![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/124279801/rectangle_large_type_2_3aac9bdc923c4151e8a72b54c8b493d3.jpg?width=1200)
小説|風船とカッター
「あなたはどんな死に方をしたい?」
飲み終わったペットボトルを弄りながら彼女は言った。
「なんだって?」
「あなたは耳が遠いおじいさんなの?」
「言葉は聞き取れたよ。でもその言いたいことが分からなかったんだ」
「小学生からやり直したらどう?」
「うるさいな」
僕は机の上に広げられたポテトチップスを二枚つかみ、乱暴に口のなかに頬り投げる。
「わかってるわよ。でも、そのままの意味よ? 特に深い理由があるわけじゃないわ。どういう風に自分の一生というものを終わらせたいのか、興味があっただけよ」
彼女は手に持ったペットボトルをペンのように指先で回す。程なくしてそれは手から零れ落ち、からん、と虚しい音を立てた。彼女は悲しそうにそれを拾い、机に置く。
しかし、なぜ死ぬことを彼女は考えているのだろうか。
もちろん彼女が今すぐ死のうとしているわけではないだろう。そんなことだったら、わざわざ僕に聞くことなどないはずだ。僕は死なんて今の今まで考えたことはなかったから、死にたいと思っている人間の心理なんてまったくわからないけれど、死にたいと考えている人間は、少なくとも死について考えているのではないか? だからこそこういう言葉が出てくるのではないだろうか。
違うわよ、と彼女は付け加える。
「別に私は死にたいわけじゃないわ。たまたま死について考えることがあったからよ。ほら、あなたも噂には聞いたことがあるでしょう? 去年の文化祭の時、教室に飾る風船を膨らませていた男の子が死んだって話。その死に方がさ、私聞いた時に笑っちゃったんだけど、膨らませていた風船の空気が鼻に逆流して窒息しちゃったんだって。これからいろんなことができただろうに、そんなアホみたいな理由で人って死んじゃえるのよ? そう考えたら自分の死に方も少しくらい考えておかないと、不安になるじゃない。少なくとも私はそうなりたくはないから、どうやって死にたいかという理想を、今のうちから作りたいのだけどね」
空っぽのペットボトルが宙を舞い、ごみ箱の淵へとあたる。そのまま外へとはじかれて床を転がった。彼女は一つ溜息をつくと、それを拾いに行く。
僕は、彼女の言葉について考えていた。
確かに、僕も噂では聞いたことがある。先生たちもそれについては大きな声で言わないものの認めている節があるから、実際にあったことなのだろう。確かに、まったく関係のない人間だから思えることだけれど、笑ってしまうかもしれなかった。漫画のなかでしか起こらないような死に方である。でもそう考えると、人間というのはあっさりと死んでしまえる生き物なのだ。ほかの生き物から命を狙われているわけではない人間は、どうやって死ぬべきなのだろう。一番いいのは、自然と心臓が止まっていく安らかなものなのだろうが、恐らくそう簡単には死ねないと思う。理想というものは一番遠いものだ。
「僕は、そんな特別な死に方をしたくはないよ。誰かに看取られながら、静かに死にたい。もし、死ぬのならだけどね。でも僕たちはまだ高校生になったばかりだ。そんな子供が、どうして死ぬことについて考えなくちゃいけない。道徳の授業ならまだ分かる。でも、こんな日常会話のなかですることじゃないだろう?」
僕の言葉に明らかに不満があるようで、彼女の顔は曇っていってしまった。眼の奥には、太陽にも負けないくらい眩しい光が灯っている。
何か、変なことを言っただろうか。
彼女は立ちあがって、落ちたペットボトルを拾った。今度は自らの手で、ゴミ箱へと入れる。
「あなたは何もわかっていないのね。私たちはいつでも死ぬことのできる生き物よ。普段から与えられている、けれど決して選ぶことのない選択肢なの。いつでも用意されている道、けれど歩むことはない道。そんな可能性を与えられている中で、どうしてあなたはそこまで悠長に構えたいられるのかしら。私には理解できないわ。
もし私が死ぬならね、満足してから死にたい。自分の心を満たしてから、やりきってから死にたいと思うの。だから、やり残しを心に抱いたまま死にたくはない。それなら、今できることを必死にやろうと思うの。今ここで死ぬかもしれないし、明日急にいなくなっちゃうかもしれない。何が起こるかわかんないんだもの。そしたら私は、いつでも死ねるように準備しなくちゃいけないの。やりたいことはやるの。わかった?」
そして彼女は筆箱を鞄から取り出す。
「私ね、今とてもお腹が空いてるの。胃を満たしたいけど、それと同時に心も満たしたいのね。ごめんなさい。でも、あなたの隣には私がいたわ。少しだけ、突然だったかもしれないけれど」
後ろに立った彼女は、僕の首に冷たいものを擦り付けた。
仄かに感じる温かい感触。
失われていく生の鼓動。
僕は、彼女の食欲のために、目を閉じた。
【情報】
お題:残念な死に方をした人
2012.10.26 23:35 作成
2023.12.11 21:57 修正