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小説|羽無し天使

 羽が生えていれば天使なのだそうだ。動物だろうが魚だろうが、とにかく背中のあたりから白くて光る羽が生えているのだとしたらそれはもう天使なのだ。それでは、まったく天からの使いという意味を無くしているような気もするが、この時代において、天使というものが存在しているかどうかも怪しいし、もし生きていたとしても、普通の姿では厳しいのだろうということは、何となく想像することができた。
 それは、まったく違ったけれど。
 私の背中には羽がある。肩甲骨のあたりから新たな骨が生まれ、そのまま乾いた皮と邪魔くさい羽毛が生えてきた。抜き取ろうとすると痛いし、それなのに髪の毛のようにそこらじゅうに落ちている。この間一つクッションができてしまった。あまりいい硬さではなかったから、庭に寝転ぶ犬にくれてやった。庭中が白い羽で埋め尽くされる。
 それでも、私は天使などではないのだった。父も母も普通の人間だ。羽も生えていない。そもそも、そんな日常的に羽が生えた人間がいるわけでもないのだ。けれどみな特に気にすることなく私を受け入れているが。私も普通の人間のつもりでいるし、自分のどこにも天使となる要素がない。どうして羽が生えているのかはわからないけれど、ほかの人間とは全く違うものとして個を確立することができているからそれでいいような気もする。
「でもあなたは天使なんでしょう?」
 母親はそう言っていた。私が泣きながら羽をむしり取っている時だった。
「ねぇ、そんな痛そうなことしないで。わたしまで痛くなるわ」
 持っていた羽を投げつける。私の目の前をふわふわと舞った。
「私の痛みなんかわからないくせに! 勝手なこと言わないでよ!」
 周りにあったものを手当たり次第に母親へと投げていく。彼女はそれを避けることもせず、私を止めることもせず、ただそこに座っていた。悲しそうに、何かに耐えるように、私のことを見つめていた。
 その目に私は縛られる。持っていたペットボトルを投げることなく床に落とした。
「……わたしはただの人間だからあなたの痛みはわからないわ。同じ人間同士でも分からないことがあるっていうのにねえ。ごめんなさい。わたし、母親失格だわ」
 小さな涙を流しながら、母親は謝り続けた。まるで何かの機械のように、小刻みに震えながら、ただただ謝罪の言葉を呟き続けた。私はどうすることもできずに、そこに立つ尽くす。どうして彼女が泣いているのか、どうして私はこんな人生を送っているのか。すべてのことが分からなくなって、すべてのことがどうでもよくなった。

「だからと言って飛び出しちゃだめだよ?」
 クラスメイトはそういった。私は彼女の顔を見つめ、それがどういう意味を持つのかということを考える。
「どうしたの? あたしのことが好きなの?」
 彼女はさらりととんでもないことをいう。
「そんなわけないでしょ。飛び出すってどういうことなのかな、って考えていただけ」
「ふーん」
 つまらなそうに息を漏らす。
 グラウンドからは元気な運動部の声が聞こえてきた。彼らはどうしてあんなに大変なことをやっているのだろう。私ならばすぐにやめてしまっている。辛いことは、もう感じたくない。
「私が車道に飛び出しても誰も轢いてくれないと思うんだけどなぁ」
「あぁ、最近できた条例のやつ?」
「そう。好きで天使になってるわけじゃないのにさ」
「それはみんな同じだよー。みんな好きで人間やってるわけじゃないんだからさ。諦めるしかないんじゃない?」
 彼女は鞄からチョコレートを取り出す。その一つを私の掌の上に乗せた。私はそれを口の中に頬り投げる。
「諦めるだなんて、ずいぶんと消極的ね。私にはぴったりだろうけど」
「そんなこと言っちゃだめだよー。あなたが天使かどうかなんて、あたしには関係ないんだから」
 そういって彼女もチョコレートを一つ口に頬りこんだ。幸せそうに目を細める。その愛らしい姿に、私は抱き着いた。
「よしよし、いいこいいこ」
 彼女は小さな子供をあやす母親のように、私の頭を撫でてくれた。彼女の手は、小さいながらも温かい。そんな優しさが、私はほしかったのかもしれない。

 外の風はとても気持ちがよかった。高いところを吹きぬけていく冬の風は、肌を刺すように冷たかったけれど、それでも私を受け入れてくれているようだった。
 天使が死ぬとき、それらは元いた天界へと帰っていくらしい。地面に埋められた天使というのは、永遠に地面に縛られるのだそうだ。そうして彼女たちはずっと人間たちと暮らさなくちゃいけない。そういう天使もいると、だれかから聞いた。
 私も、帰れるのだろうか。
 足場ぎりぎりまで進み、羽を大きく伸ばす。吹きつけてくる風に身体がもって行かれそうだったが、どうにか踏ん張った。羽の真ん中あたりを風の塊が押し付けてきてざわざわと疼く。何度か羽ばたいて飛べそうであるということを確認した。
 行ってきます。
 私は自分の世界へと、飛んでいった。

【情報】
2012.10.22 21:33 作成
2023.12.11 21:49 修正

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