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小説|ブランコ
風が吹けば私の髪は後ろへと飛ばされた。しかし春の風というのはとても優しいもので、まるで草原を駆け抜ける小動物のように私の髪の毛を潜り抜けていく。そして頬に体を擦る様に優しく撫でてくるのだ。そういった目に見えない自然と触れるたび、心に温かいものが灯る。それと同時に、少しだけ苦しくもなる。私はこの自然というシステムの中には入りこめないのだろうな、といった諦めにも似た感情を私の中に植え付けていくのだった。どんなに親しげに振る舞っていたとしても、私はその溝から目をそらすことはできなかった。空を見上げれば、鳥が楽しそうに空と遊んでいる。鳥は自然のシステムの中に溶け込み、生きていた。あんなに楽しそうに飛ぶだなんて、なんて幸せなのだろうか。それだけ彼らは自由だということだろう。
自由。
私に自由はなかった。私は学校に行かなければいけないし、子供として振る舞わなくてはいけない。ルールを守り、これから真似事をするために大人たちから情報を詰め込まれる。いい大学に入っていい人と付き合い素晴らしい人生を送るために自分に価値をどんどん付け足していく。そうすることによって私たちは満足し、幸せになっていくのだろう。
どうにも、この仕組みが私には息苦しいものと感じられた。これからこういった社会の中に身を投げなくてはいけないと思うと、気が滅入ってくる。だからと言って何か大きな行動を起こせるわけでもなければ、無意味に歯向かうこともできない。音をたてないように静かに仕組みの陰に隠れ、得られるものすべてを胸に抱えていた。
□
そんなことを考えながら、私は誰もいない公園のブランコに座っていた。足を少し動かして揺れているものの、遊んでいるとは言い難い。恥ずかしさもあったが、それ以上にブランコに対して魅力を感じていなかったことが原因だろう。スニーカーのつま先だけを地面につけて、足首を動かす。アスファルトの仄かな熱を吸収した風が頬に当たって少し心地が悪い。太陽は少し傾いてきて、私の後ろに伸びる影も少しだけ長くなっていた。
ふと、目の前に小さな影があった。
私は何気なく顔をあげると、そこには白いワンピースを着た、小さな女の子がいた。腰ほどまであるである長い髪を、水色のリボンで一つにまとめている。彼女は何をするでもなく、ただ不思議そうに私のほうを見ていただけだった。
誰だろう、こんなところで何をしているのだろう。そんなことを考えてしまったが、少女の背の大きさからしてまだ小学生くらいだった。一人で歩き回るには少々不安が残るが、それでも友達と遊ぶ約束をしているのならばこういった公園に来るなんてまったく不思議ではなかったことに気付く。私は少女への心配を止め、そして彼女が何を欲しているのかを考えようとした。
「いえ、そんなことしなくてもいいです。わたしはただ公園に来ただけですから」
その容姿からは想像ができないような、とても落ち着いた声をした少女だった。慣れたように敬語を離す彼女は、ブランコの前にある鉄の柵の上に座り、私と対面する。
「あなたは、ここで何をしているの? お友達と遊ぶ約束でもしてたのかな?」
「わたしに友達はいません。お家を出てふらふらしていたら、いつの間にかこの公園にたどり着いてしまって」
彼女自身、何が何だかわからないといった感じだった。自分が何でこんなところに来たのか、もしかしたらわかっていないのかもしれない。何かの病気なのだろうか。
「そんな敬語じゃなくていいよ。あなたはまだ子供なんだから、もっと子供らしくしなくちゃ」
「子供らしくって、なんですか?」
「え、そりゃ、子供の様にふるまうことだよ。変に大人のまねをしないで、ただ思ったように感じたように活動するの。その中で心から湧き上がってきた言葉を口から出して会話をする。それが、子供らしさだと思うけどな」
私は小さくブランコを揺らした。
「でもそれは、あなたが思う子供でしょう? それに、子供は間違いばかりをする悪いものだとお父さんが言っていました。いい人になるためには、大人になりなさいとも言っていました」
「大人って、どういうこと?」
「お父さんが言うには、悪いことを知り良いことをする人間だそうです。それでいて、自由な人間のことだそうです」
自由。彼女口からその言葉が出てきたときに、私の方は一瞬震えた。彼女に気付かれただろうか。不安に思いながらも、何事もなかったようにふるまい続ける。
