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小説|浮かぶ言葉
「『いぬ』『温いビール』『ルビー』で掌編を書かなくちゃいけなくなったんだけどさ」
「何その脈絡のなさ。もしかしてそれってしりとり?」
「あ、ホントだ」
「でもそれにしてもあれだね。書きにくいね」
「でもこれがどう変化するか楽しみじゃない?」
「まぁ、ね……」
もう少し食いついてくるかと思ったのだけれど、彼女はそうは思っていないらしく、すぐに手元の原稿用紙に目を落としてしまった。滑らかに鉛筆が紙の上を走り、彼女の世界を投影していく。そこにはどんな物語が書かれているのだろうか。そっと覗きこんでみるが、僕の目が悪いからなのかその概要をはっきりと読み取ることはできなかった。でも見たところ、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』と『不思議の国のアリス』をもとにした作品のようだった。
僕も目の前の真っ白な原稿へと集中する。この三つのお題から、どうやって話を展開していこうか。そもそも、温いビールってどんな味なんだろう。まだ飲んだことがないし飲める年齢でもないから、こればかりはCMとかを参考にして想像するしかない。想像することは文芸部員の仕事だ。野球部は球を打ち返して点を入れる事が仕事のように、僕たちは書かなくてはいけない。それぞれから連想するものをあげていけば、多分なんとかなるだろう。
僕がいつも気をつけているのは、捻くれたものにするということだ。普通に考えられないような、ちょっと面白い捉え方をしてみることにしている。もちろんそれが上手くいくときのほうが少ないが、それでもそれが書けたときの楽しさと言ったらない。こういうことがあるから執筆はやめられない。犬を主人公として見ようか。どんな犬だっていい。犬の形をしていなくてもいいかもしれない。とりあえず、語り手は用意できた。そうすれば、あとは二つのお題を使って世界を作る。温いビール。それを飲んでしまった犬の話もいいかもしれない。酔っぱらってしまえばどんな脈絡のないことを言っても違和感はないだろう。でも、それだけでは面白くないような気がしてきた。そもそも酔っぱらったことがないし、酔っぱらった人をそんなにじっくり観察したこともないから、多分面白いことは書けない。そうするとビールは飲み物として使うことはできないだろう。ならば、海としてしまうのはどうだろうか。ビールの海。ぷかぷかとうかぶ、ルビーの島。いや、ルビーは星にしておこう。宝石箱をひっくり返したような星空の中、真っ赤なルビーが中心で太陽のように輝いている。ビールの海には小さな島がいくつもあって、そこにはいろんなものが住んでいる。その中のうちの一つにこの犬がいる。これで、お題はすべて消費できた。
一息つこうと鉛筆を止めると、同じく休憩中だったらしい彼女と目があった。そしてあからさまに嫌な顔をする。
「なによ」
「いや、僕も休憩しようと思って」
「休憩? それじゃあ、書けたの?」
「いや、大まかな枠組みだけだけど……」
「見せて」
ぶっきらぼうに手を伸ばし、僕の原稿用紙を奪い取る。矢印とメモ書きが乱雑に書きこまれた原稿に彼女は隅々まで目を通し、何度も目玉を転がして、僕の頭の中を読み取っていった。あらかた目を通し終わったところで、彼女は乱暴に机に置いた。ただの紙切れであるかのような扱いに僕はむっとしてしまったが、意見を述べる隙もなく彼女は口を開いた。
「まぁ、意外性はあるよね。意外というか、単純に変なだけだけど。あのお題からこういう風に発展するのは確かに面白いわね。私が今書いてるお話も少し不思議な感じがするものだけど、それに少し近いかもしれない。
でもさ、いつも思ってることなんだけど、あなたの小説って中身がないような気がするの。不思議な空間で空っぽな文字を覆ってるだけのような気がするのね。ただ文章を書くだけでは小説にはならない。その無意味なところを、あなたは埋めるのではなく覆い隠している。だから、その膜の正体を知っている人たちは、すぐにあなたの小説のつまらなさに気づくでしょうね。ただの雰囲気小説と呼ばれても仕方がないと思うわ。本来ならば、文章に重さを持たせるためには意味を付加しなくてはいけないの。言葉そのものがもつ意味ではなくて、あなた自身、書き手自身が伝えたいと思うことを文字に乗せなくちゃいけない。テーマ、ともいえるかもしれないわね。なぜその文章を書いたのか。何を伝えようとしているのか。それがはっきりすれば、多少世界が平凡でも輝いて読めるかもしれない。まぁ、テーマをはっきりさせて小説を書く人たちは大概独特の空気感を持っているけれど。
あなたには、部分的にでもその世界観は持っているわ。視点は面白いと思うの。だから、今度から小説を書くときは何かしらのテーマを作るべき。別にそんな大層なことじゃなくてもいいのよ? 些細なことでも、これだけは伝えたいと思うものを文章に込めれば、それはきっと伝わるはずだから。設定だけで作られた世界というのはとても崩れやすいわよ。あなたが用意したビールの海も、それだけではなんの意味もなさないけれど、それが登場人物や別のものを象徴するものだとしたら、それだけで十分だと思うのね」
最初の様子からは予想もできなかった彼女の言葉に少し驚いてしまった。あの原稿用紙の置き方だと、あれが悪いこれが悪いとすべてを否定されてしまうんじゃないかと思っていたのだが、そんな表面的なことではなくもっと踏み入った、僕の悪いところを拾い上げた上でしっかりと磨く方法を教えてくれた。やはり、彼女も小説を書くことが好きなのだろう。同じ文芸部員としての役目を果たしたかったからなのか見ていられなかったからなのか分からないけれど、どちらにせよ嬉しかった。
僕は鞄からルーズリーフを取り出し、原稿用紙のメモを写していく。それらの文字から連想される、この世界に合った意味というのもを探した。
「ありがとね」
彼女は小さく微笑んだ。
【情報】
お題:いぬ、温いビール、ルビー
2012.07.24 00:55 投稿
2023.10.09 21:27 修正