見出し画像

敬意についてかんがえる

※これは以前Blog **Evening primrose** に綴った内容の転載です。

**Evening primrose** (2017年12月07日) 

敬意をはらうということを
最近とっても考える。

「失礼」
つまり
「礼を失う」ということとセットで。

小学校6年生のとき、空手をはじめた。
空手の初段をとった頃と比べて
かくだんに体力が落ちたな、と思ったとき、弓道をはじめた。

武道は礼を重んじる。
どちらの道場でも
私は「敬意をはらうこと」をおしえられた。

空手の先生は
ことばで敬意については語らなかった。

でも
先生の空手に対する姿勢と
門下生に対する姿から
体感的に学んでいたのは
まぎれもないそれだったんだとおもう。

空手の先生はそんな方だった。

私は空手がすきだったけど
それ以上に先生がだいすきだったから
稽古は当時の私にとってクソきつかったけど
道場に行っていたんだとおもう。

弓道は、空手とはまた少し違った武道だ。

私が最初に驚いたのは、空手と違って「教本」があること。
それをもとに昇段審査のときには筆記試験があったりもする。
弓を持つことと同時に、文章でもいろいろな概念を学ぶのだ。

ところが
入門した大きな弓道の道場では
敬意をたてに、後輩たちにびっくりするような意地悪をする先輩グループがいた。

精神を語っているくせに
やっていることは全く本質ではない。

射の精神は文章にまでなっているのに
段位をずいぶん重ねているのに
やってることがとってもちぐはぐだった。

私はその先輩方が言っていることを聞いているうち
とてもきもちわるくなった。

こんな相手でも
先輩に対して敬うこころをもたなくてはいけないのだろうか。
これが敬意なのだとしたら
確かに自分にそれはないけれど
しかし敬意とは
自分をあげるために相手を下げる手段のひとつとしてつかう言葉なのだろうか。

敬意とは。
敬意とは。
敬意とは。

敬意ってなんなんだよ。

先輩方の言っているものとは絶対に違うとおもいながらも
結局当時の私は明確なことばにすることができなかった。

けれど
自分がたとえばこのさき後輩をもったとしても
こういうことはしない人で在ろう、という反面教師として気持ちをおさめた。

なかなかの学びだった。

年月がすぎた。

随分長い間考えないでいたそのことについて
少し考えるような出来事があって
私は数年前にもやもやした疑問の答えをやっとみつけた。

敬意をもつということは
うまくいえないけど
いわゆる「相手をたてるこころをもつこと」ではない。
「じぶんがへりくだること」でもない。

相手に本当の意味で敬意をもつことができるのは
相手にあってじぶんにないものをしっていること
それと同時に
じぶんにあって相手にないものをしっていることが同じように必要なんだ。

完璧な人間なんてそうそういない。
だけど
なにもない人間だってそうそういない。

そのことを知らないと
本当の意味で他人を敬うことはできないのだ。

自分はなんでもできると思うのはあさはかだ。
けれど
自分にはなにもないと思っている状態というのもまた
相手のもっているもののすごさに本当の意味で気付くことができていないんだ。

敬意とは
対象にむけて育むものではない。

自分を育てていくことで
自然と生まれていくもの。

有ることをしることで
無いことをしる。

いまここの
「ありのまますべて」を
まっすぐうけとめること。

そしてそのためには、つよさが必要。

つよくなくては
ありのまますべてを正しくうけとめることはできないんだ。

己を鍛えるということは
つまり、そういうこと。

 人格完成に努むること
 誠の道を守ること
 努力の精神を養うこと
 礼儀を重んずること
 血気の勇を戒むること

空手の稽古終わりにいつも唱和していた道場訓。
はっとして読み返した。

ああ、やっぱりだ。
ひつようなこと、ここにぜんぶ書いてあった。

きっと空手の先生は
このこと知っていたんだろうなと思って
あの道場であの先生のもと空手に出会えた偶然に感謝した。

--------------------------------

空手道五条訓

一、人格完成に努むること
空手道の修行を行うものにとって目標として一番大切なことである。日々の厳しい稽古の中でお互いの人格を尊重し、人間性の向上発展に努力することが必要である。第二条以下の道場訓はすべて第一条の目標達成の方法である。

一、誠の道を守ること
誠とは真心であり、ひとたび口にしたことは必ずやり遂げる、これが誠の道なのである。言ったことは実行する、嘘をつかない、ということが人からの信頼を高める根本である。

一、努力の精神を養うこと
何事も努力なくしては成功することはできない。このことは理屈でわかっていてもなかなか実行できないものである。そこで努力するためにはまず精神、即ち心から決意する必要がある。そして決意したことに努力して立ち向かっていく、そうでなくては何事もなしえない。

一、礼儀を重んずること
礼儀とは、最も人間性のあらわれであり、秩序の根本である。相手を尊敬して礼をすることも当然でありうるが、実は礼儀は自分自身のためにあるということを知らなければならない。初対面で相手に対して、堂々としかも丁重に礼をすれば、相手は感応して信頼を高めることができる。人間の真価は礼節にあらわれる。決しておろそかにすべきではない。

一、血気の勇を戒むること
人間はとかく我が儘な心に支配される。ちょっとしたことにでもすぐカーッとなって腹を立てる。相手に突っかかる。本人は勇ましく振る舞っているつもりかもしれないが、端から見ると滑稽なものである。空手道の修行に励むものは、些細なことですぐ腹を立てるようでは、空手道の名に恥じる。 腹が立った時には、にっこり笑えるほどの心のゆとりを持つことが大切である。

日本松涛連盟 道場訓解説より引用させていただきました。
私の入門した流派は日本空手協会ですが、こちらの五条訓解説が非常にわかりやすかったためです。
https://jks.jp/about/dojokun

いただいたサポートはカワイの芸術活動の研究に使わせていただきます(*´꒳`*)