「なるほどね。あなたは、そのために大人の真似事をしてるんだ」
「はい。言葉遣いに気を付けるようにお父さんに言われました。だからわたしはできる限りの敬語を使います。行動にも気を付けるようにと言われました。だから私は粗相がないように生活をします」
「……大変だね」
私が同情とも取れる言葉を投げかけると、彼女は首を横に振った。
「大変ではありません。むしろ、あなたの言う子供らしさを身体で表そうとする方が大変です。わたしの親が悪いこととして教えてきたからでしょうが、わたしには同級生の身勝手な行動が理解できません。わたしは大人になるために振る舞います。自由になるために振る舞います。しかし違和感を感じ取られないよう、落ち着いていると思わせるために小さなしぐさにも気をつけます。あなたはこれを面倒くさいと思うでしょうが、それがわたしにとってはとても楽なのであり、自由なのです」
彼女の言葉からなんでも出てくる自由という言葉。私はそのさも特別でないかのような口ぶりに、苛立っていた。こんな子供じみたことを考えるだなんて情けないとは思う。しかし、自分の理想を押し付けようとしてくる彼女のことがどうにも気に食わなくて、少しだけ言葉が荒くなってしまった。
「自由って何よ」
彼女は、私の言葉に顔をひきつらせた。今にも零れそうなほどに、涙がたまっている。口にした後で後悔した。
私はブランコを止まらせた。
「あなたが何によって自由を得られるかというのは、わたしにはわかりません。なぜなら自由というのは時に規則を破るものだからです。自由というのは、基本的なところは同じだとしても、人によって感じるものは違います。あなたはわたしの父の言葉が気に食わないようですが、わたしの知っている自由というものを、あなたの問いの答えとして話します。
自由というのは、自分にとって一番負荷がかからない状態のことです。ここで重要なのが、逃避とは違うということ。逃げるのではなく、自分の思うように生きいきと暮らすということです。そのために必要なのが、ストレスの排除と、醜い欲の排除です。たとえば誰かが仕事の辛さに苦しんでいるとしましょう。その人には養うべき家族がいます。当然彼は社会人として働かなくてはいけませんし、父親として家族に尽くさなくてはいけません。法律に従って、やらなくてはいけないこともあるでしょう。この時の彼は、完全に不自由です。自分というものが抑圧された、ストレスの塊です。しかし自由になろうとしても、今までどうにかして手に入れてきたものをすべて投げ出してしまうような気がして考えが止まってしまう。社会からは冷たい目で見られると思うでしょう。そういったものが、彼の不自由さをさらに強めているのです。
そこから自由になるためには、例え立場というものがなくなったとしてもやりたいことをやらなくてはいけません。しかしここで邪魔をするのが、醜い欲望です。それによって自由というのは逃避というものにすり替わり堕落していきます。だから、その欲望は排除しなくてはなりません。子供には遊び道具を買ってやれない。ならば、身の回りにある物で遊べるということを教えてあげよう。父親らしくなかったとしても、家族として幸せになるように行動しよう。そういった、視点の切り替えも必要だと思います。そうすることによって、大きな行動をすることによって、彼は不自由から自由へと変わるのです。
あなたが今不自由だというのならば、ちゃんとした原因があります。息苦しさを感じていれば、それを突破するべきでしょう。もしつまらない言い訳で前に進めないのだとしたら、あなたは一生不自由でつまらない幸せを得ることになります」
長々と説教をした挙句、私に命令をしてきた。私の胸の中は完全に沸騰していたが、それでも大人として冷静に対応することに努めた。しかし一歩引いて考えてみると、彼女の言っていることも確かに間違ってはいなかった。いや、父親の考えか。いささか極論的ではあるが、彼女の言う通り自由というものには形があるのだと思う。それを手に入れるか入れないかは、すべて私の判断にかかっているということも。
癪ではあったが、彼女の言うとおりだった。
私はわざとらしく大きなため息をつくと、彼女の顔を覗き込んだ。
「私も自由になれると思う?」
その言葉に、彼女は大きく微笑んだ。
柵から下り、私の許へとやってくる。
「もちろんですよ」
風が優しく頬を撫でた。
【情報】
2012.09.03 23:00 作成
2023.12.02 08:07 修正