小説|オニノコ
01
空は雲一つない青空だった。太陽の光が鋭く降り注ぎ、髪の毛は焼けるように熱い。古びたアスファルトも熱をたっぷりと吸収し、もはや素足では歩けなかった。
セミの鳴き声が騒がしい午後三時。夏休みも佳境に入った八月の初め。
僕たちは部室にいた。
部室といっても大した設備は整っていない。コンクリートで作られた箱も同然。窓と出入り口が対になって壁に配置され、かろうじて風は通るものの決して涼しいとは言えなかった。クーラーも扇風機もない。それどころかコンセントがないのだから、いくら設置したくてもできないのだ。
夏服のシャツをだらしなく出し、裾をひらひらさせて風を送り込む。入ってくるのは生ぬるい空気だけだった。
「あちー」
「あ、一樹、それ禁句」
「はい十円募金ー」
僕が思わず愚痴ってしまうと、待っていましたと言わんばかりに言葉が飛び交う。勝手なルールを作り出したジュンと、募金箱と嬉しそうに抱えるタケル。この二人と僕との三人で、『なんちゃって文芸部』を結成しているのだった。
なんちゃってなのだ。だからこの部室も公式に割り当てられた場所ではなく、ハンドボール部が大昔に使っていた場所だ。当のハンド部は全国大会常連になったことで新しい部室と練習場所が与えられたため、この場所を使いに来ることはない。教員もこの場所については都合のいい倉庫としか思っていないようで、授業で使わなくなった古い教科書や参考書のサンプルがダンボールに詰められて埃をかぶっていた。
彼らが暑さに気を取られて忘れることを願っていたのだが、意外に執着していた。僕も渋々財布から十円玉を抜き取る。タケルはそれを瞬時に奪うと、箱の中に入れた。ちゃりん、と小さな音がする。
「毎度ありぃー」
その箱を大事そうにダンボールの上に置き、拾ってきたパイプ椅子に座り込んだ。
その様子を見てから、ジュンが口を開く。
「それで、だ。俺たちの夏休みももう半分だ。高校生としても思い出を残したいところだが部活としても何か作っておきたい」
なんちゃってなんだけどねぇ、とタケルがつぶやく
「そんなことはどうだっていいんだよ。それでな、さっき思いついたんだが、俺たちで部誌を作ろうぜ」
「「部誌?」」
僕とタケルが声をそろえて言葉を繰り返す。
「そう、文芸部がよくやるあれだ。普通は印刷会社とかに頼むらしいんだが俺たちにはそんな金はない。なんちゃってだからな。だから学校の設備でやる。国語の田口さんあたりに言えばやらせてくれるだろう。
だがやり方なんてこの際問題じゃないんだ。今回俺たちがやろうとしていることには別の大きな目的がある」
そこでジュンが口を閉じた。続きがあるだろうからと僕たち二人も喋らないようにする。
セミが鳴いていた。
風で裏庭の向日葵が揺れている。
ごくり、と唾をのむ音が聞こえた。
そして満を持して、言葉が発せられる。
「小説を書くにあたって重要なことは、文字だけであたかもその景色を見たかのように錯覚させることだ。言葉の流れだけで風景を可視化すること。これができれば、小説家としての第一歩を踏み出せるわけだ。
さてここで一樹に問題! この条件を達成するために必要なものは?」
突然のフリに戸惑いつつ、らりと横を見てタケルに助けを求めたが、彼は僕たちのやり取りを楽しそうに見ているだけだった。仕方がない。それなりにちゃんと考えてやろう。
「……想像力とか」
「————残念!」
クイズの司会者よろしく悔しがるジュン。
だけど僕もタケルも大して反応しなかったからなのかすぐに真似をやめた。僕もそれに関しては特に言及もしなかった。
そして長いこと間を開けて、ジュンは高らかに回答を宣言した。
「それはな、実体験だ!」
「お、それらしいこと言ってる」
「こりゃ雪でも降るかなぁ」
僕たちの言葉も気にすることなく彼はパイプ椅子に仁王立ちをする。
「夏だ! 部活だ! 肝試しだ! 夏に書く小説と言ったらホラーだろ? だから俺たちがこの町に存在する幽霊山に行って何かしらの経験を積んでくるんだ。この方がリアリティが増すだろ? だから肝試しだ。今日の夜十時に幽霊山の麓に集合な。遅れるなよ」
