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小説|骨男

 掴んでいた頭を道路に転がして、私はその場に座り込んだ。いまだに流れ続ける少年の赤い体液を眺めながら、自分の要領の悪さに腹が立ってしまった。なぜ私は彼女のようにうまくいかない。もちろん彼女のよりもできるとは思ってないが、それでもここまでできないということは私に怒りの感情を植え付けるには十分だっただろう。しかしそんな感情も、いつの間にかなくなっていた。これは昔からの癖というか、自分の置かれている状況を俯瞰すると、意外に気持ちが冷めてしまうのだ。この姿になってからは、そんなことはしなくなったが。
 そうだ。この姿になってから今まで、感情らしい感情を感じたことがなかった。だからこういう風に俯瞰するようなこともなかった。その矛盾に気が付いて、なんだかやるせなくなってしまう。私は転がる頭蓋を足ではじき、立ち上がった。それらを回収し、足早に山に帰る。
 秋の夜の風は涼しかったが、どことなく暑かった。ねっとりとした空気が絡みついてくる。それは夏の名残というものもあるだろうが、それと同時にこの液体の所為でもあるだろう。鉄の臭いというのはどこまでも重たかった。少し煩わしくなったので、私は荷物をおろし、指を鳴らした。ぱちん、という軽快な音が鳴ると同時に、私の身体は変化する。嘴のない烏のような、真っ黒な鳥のようになる。しかし、羽はない。飛ぶのではなく、浮遊するのだ。
 明かりの消えた民家をいくつか飛び越えて、山まで行く。足でつかんだ獲物は思ったよりも重く、とても不快だった。あの場の血液を処理していないことに気が付いたが、今更どうにでもなるだろう。適当な動物の死骸でも置いておけばよい。山の入り口に差し掛かったところで、私はいつもの姿に戻った。長身に骨のような体。服ははるか昔に遠い異国の地で買ってきた真っ黒なタキシードだった。貴族らしく、手には絹でできた手袋をしている。今は汚らしい紅に染まっているが。愛用している最高級の素材で作られた杖も、先端が汚れてしまっていた。
 どうも、このことは私には向いていないらしい。
 別に喰らうわけでもないから、私にとって狩りというのは必要のないことだった。それでもこうやって夜に人の街を徘徊しているのには、恐らく私の中にある飢えというものを満たすためなのだろう。これは私が私である理由でもあるがゆえに否定のしようもないのだが、それでも根底に光る概念は私の心を食いつぶしていった。そうしていつか、こんなつまらないものになってしまっている。
 いつまで経っても、完璧にはなれないのだな。
 当然のことを考えたところで、私の心が潤うわけでもなかった。その事実から逃避するように、私は足を進める。頭蓋や胴についた土を払い落とし、鳥居を目指した。湿った土を蹴り、奥に進んでいく。落ち始めた葉が絡みついて煩わしい。これならば、浮遊していた方がよかったかもしれない。そんな後悔の念を持ちながら歩いていったところで、赤いものが視界の隅に映った。それは屈んで何かをしている。同時に液体をすする音も聞こえた、
 彼女は食事をしていた。
 私は後ろから近付いていくと、そこには血まみれの少女がいた。髪は長くとてもきれいな顔をしていた。肌は白く、とても美しい。しかしその顔は恐怖でぐちゃぐちゃに歪んでいた。絶世の美女であっただろう少女は、腰から下がなかった。中途半端に切り取られた腿からは、妙に白い骨が突き出ている。そばにしゃがみ込む着物姿の少女が、くちゃり、と下品に音を立てながら何かを食べていた。覗き込んでみれば、それは肉のようである。柔らかそうな筋肉だった。
 私は持ってきた少年をそばに置くと、近くにあった大きな石の上に座り込んだ。彼女はようやく気付いたのか、おもむろに顔をあげる。
 この少女も、とても美しかった。白く透き通った肌は生きているもののものとは思えない。小さいながらも綺麗に着付けた牡丹柄の着物からは、狂気的な霊妙さを感じ取ることができた。しかしそれらはいま、真っ赤に染めあがっている。彼女はそれも気にすることなく、目の前のものを食していた。
「どうもこんばんは。今日はお散歩ですか?」
 新しく肉を切り取りながら、彼女は問うた。
「いえいえ、ワタクシはお散歩なんぞしませんよ。あなたに、贈り物があるのです」
 贈り物、という言葉に彼女は小さく反応した。子供らしく目を輝かせながらも、その表情はとても不安げな、私の行動に対する疑問が現れている。
 他意はないですよ、と言葉を添えて、彼女に少年の頭と胴体を渡した。首元は早くも腐りかけているが、切り落とせばまだ食べられるだろう。
