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小説|ばんそうこう

「せんぱーい」
「ん? なあに?」
「いつになったら結婚してくれるんですかー?」
「あら、まだそんなこと言ってたの? 私はとっくの昔に断ったはずだけど」
「それでも僕はまだあきらめませんよ!」
「諦めの悪い男の子は嫌われちゃうよ?」
「いえ、先輩の断りは年齢にしか言及していなかったので。僕があなたを養えるようになったら結婚しましょう。ですが、ほかの人に取られちゃいやなので予約ということで、今すぐ結婚しましょう」
「願望が先走り過ぎてごっちゃになってるわね」
 私はため息を一つついて、机の向こう側で作業をする後輩に目を向けた。背は平均よりも小さい、子供のような男の子。運動のセンスがあるはずなのに、なぜだかこの人数のいない被服部に入ってきた。入部理由が私に一目ぼれをしたから。そういうことはこれまでにも何度もあって、その度に私は跳ね返してきた。というよりも、自然とやめて行ったという方が正しいか。私と顧問のさりげないシグナルによって気まずさを覚えた後輩たちはことごとく退部し、別のところへと移っていった。
 そんな中、今年最後の部活というのに、彼が現れた。大きな目に短い髪。元気な小学生を思わせる男の子。彼は一年生だった。
 会ってすぐに言われた。結婚してくださいと。
 流石にプロポーズを受けたことはなくて、あまりの意外さにびっくりしてしまって動けずにいたけれど、すぐに私は頭をフル回転させて彼を撃退する方法を考えた。その場はなんとか凌いだものの、いくら仕掛けても彼は一向にやめようとしない。何が彼を動かしているのかはわからないが、それでも彼はずっとここにいて、私にプロポーズをしてきた。さっきのような会話が延々と繰り返される。いい加減私も疲れてしまって、それからは適当に受け流すことにしていた。あと数ヶ月で私は引退する。そうすれば彼は私に付き纏うこともなくなるだろう。わざわざ上級生の教室に顔を出すことなどできないだろうし。来たとしても、受験生の張りつめた空気にさすがの彼も引き下がるに違いない。
 そんなことを考えながら針を動かしていたら、人差し指の先に張りを突き立ててしまった。鋭い刺激の後に、ぷっくりとした血の球が浮き上がる。私は心の中で愚痴をこぼし、スカートのポケットにもう片方の手を入れた。
「はいどうぞ」
 手を引きだすよりも先に、彼がばんそうこうを差し出してくる。隠そうと思った溜息もいつの間にか口から洩れていた。大きな息の塊が吐き出される。
「ありがとう。でもそれは必要ないわ。私は自分のものを持っているし、それはあなたが怪我をした時に使えばいいわ」
 ポケットから花柄の絆創膏を取り出し、指に巻く。彼は悲しそうな顔を浮かべたまま立ち尽くしていた。
 なんだか、わたしが悪いみたいではないか。
「そう、ですね……。すみません」
 しかし彼は、いつものようなポジティブ思考をどこかに忘れてきてしまったのか、しょんぼりと萎れてしまっていた。初めて見る姿だった。その元気のなさは、余計に私の中の罪悪感を増大させる。あんなに嫌がっていたのに、いざ彼が自分の望むものになると途端に気分が悪くなる。どうにかして彼を元の通りに戻さなくては。
「どうして、あなたはそんなにも私に固執するの? 私よりも素敵な人はたくさんいるでしょうに。私はお世辞にも綺麗と言えた分類ではないわ。だからこんな人数のいない場所で一人で細々とやっているのよ。そりゃ、そんな私でも好きになってくれる人はいたけれど、それでもそれは迷惑でしかなかったわ。なんだか馬鹿にされているような気がして腹が立った。だから今まで先生と協力して追い払ってきた。それなのにあなただけはいつまでもここにいる。何があなたを突き動かしているの? 私にはそれが不思議でたまらない」
 私の言葉に彼は一瞬顔を輝かせたが、何を思ったのかまたどんよりと沈んでしまった。私はまた彼の気持ちを曇らせるようなことをしてしまったのだろうか。心配しながら彼の言葉を待つ。
「先輩は……。先輩は、生まれ変わりを信じますか?」
「生まれ変わり?」
「はい。死んでもまた次の命を受けてぐるぐると生き死にを繰り返していくっていう……」
「それは輪廻転生と何が違うのかしら?」
「あ、いや、その……。変わりはしないんですけど、その。その中で大切なことってなんだと思います?」
 彼の言いたいことが分からない。
「死んでも変わらないところって、言ってみれば魂みたいなものだと思うんです。身体は死んだ後に燃やされちゃうかもしれないし、埋められちゃうかもしれない。だけどそれでもずっと続いていくのだとしたら継続しているものがあるんだと思うんです。魂じゃないとしても、そういう、目に見えない物。
 僕は先輩を見た時に、その魂の結びつきというのかな、直感を感じたんです。あぁ、この人に会ったことがある。そう思ったんです。考えれば考えるほど、それが本当であるような気がして……。考えれば考えるほど、先輩のことが恋しくなったんです。だからもし先輩が引退してしまっても、僕は教室まで通うつもりでした。この直感に従って、あなたと結婚したいと思ったんです。その思いだけが、僕を動かしていました。気持ち悪いですよね。すいません」
 自分の中の理由をならべて、最後には自分自身を傷つけて彼は去ろうとした。
「まって」
 彼は足を止める。
「気持ち悪くはないわ。そんな想いがあったなんて知らずに勝手なこと言ってごめんなさいね。
 そうね。私も深く考えたことはないからわからないけれど、生まれ変わりというのはあるかもしれないわね。既視感、というのかしら。言ったことがあるような気がする、みたことがあるような気がする。そういうのって、昔の記憶とか言うものが影響しているのかもしれないしね。でもごめんなさい。私はあなたに対して直感を感じることはなかったわ。
 でもあなた、面白いことを考えるのね。それでいてとっても大胆。最後の言葉は聞き捨てならなかったけれど、そうやって自分の心に正直にいられるってとても素敵なことだと思うわ。私にはないものね」
 私は立ち上がり、彼の元へと歩く。途中で机に置き去りにされた絆創膏を拾った。
「だから、あなたを恋人にしてあげる。結婚するかどうかは、そのあとね。私ってこう見えて、意外と変な人間よ?」
 彼の顔が輝いていくのが分かる。
「はい!」
 彼には秘密にしておいた。
 私も直感を探していたこと。そして、見つけたこと。

【情報】
2012.08.30 23:35 作成
2023.11.30 13:48 修正

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