それだけ言うとジュンは手荷物をまとめて部室を出て行ってしまった。
ぴしゃりと扉が閉められる。
僕とタケルはお互いに顔を見合わせ、そして同時に肩を落とした。こうやってジュンの気まぐれに巻き込まれるのはいつものことなのだが、11年も一緒にいると流石に疲れる。だからと言って放るつもりもないが。
それと、彼が言っていた『幽霊山』というのは、僕たちの町の中央にある山のことだ。正式名は『月影山』というのだが、その性質ゆえ幽霊山などと呼ばれている。
出るらしいのだ。
幽霊が。
僕としてはそういう霊的なものは信じてはいないのだが、クラスの中にも好奇心旺盛な奴がいてさまざまな体験談を持ち帰ってくるのだ。大きな木の枝から首を吊った男の幽霊が見えるだとか、中ほどにある湖に女の首が浮いているとか。
まぁ、どっちだっていいんだけどね。
そういうわけでその好奇心旺盛なジュン君が、また新たな体験談を作るために僕たちを巻き込んだらしいのだ。部誌云々は多分いいわけなんだろうなぁ。僕としてはやってみたかったんだけど。
僕たちもカバンに物を詰め込む。それぞれ夜に備えての準備もしなくてはならない。
「それじゃぁタケル、また月影山で」
「うん、じゃぁねぇ」
ひらひらと手を振るタケルを残して、部室を出る。
まだ時間はありそうだった。とりあえずその時間までは暇である。……寝ているかな。起きられるかどうかはわからないけど。
02
夜になれば暑さがまぎれると思ったのだがただの勘違いだったようだ。それどころか昼よりも暑さが増している。こんなジメジメとした暑さなら、直射日光を浴び続けたほうがまだましだ。
彼が指定した場所に一番乗りで着いてしまった。草むらの奥から声を出す鈴虫の音を聞きながら、人影が見えるのを待つ。
生ぬるい風が通り過ぎて行った。
時計の針はぐるぐるとまわり、ついには11の数字を指す。
「……来ない」
タケルが来ないのはなんとなくわかる。あいつはどこか抜けているような感じだから、きっと仮眠を取るつもりで完全に寝てしまっているのだろう。
だけどジュンはどうしたんだ。あいつは言いだしっぺだろう。
愚痴でもこぼしてやろうかと携帯を取り出す。と同時にベルが鳴った。メールだ。
『悪いけど用事ができたからタケルと二人で行ってきてくれ。ちゃんと結果も教えろよ』
「…………あのやろう」
絵文字も顔文字も何もない素っ気ない短文を送りつけてきたジュン君には明日直々に裁かなくてはいけないな。
さて。
どうしよう。言いだしっぺに放られて同行者にはサボられて一人になってしまった。タケルがいたらあいつに押し付けて帰るところなのだが、残念ながら今ここには僕一人しかいない。
このままサボるという手もあるのだが、いまさら彼との約束を破るのも忍びない。ジュンのことだ。たとえ僕が嘘の結果を並べたとしてそれを疑うようなことはしないだろう。
それを、僕が許せないというだけのこと。
僕は『了解』とだけ打ったメールを返すと、携帯をポケットにしまいこんだ。
山に入る。
山の入り口というのは実際入りやすいものだ。人が良く出入りするおかげで雑草は生えておらず、地面は固い。生えている植物もよく目にするものばかりでまだ山に入ったという気はしない。
そのはずだった。
地理的には昼と大差ない。夜になるとその様子は急変する。人間、暗闇に音が聞こえると恐怖してしまう生き物なのだ。それがたとえただの風だったとしても、聞こえてしまった以上ほかのものと錯覚してしまう。
正直怖かった。
幽霊もそうだが、僕は怪談話やお化け屋敷とかには特に嫌いではないしむしろ面白がってはいる人だ。バラエティとしてとらえている。
楽しいはずなんだけど。
「うぅぅぅぅ、なんかでそうだよぉぉぉぉ」
みっともなく感情を表に出してしまうのだった。
上っていくにつれて、空気が冷たくなってきた。この季節には似つかない冷えた風が吹いている。なんていうか本能的に、これ以上は行ってはいけないような気がする。心理的な錯覚とは別に、無意識下に訴えかけてくる。
「(なんだか急に厨二臭くなってきたな……)」
