小説|雪の娘
窓の外にある景色は、冬だというのにまだ灰色に光っていた。炬燵に入らなければ寒くてやっていられないけれど、やはり視界が雪で覆われていなければ、冬になったという実感がわかないというものだ。川は凍って波の時間を止め、土には霜が降り盛り上がる。けれども、どこにも雪だるまはいないし、白くなった山もないのだった。
「どれもこれも全部あたしがわるいんだけどねー」
炬燵に手を入れ、全身で温まる。冬の国にいるからといって、寒さに強いわけでもないのだ。この季節の王でさえも、仕事の時以外は暖かい恰好をしている。あの小さな王様が防寒着を着ると、それはそれは可愛いのだった。
私は世界の季節を管理する、また別の世界にいた。季節が必要なところには私たちがそれぞれ出向いて、景色を変えてゆく。各季節にはそれぞれを支配する王がいて、その下に細かな調節をする管理者がいるのだ。私もそのうちの一人、冬の国の雪を管理する者だ。
それだけ大層な肩書きを持っていたとしても、仕事があるのは年に一度だけ。四季がない国は王が訪れるだけで雪が降ってしまうほどに土地が弱いから、私には仕事が回ってこないのだった。だからこうやって、炬燵に納まりぬくぬくと一日を過ごしているのだった。
「だってあたしがいっても嫌がられるんだもん。雪なんか降らなくっても、みんな困らないもん」
一人呟き、床に寝転がる。ホットカーペットもいい具合に温まっていた。あぁ、ずっとこうやっていることができたらなんて幸せなんだろう。暖かいところで寝るだけの生活。秘かな夢だ。
微睡みに身を傾けたところで、けたたましい音が部屋中に鳴り響いた。
「これはやばいやつだねー。王様からの直々の登城命令だねー」
流石にこれを無視するのはやばいだろう。仕事を失うのは、ちょっと厳しい。
私は名残惜しく炬燵に別れを告げ、支度をして部屋を出た。
□
「どうしてそんなにも仕事をしないのですか? もう冬も半分を過ぎようとしていますよ!」
「だって雪が降ってもみんな嫌がるだけだもん……」
「皆って誰です?」
「世界の人たち……」
「どうしてみんながみんな雪を嫌がると分かるのですか?」
「それは……」
さっきからずっとこの調子だ。王の部屋に呼ばれたはいいけれど、同じところをぐるぐるとまわって先に進めない。
私が言葉に詰まると、彼女は小さな頭に手を当てた。大きな溜息は白く、一気に部屋が寒くなる。子どもほどしかない小柄な体には不釣り合いな革の椅子に座り、角ばった机の上にいくつもの書類を重ねていた。
私だって、やろうと思えば一瞬で雪を積もらせることだってできるのに。ただ、炬燵が温かいから、私を愛してやまないから外に出られないだけなのに。皆が嫌がるかどうかは知らないけれど、少なくとも大人には、いい顔をされた記憶がない。
彼女はもう一度溜息をつき、椅子から飛び降りた。私のところまで来るが、その身長差に彼女の首が傾く。
「いいですか? 私たちは冬を司る季節にいます。花を咲かせる春や背を伸ばす夏、色を変える秋に比べたら仕事の少ない季節かもしれません。ですが、それだけ一つの仕事に対する価値は大きくなります。私たちがしなければならないのは、すべてのものに安らぎを与えること。動物を眠らせ、蕾を凍らせ、一切の音を吸収して静寂な世界を作り上げます。そうすることによって、すべてのものには休息が与えられ、来る春には、最善の状態で活動を再開することができるのです。私の仕事は季節を変えること。あなたの仕事は、なんですか?」
厳しい目をして問う。
「……雪を降らせることです」
「そうですよね。だからあなたもユキと呼ばれているはずです。あなたは皆を鎮める雪を降らせなければなりません。好きとか嫌いとか、そういう問題ではないのです。もし出来ないのならば、あなたにはこの仕事を辞めてもらいます」
