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小説|受け継がれるもの
太陽に照らされた私は、危うく丸焦げになるところだった。規定に定められた傘をさすことも忘れ、ただ目の前で起きている不可解な現象について考えていた。普段ならあり得ることのない光景が突如として表れている。
「……っ」
地面から突然大きな箱が生えてきたのだ。それはよく見れば墓石のようで、けれど材質は木のようで、なんだかよくわからない光沢と埃っぽさを全身に纏って出現した。蓋と思しき場所には、丁寧にも赤い十字架が掘り込まれている。映画でよく見るような、あの箱だ。
けれどどういうことだろう。どうしてこんなところに絶滅したはずの種族がいるというのだろう。この前の研究会でも専門学者はこの地球上には存在しないと言っていたはずだ。その学者の研究不足だったのか完全なる偶然なのかは定かではないけれど、いまこうやって目の前にいる以上、絶滅という言葉は嘘だったということになる。数百年ぶりの目撃者だなんて、私もつくづくついていない。生命を焼き尽くす太陽を見上げ、私は一つ溜息をついた。
それはかつてまで普通に生活していたのだそうだ。主に西洋地域に生息していたようだが、彼らのための施設も充実していたおかげで大きな犯罪が起こることもなかった。昔の彼らの印象は最悪だった。白く鋭い牙を闇の中で光らせ、通りがかる人間の首元に噛みついて血を吸い上げる。それは彼らにとっては生きるために必要なことだったのだろうが、世界を支配していた人間からしたら迷惑な存在でしかなかったのだった。それから数百年間狩りが頻繁に行われるようになった。その効果は絶大で、あっという間に事件は減り、そして絶滅の危機にまで追いやられた。
しかし人間という生き物は強欲で、その力を欲する者もいたのだった。伝説の中にしか記されていなかった存在が、今こうやって目の前にいるのだ。そうすればこの特殊で貴重なものを完全に潰してしまうのはどうにも惜しい。ならばこの種族の血を絶やしてはならない。そのために必要なことはやろう。そういった世界の決まりができて、狩りは終わり、彼らは守られながら生きていった。
彼らの食糧がどこから出てきたのかはわからないが、新鮮な血液を毎食分支給されたおかげで腹を空かせて人間を襲うということはしなかったようだった。人間と交わったせいもあるだろう。その力は胸の奥に仕舞われ、特徴だけが表に出た。性質は人間のまま、心は彼らのように。昔の人間の考えはどうにも理解できないけれど、彼らは確かに存在していたのだった。
「……っ痛い」
目の前の箱からうめき声が聞こえる。私は鞄から傘を取り出し、太陽を避けるようにして箱の元へと歩いていった。三度扉をノックし、中にいる何者かに自分の存在を知らせる。
「あの、大丈夫ですか?」
私の声を聞いた途端、中からは物音がしなくなった。しん、とあたり一帯が静まりかえる。舞い上がった砂ぼこりも地面へと戻り、校庭は今までどおりの状態へと戻った。目の前のこれを除いて。
しかしその静寂も長く続くことはなく、中の人物が声を上げた。
「……誰かいるのか?」
「はい、私がいます」
男の人の声だった。それも少し若い。低くなりきれていない、幼さが残る声だった。
「私って、誰だよ。僕の知っている人か? それとここはどこだ。外は安全か?」
人がいると知ったとたん、彼は多くの質問を投げかけてきた。私は面喰いながらも、一つ一つに丁寧に答えていく。
「私は私です。きっと、あなたは知らないと思います。ここは学校の校庭です。外は……結構危ないかもしれません。晴れていますし」
