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小説|冬の王

 冬の少女が道を駆けぬけて行った。彼女が通った道は、かすかな雪に覆われて白くなる。みな仄かな冬の香りに鼻の先を赤くして首を縮めるのだった。まるでカメみたい。走る少女は人間を見て思う。真っ白なワンピースを着て、水色のマフラーを首に巻きつけた少女、細い青い布の先は風に揺られて舞っていた。何も履いていない裸の足がアスファルトや街のタイルを蹴っていく。秋の暖かな匂いを彼女の冷たい息で染めていく。

 彼女は冬だった。

 商店街の中心に高くそびえる木に飛び乗った。枝から枝へと器用に飛び移り、緑色の木をクリスマス色に染めていく。あとは、商店街の偉い人達が飾りつけをしていくことだろう。数十日後にはきれいな夜が作られるはずだ。
 クリスマスという言葉で思い出した。彼は今何をしているのかな。動物をソリの前に縛り付けて鞭ではたいていた、真っ赤な太った老人は今も元気に暮らしているのだろうか。冬と言えば彼を思いだすことが多いらしい人間の世界において、少女の立ち位置というものは良いものとは決して言えなかった。いや、もしかしたら悪いのかもしれない。彼女の存在は、ほとんどの人間ににんしきされていないのだから。大抵、冷たい風が吹いているな、というくらいのものなのだろう。
「はぁ……」
 彼女は走るのをやめ、道の真ん中で立ち止まってしまう。口から洩れたため息は、目の前の空気を凍らせてしまった。凍った空気の塊が地面に当たって、大きな音を立てて割れる。少女ははっとして、顔をあげた。
 そこには、街などなかった。
「あれ……?」
 彼女は先ほどまで灯りでいっぱいな夜の商店街にいたはずだ。だるまみたいに体に衣服を巻きつけて寒さから身を守っていた人間が、どこにもいない。どういうことだろう。どこに行ってしまったのだろう。
「なんだ、自分の故郷のことも忘れてしまったのか?」
 頭の上から声がした。驚いてその場から飛び退いてしまう。
 そこにいたのは、腹を大きく膨らませた赤い老人だった。頬は風船のように大きくなり、白いひげも品がない。子供たちが彼のことを見たら泣いてしまうだろう。せっかく悪いことをしてこなかったというのに、彼のせいで一生いいことをしてやるものかと、考えを改めてしまうかもしれない。
 肉に埋まった眼球は、いやらしく光っていた。気味が悪い。
「忘れるわけないじゃないですか。私はこの世界の王ですよ? こんな格好ですが」
「少女の形をしたものが王とは、この季節も終わったものだ」
「どの季節も私と同じくらいの少女だったかと思いますが?」
「そんなだから人間たちが季節に甘えるのだよ。大昔の王は人間に対して絶対的な精神の立場を持っていた。だからこそ祭りがおこなわれていたのだよ。王に感謝をする行事が、心を込めて意味を伴って行われていたんだ。けれどもなんだ。今は商業の道具としてしか使われていないじゃないか。それなのに人間は抜け殻の習慣を押し付けて季節を楽しもうとするんだ。まったく、困ったものだよ」
 彼はその大きな体を揺らして自分のソリのもとへと歩く。乗り物を引く生き物は、骨のように痩せ傷だらけだった。かわいそうに。けれど私がその場所に行ってしまったら、彼らを凍え死なせてしまうかもしれない。あとで春の子に治してもらおう。彼女なら何か方法を知っているかもしれない。
 彼は偉そうにソリに乗り込み、懐から大きな葉巻を取り出す。火をつけ、大きく息を吐いた。紫の煙が生き物の顔を覆い、苦しそうに呻く。けれど、逃れることはできない。
 私は小さくため息をついた。白い雪の結晶が光を反射して輝く。
「それで、私をわざわざここに連れ戻してどうするつもりですか? まだまだ秋の匂いが残っています。早く冬に変えないと、あなたの仕事もなくなってしまうじゃないですか」
 彼は膨れ上がった唇を使って煙をいろんな形へと変えて遊んでいた。アルファベットから動物の形など、多岐にわたる。
「別に、特別な用事じゃないさ。お前に、王をやめてほしいだけだ。お前のような小娘が季節を仕切っているから碌なことにならない。わたしがやればもっといい季節になるのだ」
「……またそれですか。いつも言ってるでしょう。あなたはサンタクロースなんです。サンタクロースはサンタクロースの仕事をしなくてはいけないんです。その代りは誰がやるんです? 私にはできないですよ。ほかの誰かでも雇いますか? プレゼントを配るのも、それなりの技術と才能が必要でしょう。あなたにしかできないと思うのですが?」
 私の言葉を彼は大きく笑い飛ばした。
「馬鹿な娘だ! そんな小さな脳では考えられることも限られてくるのだろう。王がほかの仕事をしてはいけないというルールはないはずだ。神に怒られるわけでもないのだろう? それはお前が定めた、勝手な規則だ。そんなものに従っている暇はない。さぁ、王の座をわたしに渡せ」
 彼は途中の葉巻の火を、動物の背中で消す。苦しげな声が広場に響いた。