 彼女はそれを見て一瞬嬉しそうに顔をゆがめた。しかし、何を思ったのか、すぐに曇らせてしまう。何が足りなかったのだろうか。私は渡した肉塊と少女を交互に見て、その原因を探していた。だが考えても時間が経つばかりで、彼女の顔も晴れることはない。彼女は、重々しく口を開く。
「……、これはどういうことですか?」
「どういうことか、といいますと?」
「だから、私にこのような肉塊を渡してどうするのですか、と言ったのです」
 理解しない私に怒りにも似た感情を付加してぶつけてくる彼女の声に、私の意思は削られていった。なぜそんなことを言われなくてはならないのだろう。そんなことしか思い浮かばない。
「ワタクシは、アナタに食料を提供しようと思っただけですよ。それだけです。……少年の肉は嫌いでしたか?」
 私の返答に彼女は混乱しているようだった。本当に、目の前で起こっていることに対して理解が追い付いていないといった様子だった。
 何がいけなかったのだろうか。
 疑問しか思い浮かばなかった。私の予定では、彼女はこの肉塊を得て嬉しそうに笑うのだ。もし嬉しそうでなかったとしても、食料を得たことに対して何かしらの好意的な反応をするものだと思っていた。それが、こんな真逆の反応になるだなんて、誰が想像しただろうか。それとも、私の能力が足りなかっただけなのだろうか。
 私に質問をしても無駄だと悟ったのか、彼女は目の前の少女の腹を切り裂いた。中から臓物をいくつか取出し、口にはこぶ。やはり子どもの内臓は美味いらしく、珍しくうれしそうに顔を綻ばせていた。私はその顔を見て、勝手に満足をしていた。
 何をもって満たされたのだろう。
 やはり、何かが変だった。自分が自分でないような錯覚に陥ってしまう。今までそこにいたはずの自分というものが急にどこか遠くに行ってしまったような、奇妙な感覚だった。原因はなんであれ、恐らく私が感情を所有していることが違和感の正体であろう。なんとなく、分かってはいるのだ。
 いつの間にか少女は首だけになっていた。彼女は器用に包丁で頭を割ると、脳髄を啜る。それはさながら果実のようで、音だけ聞けばとてもおいしそうではあった。
髪の毛と骨だけになったかつての人間を、彼女は土に埋めていった。同時に、近くにおいておいた少年の身体も埋めてしまう。
「食べないのですか?」
 考えるよりも先に声が出ていた。
「私は、肉塊に興味はありません。人間を喰らうことに意味があるのです。人間だったもの、つまりどこかしらが欠落したものを食べたとして、それは店に売っている動物の肉と変わりありません。そんなものを食べても、私の腹も魂も満たされません。あなただってどうなのですか? 自分で狩ってきたものを、なぜ自らで食さず私に分け与えようとするのです? あなたには何の利点もないでしょう?」
 質問を重ねる小さな鬼に、私は返す言葉を選び損ねた。しかし彼女の問いは、解決しなくてはならないだろう。そして、その原因を説明するためにはもっと奥底深くに眠るルールから解説を始めなくてはならない。
 私は手袋を外し、座りなおすと、彼女の目を見て口を開いた。
「そうですねぇ。ワタクシがなぜその肉塊を食さないか、ということを理解するためにはもっと根本的な問いから始めなくてはいけません。それは、自分が何者であるかということ。これによって、ただ表面的に言葉を並べるだけではない、核心的な解を得ることができます。これまで何度も話してきたことですが、アナタに一つ質問をしましょう。アナタは、何者ですか?」
 私の質問に、彼女はあからさまに嫌な顔をした。そうなってしまうのはしょうがないことなのだが、それでもこれから話すことをわかりやすくするためには再度問うしかなかったのだ。
 彼女は少年の指を切り落とすと、それを弄って遊んだ。ぐねぐね、と動かしながら口を開く。
「あなたは本当にしつこいですね。それも、考えがあってのことなのでしょうから、私も答えますが。
 私はかつて人間で、そして幽霊だった妖怪です。小さな子供の時に餓死をしたせいで、“腹を満たす”という願望がかなえられず、未練を残した幽霊としてこの地に再誕しました。しかし幽霊が何かを食すことができるはずがありません。私は、その願いをかなえることができないまま、こうやって妖怪の形になってしまいました。魂には“腹を満たす”という欲望が刻み付けられ、それによって今は鬼の形をしている。
 これでよろしいでしょうか? そろそろ聞いてもいいでしょう。あなたこそ、何者なのですか? 今度ははぐらかさずに答えてください」
 彼女の正確かつ完璧な回答に、思わずため息が漏れてしまった。そして最後の言葉も、もちろん予測はしていた。そしてここまでくれば、語らずにはいられないことも、分かっていた。私は、少し長くなりますよ、と前置きを置いたところで、己の過去について語りだした。
「そうですねぇ……。流石にこれ以上冗談を言ってしまっては、アナタも嫌でしょうし私も気分が悪い。とてもくだらない、そしてつまらない話だとは思いますが、どうか聞いてください。そして、何かを得てもらえたならば幸いです。
