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小説|空中散歩
車いすが音を立てて車輪を鳴らした。
すさまじい回転音が部屋の中に響き渡る。
そして、その上に載っていた人間は固い地面にたたきつけられて真っ赤に染まっている。
それはまるで高尚な絵画のようだった。
死さえも美しく彩る彼女は、やはり特別だった。
私は後ろを振り返る。
彼女が静かに笑っていた。
□
「空を飛んだらどうなると思う?」
「そんなの、分かるわけないじゃん。あたしたち人間なんだから鳥の考えてることはわからないよ。もし空を飛んでいるということを感じたいのなら飛行機に……」
「飛行機に乗っても風を感じることはできないじゃん。それは空を飛んでいるんじゃなくて宙を移動しているんだよ。わたしが知りたいのは、向かってくる風を感じながら宙を飛び回ると、どういう気持ちになるのかってことだよ」
「それはもう末期なんじゃないかな……」
私は小さくため息をついた。
ベッドの上の彼女は不満げに頬を膨らませる。
「そんなの、やってみないとわからないじゃん。もしかしたらわたしたち飛べるかもしれないよ?」
「……どんな漫画を読んだらそんなことになるのよ。いくら入院生活が退屈だとしても、そんな変な妄想だけで自分を埋めちゃだめだよ。そういうのって思いこみ次第では大変なことになるんだから」
「それ大学でやってること?」
彼女は寂しそうに目を細める。
これは、発言を間違えたかもしれない。
「あー、いや、テレビでやってたんだ。いや、小説だったかな? 忘れちゃったけど」
笑ってごまかそうとするが、嘘をつこうとすればするほど顔は変に歪み、声がかれてくる。
彼女も諦めたように肩を竦めているから、とっくにばれているのだろう。私も大人しく本当のことを白状した。すると彼女は窓の向こうへと視線を投げてしまう。
「いいなぁ。わたしも大学に通いたい。もっと勉強したい」
明るく茶化そうと思って口を開くも、言葉が喉で引っかかって出てこない。彼女は自虐的に何気なく発言したのだろうが、彼女のことを考えると胸が苦しくなっていてもたってもいられなくなる。眼の奥がじんわりと温かくなり、鼻の先がつんとする。それでも彼女の力になれるようなこともできず、自分の無力さ加減にまた悲しくなる。
私の反論を期待していたのだろう彼女は、黙りこくってしまった私を心配した目つきで見てきた。
「どうしたの? わたしなんか変なこと言った?」
頭の中で巡る考えを振り払って答える。
「ううん、なんでもない。早く退院できるといいね」
「ねー。先生も、悪い場所に飛んでないから今のままなら大丈夫かもしれないって。子供の治癒力に任せましょうって言ってた。もう18なのにね」
クスリと笑う。
「18だってまだまだ子供だよ。そもそも大人なんて、今ほとんどいないんだから」
「そうだね」
彼女はまた窓の向こうを見ている。
太陽が傾きはじめ、中庭の桜の木が影を大きく伸ばしていた。風が吹けばその花びらを散らし、芝生を桃色で埋めていく。子供たちがその上を走り回って、桜の花弁を宙へと放り投げた。とても微笑ましい光景だった。
「なんでわたしたちは飛べないんだろうね」
帰ろうかと心の準備をしていた時に、彼女がつぶやいた。
「なんでって……。あたしたちは鳥じゃないからだよ」
「鳥じゃなきゃ空を飛べないのかな」
「あー、そうか。あたしたちには羽がないからかな」
「羽かぁ……」
彼女が小さく言葉を漏らした。沈黙が病室の中を満たしていく。どうやって退室の言葉を投げかけようかと思案していると、部屋の扉がノックされた。間を置き、扉が開く。彼女の両親だった。二人は私を見ると小さく会釈をした。心なしか疲れているように見える。私も会釈を返し、彼女に手を振った。
「じゃ、また来るね」
「うん」
それだけ言葉を残し、扉をくぐる。
静かに閉めた。
心に、小さな黒い靄が生まれた。
■
彼女と会ったのは高校の時だった。
とてもきれいな人だった。人形みたいな白い肌に、さらりと流した黒い髪。まるでどこかのお嬢様のような上品な空気を纏っていながら、誰にでも優しくとても親しみやすい性格だった。彼女は入学直後からクラスの、学校の人気者となり、彼女を知らない人はいなくなった。
これだけ多くの人間に存在が知られれば、少なくとも彼女のことを嫌う人間が出てきてもおかしくないだろう。しかしそんなことはなく、校内の人間すべてが彼女のことを好いていた。私も例外ではなかった。
そんな彼女が事故に遭った。
居眠り運転のトラックと接触したという、よくある事故だった。
しかし幸運にも彼女は命を落としたりはしなかった。しかし下半身不随なのか麻痺なのかわからないが、何かしらの所為で彼女は歩くことができなくなった。それと同時に彼女は内臓を悪くし、病院に入院することになってしまった。最初のころは学校中の人間がお見舞いに来て大変だったそうだが、皆徐々に興味が薄れ、ひとり、また一人と来る人は少なくなった。最後に残ったのは私だけだった。