 どうしてここまで彼は王の座にこだわるのだろう。王の仕事は、その季節の管理と季節の訪れを人間に伝えることだ。それは、言ってしまえば誰にもできることだけれど、わざわざ彼がやるようなことではないはずだ。
 とすれば、彼はただ単純に地位がほしいだけか。それでは、彼が嫌っている人間と何ら変わりないではないか。思わず笑いがこみあげてきてしまう。
「なんだ? なぜ笑っている」
 私の口から洩れる笑い声に、彼は訝しげな声をあげた。私のことがわからないといった様子である。あぁ、おかしい。何が起こっているのか自分でも理解できていない彼のことがとってもおかしい!
「別に、大したことではないですよ。あなたがどこまで自分のことを理解していないかということを考えていたら、笑うのをこらえることができなくなってしまっただけです」
「なんだと!」
 彼は服に負けないくらい顔を真っ赤にさせて立ち上がった。けれどバランスをとることができずに、ソリから転げ落ちてしまう。顔積もった雪に埋めてしまった。
 その様子にさらに笑いを誘われてしまった。止めることもできずに、げらげらと下品に笑ってしまう。
「あぁ、ごめんなさい。自分でも制御できないです。あはは! でも、おかしいですね。どうしてあなたはそこまで王という名前にこだわるのですか? そんなものがなくてもあなた十分特別でしょう。今はそんなにくたびれた格好をしていますが、昔はとてもよく働く青年だったと聞きますよ。世界中の子供たちに幸せを分けてあげるんだ、と意気込んでいたと、先代の王から聞きました」
 やめろ、と彼は叫ぶ。
 私は腹の奥に笑いを閉じ込めて、雪にまみれた彼に向って言葉を投げかける。
「あなたが王になっても何も変わらないと思いますよ。むしろ状況が悪くなってしまうかもしれません。私を殺してまで手に入れようとするのならば、もっと悪いことになるでしょうね。王が一人いなくなるんです。季節の秩序がなくなるんです。
 どうしてあなたはそんな風になってしまったのですか?」
 彼は何も言わずに黙っているだけだった。首輪をした生き物が不安げに私を見つめている。
 長い長い沈黙を破って、彼はしゃべり始めた。
「お前が言った通り、わたしも昔はよかったんだ。もっと優しい目をしていた。自分の使命というものを認識して、それらを全うすることに幸せを感じていた。それを分け与えることが自分の役目だと、思っていた。けれどな、いつごろからか、自分の中の幸せというものがなくなってしまったんだよ。空っぽになってしまった。それからわたしは周りの者から幸せを奪ってきた。そうすれば、なくなってしまった幸せを再び手に入れることができると思ったからな。だが、結果はこの通り。日に日に醜くなっていくだけだった……」
 彼は言葉を切り、立ち上がる。ソリ引きの生き物の頭に手を載せた。彼はひどく怖がっているようだったが、動くことができずにじっと震えている。サンタクロースは、優しく彼の頭を撫でた。
「だから、お前からも役目を奪えば、幸せを奪えば何か変わると思ったんだ。だが、今までと同じだな。もっと悪くなるかもしれない。こんな身なりをしたものがサンタクロースだなんて、子供たちのことを傷つけてしまうかもしれない。幸せを分けるはずのサンタクロースが不幸を振りまいているようじゃ、何の意味もないだろう?」
 彼は悲しそうに私を見た。助けを請うように、静かに瞳を向ける。
 私は彼の元へと歩いて行った。自分の身長の二倍以上あるであろう巨体の足元に立ち、見上げる。
「特別なことをしようとしなくていいのですよ。あなたはあなたであればいいんです。難しく考えるから、できることもできなくなる。あなたはやるべきことを、やればいいんです。幸せがなくなっただなんて、そんなの嘘ですよ。あなたから本当に幸せがなくなっていたら、さっきみたいに頭をなでることもできなかったはずでしょうから。少しずつでいいんです。昔のようになろうとも思わなくていいんです。あなたのやるべきことを、あなたのできる範囲でやればいいんです」
 私の言葉がどれだけ彼に響いたかはわからない。けれど、少しでも彼の力になれていればいいと思う。
 彼は小さくうなずくと、そりの後ろに積まれた大きな袋から何かを取り出した。
「ほら」
 彼の大きな手から滑り落ちてきたのは、スティック状のキャンディだった。白と赤が捩じれている、とても甘いお菓子だ。
「それでも食べて王としての役割を果たしてくれ。わたしはわたしで自分のことをやってくる」
 そういって彼はソリに乗り込んだ。生き物の身体をなでて、出発の合図とする。
「行ってらっしゃい」
 私の言葉に、彼は小さく手を挙げた。
 さて、私も仕事をしに行かなくてはいけません。
 もう秋は終わりです。冬の支度をしてもらわねば。

【情報】
お題:肌寒い感覚(制限時間:1時間)

2012.12.13 19:40 作成
2024.09.20 09.45 誤字・脱字修正

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