 さて。
 何度も、ワタクシは自身のことを“神”であるといってきました。それと同時に、“王”とも発言した気がします。ここで一つ注意してほしいのは、この“神”という存在が宗教的な意味合いを完全に失っているということです。そもそも、人間たちが普段使っている『神』という単語に、ワタクシのような“神”は含まれません。それはそれらが内包する意味がまったく違うものだからです。ワタクシは宗教的な『神』に対してまったくの興味がないため、今ここでアナタに話すようなことはしませんが。
 アナタは、いつか話してくれましたね。この世界の始まりを。人間たちは息絶えて、文明は失われ、世界は原始生物だけで埋め尽くされた。そして、世界は急に隔離された、と。それは半分正解で、半分間違えています。そのもととなるお話を、一つ、教えて差し上げましょう」
 言葉を切って、一度空を見上げた。木々に隠された夜の天井は、その奥に億万の星をちらつかせている。とてもきれいな景色だった。私の決意もより鮮明なものとなる。
「まず最初に、世界ができる仕組みについてお話しましょう。ここで言う世界というのは、人間の世界で言う国の集合体などではなく、完全な領域です。そうですねぇ。この人間の世界で例えてみるのなら、宇宙がその世界に含まれるでしょうか。この惑星は宇宙という領域に含まれていますから、世界の一部だということができます。生物に関しても同じです。
 さて、どうやったら世界というものは出来上がるのでしょうか。ここでアナタに問うたところで返事はないでしょうから、ここでは止めておきます。世界というのは、神から作られるのです」
「…………?」
「はい、そうだと思いました。細かいところまで説明しようとすると、どうやって神になるかを解説しなければなりませんし、それはもう長い話になるうえ、何よりワタクシが誰であるかに影響してこない。なので、言わないでおきましょう。別の機会にでも話します。
 神が誕生すると、その場に特殊な場ができるんですね。領域が形成されるんです。その中心に神というのは存在し、ただあるだけです。場の中に物質体である肉体や土などの自然のものが形作られ、その上に住むことになる。ここまではいいですか?」
 私の言葉を、彼女は必至にのみこもうとしているようだったが、どうにも苦しいらしい。顔を歪めて考え込んでいた。
 しかしだからと言って、ここで話を中断させてしまっては彼女に怒られてしまうだろう。彼女が理解できることを祈って、続きを話す。
「それが本来の世界のでき方なのです。神という存在が、あぁ、これは言ったほうがいいですね。神は、簡単に言うと存在の最終形態です。ワタクシたちには魂というものがありますが、それらの奥底には元となる基盤が埋め込まれています。それによって私たちは行動をし、存在の精度を高めていく。その最後、絶対安定が、神なのです。まぁ、そんなことはどうだってよかったのですが。
 しかしですね。神でなくとも、世界を作ることはできるんです。世界は領域。つまり、それに相当する領域を作ればいいのです。
 それは、並大抵のいことではありませんし、小さな発展途中の人間が作り出せるような代物ではありません。しかし、大元となる世界が崩壊するときに、世界は分裂するのを妨げるように、小さな世界をたくさん作ります。その中心となるのは、存在の中で神にとても近いもの、魂が安定している者たちです。彼らを中心にして領域が形成され、世界が出来上がる。その大きさは多岐にわたり、町一つ分くらいから惑星一つ分くらいまであったりします。一つ言っておくと、ワタクシたちが普段暮らしている樹海も、その一種です」
 彼女は顔をあげた。そして、何かを閃いたように頷く。
「流石だ。理解が早い。
 しかし、これもまた稀な事例なんですよ? ワタクシは、人間であったころに世界の中心という大役を押し付けられました。樹海の原型です。しかし、すぐに死んでしまった。それは世界からの圧力などという大それたものではなく、単純な事故です。ですが、私には未練があったみたいなんですね。ですから幽霊という姿になり、この妖怪へと段階を重ねて変化してきた。この、中途半端ながらも安定した存在であるワタクシが、世界の中心であるということなんです。それが、“王”という単語の意味ですね。
 どうです。わかっていただけましたか?」
 彼女はしばらく黙ったのち、大きく頷いた。
 私はその笑顔を見るだけで、救われたように心が軽くなった。

【情報】
2012.06.14 15:51 作成
2023.08.04 20:38 修正(誤字・脱字)

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