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小説|魔女のお姫様

 童話の中のお姫様は、いつも幸せな結末を迎えて物語を終わらせていた。私も同じ姫として、誰もが羨む幸せを手に入れたいとは思うけれど、それはきっと無理だろう。私には幸せなど手に入れることはできないのだ。彼女が現れてから、私の世界は変わってしまった。彼女のせい、とは言わないけれど、きっと今までの世界には戻ることはできない。相手の国の王子が妹を選んだからといって、姫の称号を彼女に譲らなくてはいけないことは、私にとってとても辛いことでもあったけれど、考えようによっては、無駄に厳しい規律を守らなくても、責任に追い回されなくてもいい生活が待っているということだ。それはいいことかもしれない。
「ねぇ、お姉ちゃん。このドレスどう思う?」
 妹がたくさんの箱を抱えて私の部屋にやってきてから一時間ほどが経過した。今晩開かれる舞踏会に来て行くドレスがどうしても決まらないらしい。純白のドレスで行くか金色のドレスで行くのか、決めかねているというのだ。どうして私に決められると思ったのかはわからないけれど、私がどちらかを宣言しない限り、彼女はここから居なくならないだろう。少し付き合うくらいなら姉として嬉しいことだが、こうも長い時間ここにいられても困る。
「私はこの白いもののほうがいいと思うけれど」
 マネキンに着せてある真珠のように輝くドレスを指差して答える。
 すると妹はうれしそうに笑った。
「あ、やっぱり! あたしもこれがいいと思ってたの。きっと彼も喜ぶと思うし。けど……」
「けど?」
「シンデレラが着ていたドレスと同じ色をしているから、もしかしたら日付が変わると同時に私は丸裸になってしまうかもしれないわ!」
 恥ずかしそうに顔を真っ赤にして手で覆う。なんとかわいらしい妹だろうか。そんな童話の中の話を本当のことと信じているだなんて。
 私は彼女の肩に手を置いた。
「大丈夫よ。あなたは恵まれた姉と母親の元にいるわ。魔法に頼らなくても十分に綺麗だもの。それに、もし魔法がかかっていたとしてもシンデレラは最後にはハッピーエンドを迎えているわ。きっと、大丈夫よ」
 彼女の不安をあおらないように、そして彼女に伝わりやすいように言葉を並べる。私の言葉を聴いて彼女は気を良くしたのか、太陽のように輝いた笑顔を振りまいて立ち上がった。
「そうだよね! ありがとうお姉ちゃん。あたし、このドレス着ていく!」
 そういって彼女はたくさんの箱とマネキンを両腕に抱え、部屋を出て行った。
 扉が閉められる。
 急に、緊張が解けたかのように空気が緩む。私も伸びていた背筋が曲がってしまった。そのまま整えられたベッドへと倒れこんでしまう。
「これでよかったのかしら……」
 私のつぶやきは黒くなった天井へと吸い込まれていった。
「別にいいんじゃないの?」
 唐突に、声が聞こえた。彼女が戻ってきたのかと思ったが、これは男性のものだ。彼女はこんな声をしていないし、王子もこんな低くしわがれた声ではなかったように思える。
「誰?」
「ここだよ」
 その声は見晴らしのいい窓から聞こえていた。見てみれば、そこには一羽の黒いカラスがとまっている。不吉な鳥だ。
「どうしてあなたはここにいるの? どうしてあなたは人の言葉を話せるの?」
 私の問いに彼は呆れたように笑った。
「どうして、か。それは君が一番分かっているんじゃないのかい? 僕がここにいるのは少なくとも僕自身の意思じゃないよ。君に呼ばれたから来たんだ。人間の言葉を話せていると思っているのはただ君がそうだと思っているからさ。だって、僕は君に呼ばれたんだからね」
 そういって彼はガラスを嘴で叩いた。入れろ、ということらしい。
 私はこんな薄汚いカラスを呼んだだろうか。カラスといえば、鼻が大きく腰の曲がった醜い魔女の使いであったはずだ。童話の世界では、数々の姫に悪いことをしている。いや、童話はここでは関係ない。ここは現実の世界なのだ。
 半信半疑で窓を開いた。彼は羽ばたくことなく器用に部屋へと入り込み、そばにあった机に立った。首を回し、三度瞬きをする。
「さて、と。それじゃあ本題に入ろうか」
「ちょっと待って。私はあなたを呼んだ覚えはないわ。それに、魔女とだって関わりを持ったことは——」
 彼の大きな笑い声が私の言葉を遮る。
「そんなことか! まぁいい。ちょうどいいから教えてあげるよ。