王は、冷たく吐き捨てた。予想はしていたけれど、その言葉を聞いた途端に背筋が凍る。指先の震えを止めることはできなかった。
「……わかりました。明日、世界に雪を降らせてきます。そうすれば、やめなくてもいいですよね?」
「はい、やってくれるのならば、それで構いませんよ。あまりにも部屋の中に閉じこもっているのならば、そのまま外に出られないよう隔離することも出来ましたが……。それでは明日、よろしくお願いしますね」
それだけ言い、彼女は私を追い出した。閉じられた扉にもたれかかり、小さく溜息をつく。
「……やってやるしかないか」
明日一日だけ、炬燵とおさらばしなくてはいけない。少しさみしいけれど、これさえやってしまえばまた夢のような生活ができるのだ。気合を入れて雪を降らせなくては。
□□
日付が変わる前に炬燵から抜け出し、着ている服をすべて脱ぐ。温かかったセーターも重ねたジャージも、すべて放り投げた。クローゼットから仕事着を取り出し、袖を通す。白いノースリーブのワンピースに、雪色のパーカー。髪を結わえて纏め、雪の結晶があしらわれたピンで留めた。
「よし」
これで準備は万端だ。あとは世界に出て、めいっぱい雪を降らせるだけだ。北の方は多めに、広い海の方は少し加減して、南の方はちょこっとだけ。今まではそうだったけれど、今日までまったく雪が降らなかったのだ。バランスを取るためにも、これまでの分一気に降らせたほうがいいかもしれない。そうと決まれば善は急げだ。ちゃっちゃとやっちゃおう。
世界を繋ぐ扉を潜り抜け、私は季節が移ろう世界にやってきた。国に比べたら寒くはないけれど、きっとこの世界の生き物にとっては厳しい季節なんだろうな。そんな中に雪を降らせてしまうのは申し訳ない気もするけれど、こればかりはしょうがない。
「さて、いくよ!」
私は両手を広げ、胸いっぱいに息を吸い込んだ。見る見るうちに鉛色の雲が空を覆い、あたりの気温が急激に下がる。雲越しに蠢く人間たちを眺めてみる。みな、突然の寒さに驚いているようだった。首を縮め、温かい建物へと逃げ込んでいく。
嫌われちゃうのはしょうがないかもしれないけれど、冬の間だけ我慢してくれればそれで終わりだから。
届かない言葉を胸の中で唱え、一気に息を吐き出した。真白な吐息が一面に広がり、鈍色の雲に染み込んでゆく。静かに透過していく、私の分身。世界の空気に触れた時、それは雪となって地上に降り積もる。
「あ、雪だ!」
「最近降らなかったけど、ようやく降ったかー」
「車動かすのは大変だけど、降らないと冬になった気がしないよねー」
「ね! それになんだか、今年の雪は柔らかいね。とても、温かい」
人々の声が、反響して私の耳に届いてくる。それらはどれも、私の予想したものとは全く違うものだった。
みんな、喜んでくれている。雪を、歓迎してくれている。
なんだかうれしかった。胸の奥から湧き上がる暖かな感情が、身体中に満ちていく。
私はそのままの勢いで、世界中を駆け巡った。息を吸っては吐いて、真っ白に変えてゆく。電球が巻きつけられた大きな樹には雲のように。家の屋根の上には分厚く乗せる。色に溢れた世界を雪の白さで埋めていく。翌朝起きた子供たちは、庭に積もる雪を見て目を輝かせるのだろうか。雪を見て、喜んでくれるのだろうか。そうだったら、私はこの仕事を続けてもいい様な気がしてきた。炬燵の温かさも魅力的だけれど、この、目じりが熱くなるような温かさは、この時にしか味わうことのできないもの。どうしてこんな素敵なものを手放さなくてはいけないのだろう。
世界中に雪を降らせたところで、私は冬の国に帰った。
窓の外から眺める雪景色は、どうなっているのだろう。みんな、笑ってくれているのだろうか。