文芸部として想像力豊かなのはいいことだ。それが現実に紛れ込んでくるともうどうしようもない。
足を止める。
どこに行くかとか決めずにがむしゃらに進んできただけあって、もはや自分のいる場所もわからなかった。周りを見回しても似たような木しかなく、もはや方角など分かりもしなかった。
慌てて目をそらす。
もしかしたら視界に入った木に何かがぶら下がってるかもしれない。それを実際に見てしまったらもう戻れないような気がする。
なんであれ、空想と現実は混じりあってはいけないんだ。
とりあえず地面の傾斜具合から下る方向へと方向転換した。できるだけ周りを見ないように、下だけを向いて歩いていく。
こつん、と足に何かがぶつかった。
そこには、真っ白の棒が落ちている。
いや、真っ白というよりはもう少し黄色っぽいだろう。白人の皮膚のような色を——。
「え、」
転がっていたのは一組の足。
その先端には赤い緒の着いた下駄と、紅の切断面。その中心には何か白いものも見えてしまっている。
もはや、声すら出なかった。自分の中の時間が停止したような感覚にとらわれる。呼吸も拍動も一瞬にして凍りついた。
気づいた時には走り出していた。
どちらに向かって進んでいるかとかもう気にしている余裕などない。傾斜を測ることも忘れてひたすら突き進んでいく。
木の幹は渦巻いて邪悪な悪魔のように笑い、地面から生える草木が足に絡みついて僕の行く手を阻もうとする。その嘲笑とも取れる笑みから逃れるように、あの色白の部品から遠ざかりたい一心で足を動かす。
目を閉じて走っていた。道はもはや見えなくてもいい。ほんの少しでも在る可能性があるのだとしたらそれは排除すべき対象。よって視界を遮断する。
だがそれもうまくいかないようで、道が見えないことは余計に恐怖を増長させるだけだった。幽霊とかそういうのが余計近くにいそうな気さえする。
ずっこけた。長い草に足を絡めとられ思いっきりその場に叩きつけられる。痛さももちろんあったがそれよりもさっきの衝撃で瞼を開いてしまった。周りの風景が否応なしに視界に飛び込んでくる。
山の傾斜も緩やかになり、ほとんど出口のほうにいるようだった。木々の間隔は疎になり道が少しばかり広い。
この中に、それはあった。
道の脇、傾斜に沿って作られたとても長い階段。その表面は苔が生え素材である石も欠けている。ずっと上には真っ赤な鳥居があることから、なるほどここは神社なのかと納得する。
それにしても、こんなところあったか?
僕はこの町で生まれて、ここまで育ってきた。この小さな町を駆けずり回りながら成長している。小さいころにはこの山にもとてもお世話になった。
だから、目新しいものにはすぐ気付くはずだった。
いくら幽霊が出ると噂されていても、事実的な損害がないために親たちも特に警戒するようなことはなかった。一般の自然と同じように、怪我をしないように気を付けて、程度にしか思っていないはずだ。おかげで僕たち子どもは大喜びで山という未知に溢れた世界を長い時間をかけて堪能してきた。
それでも山の中に入ればそれは迷宮で、明かりがなければなかなか抜け出せない。昼間や夕方なら太陽の向きや街の明かりから判断することができるのだが、如何せん夜だとその類の勘も働かない。だから今の僕みたいに迷子になってしまうのだ。
だとしても。この山にこんな神社らしいものがあるなんて知らなかった。石段の劣化具合からずいぶんと古いものだということが分かる。そのまま舐めるように視界を上にあげていけば綺麗な朱色をしたシンプルな鳥居と、中央にぶら下がった提灯。火の明かりが小さく揺れている。
何かが動いた。
提灯の下、石段の一番上に小さな影がある。
「(ま、まさか幽霊じゃないだろうな……)」
それは小さな少女のようだった。おかっぱの前髪に隠れて表情がよく見えない。着ているのは真っ赤な牡丹柄の着物。大きさとしてはもしかしたら浴衣なのかもしれない。彼女は頂上に座っている。
着物が、変なところで折れ曲がっていた。
本来膝で折れ曲がるはずの着物が、なぜかそれよりももっと短く、階段に沿うようにして折れている。
なぜだ?