 ひとつ。魔女というものは別に鼻が大きく腰が曲がった醜い人間を言うんじゃない。それはあくまで外見的な話だ。魔女というのはこの世界にはたくさんいる。性別が男だって魔女になるんだ。その心に闇が溜まればね。あらゆるものへの怒りや妬みが心の奥に溜まると、その人は魔女へとなってしまう。たとえ外見がすばらしい女性だったとしても」
 彼は私の目を見据えた。
「だから君は魔女になったんだ。感情を常に胸に持ち表現していたのならばこんなことにはならなかっただろうが、君は表面に出すことも半無意識においておくこともしなかったみたいだね。最初から、その感情が出現したときから、君は心の奥に溜め込んでいたんだ。だから今まで苦しくなかった。今まで受けていた光を妹に横取りされても、何にも思わなかったんだ。むしろいいこことだと考えもした。けれどそれは間違いだよ。自分のものを勝手に奪われ、さらには本人が何の悪気を感じていないのならば、それは怒るべき対象だ。それは妬むべき対象だ。それは憎むべき対象だ。けれど君はそのようなことはしなかった。すべて飲み込んで自分でも見えない深い暗闇に落とし込んでいたからね」
 彼の低い言葉がまだ耳の中で響いている。不快な音だった。けれど、彼の言っていることはきっと正しいことなのだろう。私はもう少し人間らしく生きるべきなんだ。
「でも、だから私は魔女になったというの? お姫様に悪いことをする悪者に?」
 そうだとしたら、きっと私は妹を傷つけてしまう。それは避けたいことだった。どんなことをしてでも。
「そうだよ。君は魔女になったんだ。けれど傷つけるための存在というわけではないよ。感情を表現する術を見つけただけにすぎないんだ。その矛先が今まで光を浴びていたお姫様に向かっていただけで、何も全員が全員彼女たちを傷つけるためだけの存在というわけではないよ」
 彼は机から飛び降り、私のほうへと歩いてくる。
「君はたった今、人間らしく生きる可能性を手に入れたんだ。醜く汚い人間という種族を代表するような、感情を表現する方法を知ったんだ。それをどのように扱うかは、君次第だよ」
 彼はそう言い、私の肩に飛び移った。まるで本物の魔女とその使いみたいだった。
 私は魔女になってしまったのだろうか。
 けれど、必ずしも傷つけるためだけの存在ではないらしい。腹の奥底から制御できないほどに大きな感情が渦を巻いて今にもあふれ出しそうだけれど、これをきちんと扱うことができたのならば、今まで通りの生活ができるということなのだろうか。彼女を、妹を傷つけることなく、幸せに。
 私は御伽噺のような幸せは手に入れることはできないだろう。普通の人よりは恵まれているだろうが、きっとその心は貧しいままだ。嫌なことは胸の奥に仕舞われ、嬉しいことは泡のようにはじけて消える。私は精巧に作られた人形のようにただ決められたことをやり、お姫様の姉という称号を以ってこの世界の一員となるのかもしれない。
 けれど、この魔女の力を使えば、私はお姫様の座を手に入れることができる。彼女を闇に突き落とせば、私は光を浴びることができるだろう。
 でも、私は光によって溶かされてしまうのかもしれない。不浄な存在は天からの光によって世界から消されてしまう。
 ならば。
 私はこの魔女の力とともに生きてゆけばいいのだ。使う必要はない。ただ、その存在を知っていればいい。必要なときに、少しだけ、手段として使用すればいい。そうすれば私は今までよりは幸せに、生きることができるはずだ。
「……そうだね」
 私は小さくつぶやいた。
 そうだ。彼にお礼を言わなくてはいけない。大事なことを教えてくれてありがとうと、伝えなければ。
「ありが——」
 とう、と言い切ることはできなかった。
 私の肩にはすでに彼はいなかった。その代わりに、机の上に黒い羽がひとつ落ちていた。そのそばには紙が。
『君が感情を爆発させてくれれば、最強の魔女になれたかもしれないのに。でも、僕はいつでも待っているからね。今度現れたときは、人間でいられなくなると思ったほうがいいよ』
 カラスにしてはきれいな字で書かれた文章に、私は思わず笑ってしまった。
「……残念でした」
 私はこの先、ずっと人間でいられるはずだ。
 こんなにも清々しい気持ちを心に持てるのは、きっと人間だけだろうから。

【情報】
お題:最強のお姫様(制限時間:1時間)

2012.12.14 10:12 作成
2024.09.26 15:44 誤字・脱字修正

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