2023/2/4
部屋の模様替えをわりと頻繁に試みる方だ。今の部屋は前の部屋よりも広いけれど、ベッドの縦の長さと寝室の各辺の長さの兼ね合いや、リビングのエアコンとキッチンの位置、持っている家具の高さ、手放してしまったカーペットとソファ、それぞれの要因が絡み合った結果大きな変動が難しい間取りになっている。
前の部屋や、実家の部屋で過ごしていた時にはベッドをあらゆる位置に移動させて模様替え業にせっせと勤しんでいた。壁に沿った位置にベッドを置くと、左右どちらかに壁があるので安心感を持って寝られる。海外の女の子、または王様の寝室のイメージとしてあるように部屋の真ん中にベッドを据えると、両脇に空間ができてしまって、寝ている間の毛布のずり落ちのことなどを考えてあまりよく眠れない。足側を壁にくっつけて頭の方に空間を作った時にも落ち着かなかった。
ビジネスホテルの部屋のベッドは左右どちらかが絶対に壁にくっついているから安心感があるのか、なるほど! 掛け布団がそのベッドと壁の間にきつく挟まれていて、寝ようとする度に思いっきり引っ張りあげなきゃいけないのは毎回ちょっとずつストレスなんだよな、と思い出すなどした。
盛岡に住んでいるらしいが本当にそんなこと起こっているのかと疑っていた大人二人のおうちに遊びに行った。本当だった。
友達のおうちにお昼時間に遊びに行って、しかもそのおうちのごはんをご馳走になるのは、中学校・・・よりも前、小学校中学年くらいの時以来だと気づいて衝撃を受けた。それほどに自分はほかのひとのおうちに遊びに行かないのだなと思うと同時に、遊びに行かずとも部活と自宅での1人時間で十分に充実した日々を過ごしていたんだろうなとこれまでを振り返った。
たぶん誰にでも気を遣わないことはないし、相手に触れてもいいのか迷うラインはかなり広くとっているけれど、どうぶつの森の住人と同じくらいの距離感でみんなのことはすきだと思います。
うれしい土曜日、ありがたあったかい。でした。
頼むから、できることならば、この先お互いの道がもう交差することなくそれぞれ幸せに暮らしていけますようにと思っている大人が数人います。
わたしが大人になるまでの各タイミングで出会い、それぞれがそれぞれのやり方で仲良くしてくれたし、可愛がってもくれたと思うけれど、それぞれがそれぞれのやり方でちゃんと傷を負わせてくれた、いわゆる「ん〜、出会っちゃったか〜!」な人々です。
子ども対おとな、という構図で出会っているので喧嘩とは違っていて、なんだか難しい関係性、絶対的に相手の方が力が強かった関係性が、ずっとわすれられなくて残っている。
毎回思い出す時には、否定された自分の部分のことを思って泣いたり、思い出したくないなあと思ったり、ああ、これがトラウマか〜となったりして、けれど何度か周りの人に「でもあなたのことについてそんな風に言ってきたのってその人1人だけだよね?」と言われたり。してきました。
そんな中最近思ったことがあって、それは「わたしはこの人たちと最終的には仲良くなりたかったから、こうして今もずっと思い出したり考えたりしているんだろうな」ということです。いつまでもずっと、誰かのことをいやだなあと思うのはすごく疲れることだと感じる。怒り続けたり、泣き続けたり、悩み続けたりするのも同じで、実際に最近は、昔よりもそういうことをし続ける体力がびっくりするくらいなくなった。
だからきっとそのこともあって、わたしはこの大人の人たちのことをいつまでもわたしの記憶のトラウマグループに入れておくことに疲れてしまって、「仲良くなりたかったんだろうな」と、考えるに至ったのだと思う。
一生懸命なひとたち。
働き始めてから、気に留めない、ということが上達しました。