私と彼女は、学校の中で特別仲がいいわけでもなかったけれど、この病室に入ったとたん、まるで生まれた時から一緒にいるかのような感覚で彼女と接することができた。とても不思議な感覚だったけれど、それはおそらく彼女が特別だからなのだろうという結論に至った。彼女の気配りがここまでの自然さを作り出しているのかもしれない。私が口を挟んで壊してはいけないと思った。それと同時に、彼女ともっと仲良くなりたいと思った。
学校が終わったら、彼女の病室に行く。それが日課になって三年経ち、彼女は病室から出ることはできずに高校を辞めた。私はある程度名前の知られている大学に合格し、そこに通っている。大学生になったからと言って特別彼女への態度が変わるわけでもなく、頻度こそ減ったものの彼女には会いに行った。彼女は大学に行きたいらしいのだが、身体がよくならないと退院できないらしい。もし退院できるとしたら、車いすでも通える大学に行くそうだ。そう言っていたけれど、それよりも先に高校を卒業しなくちゃだめだよ、と私は一言付け加えた。その言葉に彼女はがっくりと肩を落とし、とても辛そうな顔をした。それ以来、私は極力大学の話題を避けることにしている。嘘もろくにつけないから、余計に彼女のことを苦しめてしまうかもしれないと思ったからだ。
彼女は変なことばかり言う人間だった。
それでも一貫して感じられるのは、どうやったら病室から抜け出せるのかということ。どうやったら自由になれるのかということ。空を飛ぶのだってそうだし、この前は逆立ちで生活できるようになるかどうかという話だった。彼女はあの場所からの解放を求めている。
帰り道にそんなことを考えていたら、一つ、あらぬ思いが頭の中を横切った。それは傲慢以外の何物でもなかった。それこそ彼女が解決しなくてはいけないことだし、手段だってない。私が彼女を助けようだなんて、妄想にしてもひどいものだった。彼女を車いすに乗せてどこか遠くまで連れて行こうだなんて、私は犯罪者にでもなりたいのだろうか。
でも考えれば考えるほど、私がやらなくてはいけないのだという思いがしっかりと根を張ってしまう。私にしかできない事であると錯覚してしまう。
明日、彼女の病室へ行こう。
そして、彼女を助けるのだ。
□
彼女を散歩という名目で車いすに乗せた後、私は開け放たれた窓に向かって思い切り前進した。
壁にぶつかると同時に彼女は投げだされ、病院の外に放り投げられる。
三階から飛び立った彼女はありもしない羽をはばたかせ、そして無残にも落ちて行った。
私のほうを見ながら。
疑問を顔に張り付けて。
その顔もとても美しかった。
写真に撮っておきたかった。でもそんなことをしたら彼女の美しさというのは薄れてしまうのだろう。
地面に桜とはまた違う色を広げながら、彼女は横たわる。
真っ白な肌は赤く染まり、黒髪も煽情的に広がっている。
「何してるの?」
唐突に、後ろから言葉が投げかけられた。
振り返ると、眉を顰めた彼女が経ってこちらを睨んでいる。
彼女だ。
なぜここにいる?
私は急いで病院の外を見てみるが、そこにははっきりと彼女がいた。周りの人に騒ぎ立てられながら横たわっている。
では、今目の前で経っている彼女は何者だ?
「もしかして、あなたわたしが誰だかも知らなかったの? 呆れた。てっきり知ってるのかと思ってたのに。まぁ、そんなんだから変な妄想に取りつかれちゃうんだろうね。だからあなたはどこまでもつまらない人間なんだよ。
でも気づいてはいたんでしょう? わたしが特別だっていうこと。普通の人は、特別とは思わない。才能がある人と思う。でもあなたは私のことを特別として見た。それはあなたの中にも私と同じ特別性が眠っているから。だからわたしも同じように、同じものとして接していたのに。内側に従うのもいいけれど、たまには外側て制御しなくちゃいけないのよ? それなのにあなたは人間的な欲望にのみこまれて特別を失った。だからこんなことをして、挙句の果てには何が起こってるのかすら理解できてない。あぁ、かわいそうな子。わたし、あなたのこと好きだったのに」
静かに彼女は歩いて来る。
「事故に遭ったのは想定外だったけれど、でもうまく切り替えたわ。特別な人間を探すことにしたの。そしたら見事にあなただけが残ったわ。私は嬉しくて、自分の役割さえ忘れるほどあなたを求めたわ。だからあなたも何度もこのを訪れてくれたでしょう? それはあなたの意志だと思い込んでるかもしれないけれど、すべて私が望んだものよ。それなのにあなたは日に日につまらなくなっていく。もうわたしも飽きちゃって、あなたの中に爆弾しかけちゃった」
彼女は私の顔のすぐ近くて、悪戯っぽく笑う。
「いい? 中心は形を問わない。それでいて無限。それに、いくらでも書きかえられるのよ?」
そういって、彼女は私を突き飛ばした。
ふわりと、身体が宙に浮く。
あぁ、空を飛ぶということはこういうことなのかもしれない。
そんなことを考えている間に、私は途切れてしまった。
2012.08.20 22:23 作成
2023.11.25 19:04 修正