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越境した日の夕暮れ

昨年2023年の10月、そのときの自分に「あるぶん」で録った音声をみつけた。

フリートークはURL限定設定にして鍵をかけているけれど、前回noteに書いた内容と呼応している気がして、なんとなくここにおいておきたくなった。

この音声を記録したのは、コーチングスクールで最終課程を受講していた頃だ。当時の私は毎日のようにクラス内外でコーチ・クライアント双方向から様々なセッションを繰り返していた。そしてちょうど折り返しを迎えようとしていたある日。突然…本当に突然、自分がかけているメガネの存在に気がついた。あまりのショックに日が暮れていくなか立ち上がれず、電気をつけることもできないまま数十年ぶりくらいのレベルで号泣した。「記憶と感情はセット」とはよく言ったもので、暗くなっていく部屋の床の映像が今でもクリアに、あまりにも鮮明に思い出せてしまう。こんなメモが残っていた。

2023/9/29
色々味わっていたら夕方に突然ドバーッときて、自分がこれまでかけていたメガネの存在に気付いた。自分が一所懸命してきたことがどこに向かっていたのかがわかってしまった。わかってしまったというか認めてしまった。そしてメガネに気付いたら、相手も同じようにそのひと自身のメガネをかけていて、自分も彼女も相手を見ていたのではなくて自分が欲しいもののためにそうあって欲しい相手を見ていたんだとわかった。言葉をさがしていたらとめどなく大きな感情が生まれて数十年ぶりくらいのレベルで号泣した。

2023/9/29

冒頭においたフリートークは、この出来事のおよそ一週間後に録った。

2022年、私は世界的なアクティングコーチ、イヴァナ・チャバックのクラスに参加するため、アメリカに1ヶ月半滞在した。イヴァナとの出会いは私にとってまさに「ライフチェンジング」と言えるものだった。クラス初日からガツンと雷にうたれたような衝撃があり、帰国するまでの48日間のなかで何度も何度も自分の世界が変わっていく瞬間を体感した。アメリカに滞在したひと夏まるまるが「本質的変容」という言葉を体現するような日々だった。

彼女とのやりとりのなかで自分に必要なものが明らかになり、帰国して調べていくなかでコーチングという分野を知って、年が変わるなりその世界に飛び込んだ。2023年はコーチングとともに歩んだ一年だった。

2023年の記録を読み直すと、イヴァナの元で経験したほどの最大瞬間風速はないが、例えるならば煮込料理が仕上がっていくようなプロセスをジワジワと歩んでいる自分がいたことに気付く。

フェーズが変わる、という言葉をよく耳にする。
そして「フェーズの変化とともに人間関係の別れがくる」とも。

以前、TVの北島康介さんのドキュメンタリーで、コーチの(確か)平井伯昌さんが、ピーキングについてこんなことを言っていた。

《トレーニングは本番に選手のピークをもっていけるように訓練をする。しかしピーキングの最も難しい部分は、これがピークだということがその時にはわからないこと。後から振り返って「あれがピークだったね」としか測ることができない。》

2022年、イヴァナと過ごした1ヶ月半、私は変わっていく自分をありありと体感することができた(これだけでもイヴァナチャバックというアクティングココーチがどれだけすごいかがわかる)。だが、昨年一年の自分もまた、おなじくらい大きな変容の渦中にあった。今振り返って漸く気付くことができるようになった。

激しい拒絶、そして越境。
別れが生じて、出会いがくる。

親友と思っていた人との関係性の変化は、私にとって受け入れがたくとても辛くて苦しいものだった。しかし、それ以外の選択肢がないこともどこかで理解していたように思う。目的に向かうなかで必ず通らなくてはいけない道があり、そこを通るためには避けられない出来事だった。わかっているからこそずっとずっと葛藤していた。そのスレスレのラインを越える選択を自らするかどうか。今思えば、あの日が私の「越境」だったのだ。

さて。
それでは、「今」の私は一体どんなフェーズに在るのだろうか。

経験を重ねてある程度見立てはできるようになったものの、やはりピーキングと同じで、きっと本当の意味で体感できるのはもう少し時間が経った頃になるのだろう。

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