私の返事に、彼は項垂れたようだった。声が漏れる。
「……まぁいい。とりあえずこの扉をあけてくれ。中からは開けられないんだ」
「開けていいのですか?」
「……僕がいいと言っている。開けろ」
彼は出てきたら灰になってしまうのではないだろうか。ただの人間に対してもキツく暑い太陽なのだ。もともと苦手な彼らは出てきた瞬間に形を保てなくなってしまうかもしれない。
けれど無視して立ち去るわけにもいかず、私は首に傘の柄を挟んで扉に手をかけた。
熱い。
けれどその中身は、冷蔵庫のように冷たかった。冷気が少しずつこちらへと流れ込んでくる。半分ほど開いたところで、彼が足を一歩踏み出した。
「……うぅ」
彼は低く呻り、私の傘に無理やり入ってくる。
背は私と同じか少し小さいくらいだった。人間でいえば中学生くらいだろうか。顔もどこか幼く、世界は自分のためだけにあるのだと思っているようだった。全身を隠せるほど黒く長いコートを身に纏い、太陽から逃れるように背を向けている。顔はとても白く、美しかった。
「……暑い。早く陽のないところに行くぞ」
彼は私の腕をつかんで言う。長く伸びた爪が私の皮膚を引っ掻いた。手も、とても冷たい。
「でもこの箱は——」
「……いい。またあとで取りに来る」
そう吐き捨てて彼は私の腕を引っ張った。もしかしたら苦しいのかもしれない。逆の立場だったら、私もすぐに彼の手を引いているだろう。彼が傘で隠れるように調節しながら、私は校舎の方へと走った。彼も負けじとついてくる。
夏休みの学校は驚く程に空っぽで、とてもさみしかった。活気や熱気が完全に消え失せている。外の焼けるような暑さも、壁一枚隔てたこの中では遠い国の中の出来事のようだった。
走ったせいか、彼は苦しそうに胸のあたりを押さえている。屈み、荒く呼吸をしていた。
「大丈夫?」
私の言葉を跳ねのけるように彼は答える。
「……大丈夫なわけ、ないだろう。僕に、太陽の下を、走らせる、だなんて、どんな、神経を、しているんだ」
切れ切れになりながらも懸命に口を動かしている。
「だって私、あなた達に会うのは初めてなんだもの。扱いがよくわからないわ」
「……そうかい」
彼は白かった顔をさらに白くさせて、床に座り込んだ。リノリウムの廊下が冷たく気持ちがよかったのか、嬉しそうに目を細める。
「それで、あなたは本当に吸血鬼なの?」
かつて人間と共に暮らしていた、人間ならざる者。人の血を吸い口を真っ赤に染め上げる鬼。本当に、彼はおぞましい怪物なのだろうか。
その単語を聞いた彼は、呆れたようにため息をついた。そして、口を開く。
「……見ての通りさ。僕は吸血鬼だよ。それも、最後のね。僕の母親がその血をもっていたんだ。普通の人間と結婚し子供を作って、僕が生まれた。けれどその父親が問題だったんだ。当時は裏社会で吸血鬼の身体の部位が高く売れていたらしくてね。そのために鉈をもって僕を殺そうと期を窺っていたそうなんだ。もちろん、そんなことにはならなかったけれどね」
彼は遠くの揺らめく校庭を見ていた。
「……母親は僕を箱に詰め込んだんだ。その時になったら、必ず助けてくれる人が現れるから。それまで、ずっと待っててね。それだけ言って母親は扉を閉め、地面に埋めた。僕たちはね、真っ暗闇なら食わずとも生きていけるんだよ。もともと闇に潜む生き物だからね。生きるためのものはそれだけで十分だったのさ」
なにか物語を語るかのような彼の言葉はとてもきれいで、素敵だった。その内容は少し恐ろしかったけれど、彼が無事でよかったと思う。
無事でよかったと思う?
