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小説|時計は静かに
古いものには時間がのしかかる。人の手に触れるほど、それは濃さを増していく。
僕たちは吸収するすることによって生きている。相手のこともそう。目に見えないところで食べ、自分のものにして生活している。そうすればきっと、楽だから。自らが創造しなくても、相手のものを模倣して自分のものにしてしまえばそれで事足りてしまうから。
時計は静かに時を刻む。
空っぽな部屋に静かに響き渡る針の音を聞いて、僕は目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。床に寝たせいか、身体中が痛かった。
「おはよう」
彼女はつぶやく。
「おはよう」
僕は返した。
起き上って机の上に置かれた腕時計をポケットに入れた。洗面所で手と顔を洗い、腕時計をはめる。静かに鳴る歯車の音が耳に心地よい。時を忘れて、聴き入ってしまう。
「遅刻するよ」
彼女はつぶやく。
その言葉に我に返って、僕は慌てて荷物をまとめた。朝食を取ることも出来ずに家を飛び出す。
けれどそこに外はなかった。
やはり、と思った。玄関の扉を開けたらそっくりそのまま自分の家があるというのはやはりおかしい。けれど、そうなってしまったのも仕方がないのかもしれない。僕は腕時計に手を置き、溜息をついた。
扉の向こうの家に入りこみ、リビングに入る。どうやらここは鏡合わせではないようだ。向こう側に僕の姿は見えないけれど、本を一つ取り出せば、向こうで宙に本が浮く。まるで僕の模倣体がそこにいるようだ。
「だからやめておいたほうがよかったのに」
聞きなれた声がした。それは僕の腕からではなく、背中から。微かな期待を込めて後ろを向けば、そこには見慣れない少女が佇んでいる。
「私を拾ったりするからこうなるのよ。私は普通じゃないんだから。それはあなたにもよくわかるでしょう?」
「そうだ。だから僕も拾った。古いもののはずなのに、とても綺麗だった。誰が使っていたものかはわからないけれど、そこには僕の知らない時間が流れていた。僕が知ることのできる範囲を遥かに超えた、ね」
僕は部屋の中央に置いた椅子を引く。彼女の向こう側で擦る音がして、同じ分だけ開かれた。彼女も僕に背を向けて椅子に座る。開け放たれた玄関を境に、僕たちは遠い距離を共有していた。
「ならなぜ私を拾ったの?」
彼女は問う。
「きみに惚れたからだ」
僕の顔を見て、彼女は笑った。
「そう。頭がいいのか悪いのか、分からないわね」
「頭が良くても中身が追い付かないものは大勢いるさ」
「その逆もね。私、身なりは悪いけれどそれ以上のものを持っているわよ」
そういって机に肘をつき、顎をのせる。退屈そうに前髪を弄り始めた。
「そりゃそうだ。あの廃ビルにきみは捨てられていたんだもの。あの建物は僕の祖父母の代からある物だ。調べてみれば、きみはもう何百年も前につくられたものらしいじゃないか。それなのにそれだけ綺麗に保存されているんだ。普通なはずがない」
そうね、とつぶやいたきり彼女は何も言わなくなった。
沈黙だけがあたりを満たす。水を飲もうと椅子を引いたが、遠くで彼女の腰も下がる。慌てて僕は元の場所に戻し、身体を横にずらして静かに離脱した。台所で水をくみ、一口つけてから机に戻る。
「あなたは生まれ変わりを信じる?」
腰を落としたところで彼女は口を開いた。
「どうだろう、死んだ人には会いたくはないな」
彼女は小さく笑い、首を横に振った。
「そういうことじゃないのよ。あなたたち人間は身体を入れ替えて長い時間を過ごすわ。けれどもそこに連続性はないの。だって、外見が変わったらそれだけ経過する時間も変わるでしょう? すべてが繋がっていたらあなたたちはとうの昔に破綻しているわ。自分の奥底で感じることはあっても、それらが外に出ることはないの。
でも私たちは違う。人によって破壊されない限り壊れることはない。ただの入れ物だった私に当然あなたたちの中身が入り込むことはないわ。けれども、あまりにも濃い時間というものは、時に形を持つものなのよ。実際には見えない、特別なものがね。それらはまるであなたたちと同じかのように振る舞って生きていくわ。それを知らない人から見たらただのものでしょうけど、時間を認識した人間からしたら、私のようなものはあなたと同じように見えるのでしょうね」
そういって彼女は立ち上がった。僕の椅子は動かない。
静かにこちらの部屋に入り込み、目の前に立ちすくむ。
「例えば内面と外面が釣り合ったもの二つが一つの箱の中に閉じ込められたとしたら、あなたにはそれらを区別することはできるかしら」
机の上に置かれる時計は静かにぜんまいを回す。
蓄積された時間を忘れるようにせわしなく回る。
細い少女の腕に通された時、それは静かに時を止めた。
「……やっぱり、入れ替えはできないんだね」
少女はひとり、悲しくつぶやいた。
【情報】
お題:団地妻の時計(制限時間:1時間)
2013.02.21 16:46 作成
2024.10.18 22:31 誤字・脱字修正