逃げよう。
そう考えて静かに動いたつもりが、何かしらを踏んでしまったらしい。ぱきりと音がしてしまった。
少女が、つまらなそうに視線をあげる。
僕のほうを見た。
遠くてよくわからないが、視線が合ったような気がする。
凍りついたように動けなくなってしまった。
そして女の子は首をかしげ何かを考えるように顎に手を当ててしばらく動かなくなってしまった。僕の停止も気にすることなく考え、そして納得したように手を叩く。
「なるほど、お兄さんは迷子ですね!」
「…………、」
「そうでしょう。この森は作りが複雑ですからねぇ。わたしもよく迷子になっちゃうんですよ。お恥ずかしい」
「…………、」
「そういえばお兄さんはここで何をしているんですか? あ、それはそうとしてお兄さん。私の足見ませんでした? どこかに落としてきてしまったようなんです。あれがないと帰れなくて……」
少女は溌剌とした声を響かせ、僕の反応にも関心を見せることなく喋りつづけた。座ったまま手を使って器用に階段を下りてくる。それはまるでだるまのようで、ふと気を抜けば恐怖に発狂してしまうかもしれない。
よいしょ、などと可愛らしくつぶやきながら彼女は僕の目の前まで来た。
見た感じ、小学生くらいの背だった。黒髪には艶がありとてもさわり心地のよさそうなものだった。大きな瞳はとても澄んでいて僕のひきつった顔がよく映し出されている。
一つだけ除けば、どこにでもいる和風な少女だった。
何が彼女を普通でなくしているかといえば、足の有無ではなくその頭、髪の間からのぞく象牙色の突起物だった。小規模な円錐が二つ、等間隔に並んでいる。
俗にいう角というやつだ。
僕がいつまでたっても反応しないことが気に食わなかったのか、少女は頬を膨らませて怒る。
「ぶー、なんで喋らないんですかぁ。可愛いキコちゃんが話しかけてあげているというのに。失礼な方ですね」
いや、僕には喋るかどうかの選択肢を持っていないだけなんだが。そんなこともつゆ知らず少女は機嫌を損ねたままだった。
僕もその自由な態度に、徐々に融解していく。彼女の持つ特異性というのは計り知れないが、どこか警戒を解いてしまう自分もいた。危険かどうかといえば、見たところその答えはノーだろう。すぐに被害を被るとかそういうわけでもなさそうだ。
「あっ、と、」
口を開いて腹に力を入れたら声が出た。僕の声に少女はぱっと顔を輝かせ、続く言葉を待っている。
「えっと……。足、だったらそれらしいもの、どっかで、みたかもしれない」
「ほんと!?」
目をキラキラと光らせている。
あぁ、もしかしたらこれ連れて行くパターンかな。
そんなことを思いながら彼女の言葉を待っていたのだが、ふと見てみればなぜか悲しそうな顔をしていた。なぜだろう。自分が探してたものの所在地がたとえ不鮮明にでも与えられたのだ。あ、微妙だからしょんぼりしているのか。
「でも……、わたしこの通り歩けないから探しに行けないんですよ。お兄さんもその様子だと——持ってないですよね。はぁ」
大きくため息をつく少女。
なんだ、これはイケメンにならなくてはいけないのか。『探してきましょうかお嬢様』なんて言わなくてはいけないのだろうか。
でも怖がりな僕でした。
「そ、そんなに探したいなら、僕がおぶっていこ——」
「やったー!」
「——うか」
彼女はにやりと不敵な笑みを見せた。隠しているつもりなのだろうが残念ながら丸わかりだ。どうやら彼女の策略にまんまと引っかかってしまったらしい。
僕の言葉が切れるや否や手を突き出して『おんぶして!』と飛び跳ねていた。ぴょこぴょこと石段の上を跳ねる。
しかたがない、そう自分に言い聞かせて僕は彼女に背を向けた。少女の華奢な腕を肩にかけ、リュックサックを背負う要領で彼女を持ち上げる。足がない分固定に少し難ありだが、でも彼女の軽さと形から大した問題がないことに気付く。
それにしてもこの子はなんなのだろうか。今なんとなく彼女の要望を受け入れ、そしてなんとなくおんぶをしているわけだが、その小さな女の子が足を無くしたといっているのだ。足なんて、そんな気軽に取り外しできるようなものではない。
もしかしたら、人間ではない?