「……けどなんで僕は今になって地上に出てきたんだろうな。その時が来たんだろうけど、今僕のほかには吸血鬼はいないし、それに僕が快適に過ごせるようなシステムも残っていないだろうし。あぁ、つまんないの」
彼は立ち上がり、冷たい場所を探して彷徨った。私も見失わないように彼についていく。
けれどなぜ、私は彼の安否に安堵しているのだろうか。彼とは初対面のはずだ。吸血鬼だなんて、いても恐ろしいだけだ。それなのに、なぜ。
彼の母親が言っていた、その時とはいつのことなのだろうか。私に関係することなのだろうか。
ふと、彼が足を止める。
「……おまえ、いい匂いがする」
振り向き、私の顔に鼻を近づけた。思わず身体を反って逃げてしまうが、彼はそれを許さなかった。髪から首元、背中や腰、手から足の指先まで鼻を滑らせ、匂いを嗅ぐ。とても恥ずかしかったけれど、抵抗することはできなかった。
彼の言ういい匂いとはなんだろう。シャンプーの匂い、ではないだろうな。
すると、考え付くのは一つ。
「……ちょっとだけ、な。ちょっとだけ、飲ませてくれ」
「え?」
「……だから、お前の血。少しだけ、飲ませてくれ」
殺しはしないから、と一言付け加える。
やはり思った通りだった。私の血が、とてもおいしそうに感じたのだろう。もしかしたら、彼の母親が言っていたその時というのは空腹が頂点に達しておいしそうなご飯が目の前に現れた時なのかもしれない。私の高校生活は、こんな気まぐれな吸血鬼によって終わってしまうのだろうか。彼は殺さないと言っているけれど、それは教師の怒らないという言葉と同じくらいに信用ができない。きっと、ちょっとしたはずみで私は私でいられなくなる。
私はやはり彼に抵抗することはできなかった。彼に従おうが逆らおうが、きっと私は殺されてしまうのだ。だったら、早いほうがいい。私は頷いて、彼の申し出を受け入れた。
彼は嬉しそうに目を輝かせ、口を開けた。白く鋭い牙が出現する。それは宝石のように綺麗で、思わず見とれてしまうほどだった。彼は口を私の首元へ近づける。彼の温かい吐息が首筋にかかり震えてしまった。心臓が音をたてて鼓動している。研ぎ澄まされた切先が、私の皮膚に触れた。冷たく硬いそれは徐々に私を侵食していく。
「——っ」
痛くはなかった。すこし、気持ちがいいかもしれない。身体中にあった血液が、今彼の口元に集中している。正しく流れていた血が、逆流しているようだった。すぅ、と抜き取られる感覚は他では味わえないような特別なものだった。指先が冷たくなる。下半身の間隔も遠ざかっていく。目の前が白くなり、私の意識は——。
「……やっぱり」
彼の言葉によって引き戻された。
彼は口元を手の甲でぬぐい、血をふき取る。私はその場に座り込み、立つことはできなかった。
彼は神妙な面持ちで私の血を吟味する。そして、一言つぶやいた。
「……飲んで分かった。おまえ、僕たちと同じだ。同じ血が流れてる。それに、とても懐かしい」
彼は寂しそうに息をついた。
朦朧とした意識の中で、私は考える。彼の言葉を、頭の中でくりかえす。
あぁ、やっぱりそうだったのか。
そんな気はしていた。私はきっと、彼の母親につながる人間なのだ。吸血鬼が絶滅したと思われていたのは、ただ単純に表面化が見られなかったから。何倍にも薄まってしまったその血は、一般の人間には見分けがつかない。同族のものにしか、分からない。
血と一緒に、私は母親の想いを受け継いでいたのかもしれない。そして彼の閉じ込められた箱の近くに偶然行ってしまい、『その時』が来たのだった。
私は彼を見上げ、手を伸ばす。彼も、私の手に自身の手を重ねて屈んだ。
冷たい。けれど、温もりがある。大切にしなくてはいけない、かけがえのないもの。
大きく深呼吸をして、私は彼に告げた。
「おかえり」
彼は私の言葉に驚き、考え、私と同じ結論へとたどり着いたのか、大きく頷く。
「……ただいま」
嬉しそうに微笑んだ。
【情報】
お題:暑い血(制限時間:1時間)
2012.12.13 19:24 作成
2024.06.14 14:32 誤字・脱字修正