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小説|特別な場所
ポケットの中に入れておいたカイロはもう冷たくなっていた。部屋の暖房は効いているはずなのに、まるで暖かくならない。楽器の金具も冷たいままだった。でも、金管楽器に比べてその影響は少ない。強いて言うのならば、皮がはって音が高くなることくらいだろうか。指が動かないのであれば、打楽器は務まらない。
「それじゃあ、Dからメロディー以外」
指揮をしている顧問の指示が飛び、管楽器の該当する人間は元気よく返事をしている。
僕たちはどうすればいいんだよ、と心の中で先生に突っ込み、どうせ入っても邪魔者扱いされるだけだろうからとティンパニーの後ろへと回った。マレットや工具が置いてある棚があるのだが、その中にはお菓子や漫画が入っているのだった。パーカッションは比較的暇だ。こんな田舎の学校だ。人数もそれほど多くはないし、一つの曲に使う楽器もそれほど多くない。音は出せるしそれなりにリズムを揺らすこともできるから、あとは顧問の好みに合わせて変更するくらいだろう。
「はい、これ」
「あ、どもども」
僕は差し出されたカロリーメイトを受け取り、手を制服にこすり付けて汚れを落とした。床にカスを落とさないように丁寧に食べていく。今日はチョコ味だった。他の三人のパーカッションパートのみんなも、楽器の陰に隠れて飲み物を飲んだり携帯を弄ったりしていた。僕と、カロリーメイトをくれた女の子は、ティンパニーの裏に座り込んで管楽器の合わせが終わるのを待つ。今はちょうど和音の調整をしているところだった。足りない音をほかの誰が補うかを先生が考えている。そんな中に楽譜どおりに僕たちが音を鳴らしても、結局は邪魔がられるだけだった。
「ねえねえ、化学の宿題やってある? 先週の」
「終わってるよ」
「ほんと? 部活終わったら見してくんない?」
「いいよー。僕の字汚いから読めるかどうかわからないけど」
「大丈夫大丈夫。自分が思ってるほど汚くないから」
それは遠回しに綺麗じゃないと言っているのと同じだと思うのだけれど。そんなことを口にしたところで特になにかが起こるわけでもないだろうから、心の中で呟くだけにしておく。そして、その化学の問題を思い出した。もう一度頭の中で計算をする。もし間違えていたら彼女に申し訳ない。自分でやるのが一番いいのだろうが、彼女も生徒会や委員会を掛け持ちしているせいで意外と忙しい。たまたまできなかったのだろう。
ホルンをテナーサックスの補助に回すことになったそうだ。メロディー隊も参加しての合奏が始まる。和音にムラがなくなった。顧問も満足げに頷いている。
「あ、そろそろ始まるかも」
「そうだね」
僕たちは担当の楽器のところへ駆けていき、準備をする。指がかじかんでスティックをうまく持てない。どうにかして力を入れ、落とさないようにする。
「それじゃあ全員で、最初から。今度は途中で止めたりしないからなー」
途中で変なことしたらどうなるかわからないけどね、と付け加えたところで部員の数名が小さく笑う。
そして、顧問が指揮棒をふるった。
何度も何度も吹いてきたフレーズだ。皆慣れているようで、滞ることなくするりと音が抜けていく。僕たちの打楽器の音も、皆の支えになれているようだった。
そして、何度か合わせて調節をしたところで、今日の部活は終わった。部員のほとんどがパートの机のところに歩いていき、合奏のおさらいをしている。フルートの女子がブレスの仕方について顧問と話をしていた。トランペットの四人が細かい連符を合わせようと必死になっている。ホルンは早々に片付け始めていた。
僕たちも、楽器にカバーをかけていく。
「それにしてもさー」
彼女が唐突に口を開いた。
「なに?」
「音楽って面白いよね。特に吹奏楽。バラバラの人が、バラバラの音が、いくつも合わさって一つの大きな何かを作り上げようとするんだよ? なんだかとっても素敵なような気がして」
「ずいぶんと綺麗事をいうんだね」
「えー、そう思わないの?」
「思わない訳じゃないけどさ……」
僕は尻ポケットに入れておいたスティックを入れ物の中に入れる。楽器の上にあったマレットも同様にだ。
「確かに思うことはあるよ。できなかったところができるようになって、みんなの日ごろの練習がだんだんと形になっていくところをここから見てると、とてもうれしくなるし、誇らしくなる。何とも言えない不思議な気持ちになるけど、でもそれはたまにしか起こらないことだと思うんだ。誰もが経験できることじゃないし、それだけがすべてじゃない。自分でも何を言いたいのかはわからないんだけど、きみがさっき言ったことはどうにも現実味に欠けているような気がして」
彼女のことを傷つけていないかと内心びくびくしながら僕は思ったことを伝えた。自分の中でもはっきりとまとまっていない物だからしっかりと言えたかどうかはわからないけど、少しでも彼女に伝わればそれでいい。
彼女は眉を顰めて何かを考えながら楽器を片付けていた。シロフォンの蓋を閉める。
「まぁ、そうだよね。ちょっと漫画っぽかったかな。でも、そういう嘘みたいなことが起きやすいところでもあるよね。吹奏楽って」
彼女は小さく笑うと、鞄置き場のほうへと走っていってしまった。
確かに、そうかもしれない。彼女の言ったことは空想の中の出来事の様だけど、それに似たことを、思いがけない形で経験することはできる。それがもしかしたらこの吹奏楽部という部活なのかもしれない。
「ねえ、化学のプリントいらないのー?」
僕は扉を開けようとする彼女を引き留めた。
そして、残り少ないこの部活の中で、素敵な部活の中で、特別なことを探そうと思った。例え現実味がなかったとしても、もしかしたら奇跡が起こるかもしれない。僕が彼女の隣に並ぶことだって、できるかもしれないんだから。
【情報】
お題:吹奏楽、カイロ、カロリーメイト
2012.10.13 23:06 作成
2023.12.07 20:08 修正