そうすると幽霊か。いや、幽霊だとしたら多分触れないはずだ。いわゆる霊体という特殊な体だからするっとすり抜けてしまうだろう。いや、そもそも僕には霊感なんてないのだから幽霊なんて見えるわけがないのだけれど。
「どうしたのですかー? いきましょう。私の足を探してください!」
元気よく僕の背中で跳ねる少女。
「はいはい、わかりましたよ」
そして僕は来たであろう道を戻っていく。
とはいってもあれの所為で僕はこうやって迷ってしまっているのだ。そう簡単に見つかるはずが——、
「お兄さん! ありましたよ!」
そういって指をさす背中の少女。
その先には小さな白い足が二本転がっていた。切断面は依然紅いままで、片方の下駄が脱げてしまっている。
「…………」
なんでこんなすぐのところにあるんだよ。
そうすると僕は山を一周してしまったのかもしれない。そしてあの石段のところに行ってしまったのだ。
『おろして!』と言わんばかりに少女は身をよじって落ち着きを失ったので、僕は足の近くにおろしてあげた。少女が脚を付けるのを待つ
「あの、お兄さん……」
頬を赤くして呟く少女。
「ちょっと恥ずかしいので向こうを向いていてもらえないでしょうか……」
言いながら着ていた着物の裾を少しめくる少女。そこにはもちろん何もなかったが、その奥には恐らく切断面があるはずだろう。当然、足の付け根は近いはずだ。
それは確かに恥ずかしい。
「あぁ、わるい」
そして僕は言われたとおりにくるりと回る。
そしてかちゃかちゃと何かを弄る音が聞こえた。
なんだ、義足か何かなのか。そうすれば合点がいく。取り外し可能なのも、切断面が変色していなかったのも。そして取り付ける時のこの音も。
そしてしばらく音は続き、そのあとに砂や葉っぱが擦れる音がした。何か感触を確かめるように足踏みをする音も聞こえた。布が擦れる音がすると少しドキッとしてしまうけど。
「よしっ」
少女が満足げに呟く。
そしてまた一つ金属が擦れる音がしたところで、少女は言った。
「もういいですよー。どうですか?」
彼女の声に僕の身体も回転していく。そして彼女の全貌を、完全な姿を見た。
その時、一つの違和感があった。
視界にはない。
身体が熱くなる。
彼女はとても白い肌をしていた。足がつき、余計にその姿の完璧さを際立たせている。
裂けるような痛みがあった。
「(なに、これ)」
腹よりも上、肋骨の間をすり抜けるように何か異物の存在を感知した。
そこは異様に熱く、大量の体液が飛び出している。
体中から力が抜けていく。
体温も徐々に低くなってくる。
彼女の牡丹柄の着物はより赤くなっていた。少し粘度を持った赤い液体をかぶり、表面は艶やかに月光を反射している。
その口物は賤しく吊り上っていた。
とても楽しそうで。
とても嬉しそうで。
でもその目はどこか悲しそうだった。
「きみ、は……」
僕の声も意識と同時に小さくなっていく。
感覚がどんどん遠ざかっていく。
あぁ、これは。
ぬるりと何かが引き抜かれた。
彼女がそれを掲げる。
先が四角い薄刃包丁だった。
なるほど、僕はこれに心臓を貫かれたのか。
「 」
彼女の声も、僕には届かなかった。
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