子供ってやっぱり、凄い…!
生活をしていると、様々な場面で色んな事が起こりますが、
果たして、私はどのくらい「心から」喜んで、色んなことを行っているだろうか…?
本当は苦手だったり、やりたくなかったり、納得できていなかったとしても、
子供の時は周りから「良い子」「優等生」に見られたくて、大人になってからは「良い人」と思われたくて、
本音とは裏腹に行ってきた事もあるなぁ。
そう、気付かされました。
勿論、
たとえ苦手でも、やりたくなくても、行うべき事はどんどん行った方が良いですし、行える事は偉大です。
そうしつつも、
「苦手だなぁ」とか「なんでやらなきゃいけないの…?」と、積極的になれない自分の気持ちを、
否定せず、どこかでちゃんと、受け入れ受け止める必要がある。
そんな自分の気持ちを誤魔化したり、自分自身を責めるのではなく、
その気持ちとどう向き合っていくのか…それが大切なんだなぁ、と気付かされました😕💡💡
冒頭の聖句は、2000年前、当時形式的に信仰生活を送っていたイスラエルの人々に対し、イエス様がそれを見抜かれて、ズバリ仰られた場面です。
幸か不幸か、そこに真心が伴わなくとも、行うことができてしまいますし、やりたくなくてもやらなきゃいけないことが、多いのも事実です😓💦💦
一方で、
しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。
わたしはすでにその人を捨てた。
わたしが見るところは
人とは異なる。
人は外の顔かたちを見、
主は心を見る」。
サムエル記上16章7節
(他にも色々な箇所で仰られていますが)神様は、どんな時も、まず心をご覧になります。
よく牧師先生も、
自ら行いなさい。
先に、愛しなさい。
このように教えて下さるのですが、
自ら行う為には、先に、愛するためには、
自分自身が「心から」やりたい!と願わなければ、愛したい!と思わなければ……到底難しいです。
叶うならば…いつだって、喜んで真心で行える人になりたいです…😊
今まで自分が行ってきた、様々な多くのこと、行えた事にまずは感謝して、
これからは、もっともっと次元を上げて、もっと喜んで行えるように、
自分の気持ちと、また向き合ってみたいと思います(^^)ノ🍵
最後に、こちらの聖句をどうぞ🤲
22:37 イエスは言われた、
「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
22:38 これがいちばん大切な、第一のいましめである。
22:39 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
22:40 これらの二つのいましめに、
律法全体と預言者とが、かかっている」。
マタイによる福音書22章37〜40節
それにしても。
子供を通して学ぶ事が、本当に多い。
ぴっちゃん、凄いなぁ…(^^)✨✨
(当サイトで掲載の写真・イラスト・文章等の転写・複製・スクリーンショットを禁じます。)