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【小説】伊藤家の人びと -看恕-

前置き

#有料記事書いてみた
#小説 #短編小説 #落選供養

第104回オール讀物新人賞の投稿作です。
第一次予選、通過!
第二次予選、落選…… となりました。
783篇の中から45篇が一次通過。そのなかに入れたのは、うれしかったのですが、二次も通過したかったなぁ。

今回改めて読んで、冒頭から脱字していることに消沈。
印刷して赤を入れながら推敲したのに、なんで見落としているのか……。自分が嫌になります。

40字×30行の縦書きで24ページ、原稿用紙換算で60枚の作品です。
冒頭5ページ分を無料公開とし、6ページ以降を有料で公開いたします。  (2024/10/19更新 すべて無料公開にします。最後に購入ボタンがあるので) 
一次通過作がどんなものか興味のある方は、ぜひご購入ください。

そんなこととは関係なく、面白そうだから、で購入いただけたら、もっとうれしいです。

小説本編

伊藤家の人びと -看恕-

 なぜ、こんなことなったのか。
 伊藤看恕かんじょは将棋盤の前に正座をしたまま、考えている。将棋の局面は看恕の敗勢となっている。しかし、まだ負けてはいない。ここから逆転するために盤面に集中しなければ、と思いつつも、後悔の念が溢れ出てくる。こんな状況になる前に、引き返す機会は幾度もあった。
 盤の反対側に座る五十絡みの男に目をやる。名村立摩なむらたつまというこの男は、加賀から来たと言ったか。でっぷりと肥え、額に汗が滲んでいる。肥満体ゆえに正座をするものつらそうだが、崩そうとはしない。嘲笑うように分厚い唇の端をあげ、腕組みをしている。浅黒い肌は旅の道中で日焼けしたものか。
 名村が伊藤家を訪ねてきたとき、仏心を出したのが最初の間違いだった、と看恕は思う。
「伊藤宗看そうかん先生に、お目通りを願いたい」
 そう名村が言ったとき、追い返せばよかった。日に焼け旅塵にまみれた名村を気の毒に思ったので、客間へ通してしまった。

 看恕が生まれた伊藤家は、将棋三家のひとつである。将棋三家は、大橋本家、大橋分家、伊藤家の三家であり、勘定奉行支配のもと徳川幕府より扶持をいただいている。八代将軍吉宗が十一月十七日を御城将棋の日と定めて以来、毎年この日に将棋三家の者は将棋の技を将軍の前で披露することになっている。将棋三家の中で最も将棋の技に優れた者が、名人である。このとき、伊藤家の当主、伊藤宗看が七世名人に襲位していた。宗看の齢は三十であり、看恕の兄である。
 看恕が名村を無下にできなかった理由は、仏心以外に、もうひとつある。生活のためである。徳川幕府より伊藤家にくだされた扶持は二十石五人扶持である。現代の価値に無理やり換算すると三百万円くらいである。なかなかこれだけでは生活が厳しい。それゆえ、別に収入源がふたつあった。ひとつは拝領地に建てた家屋からの家賃収入、もうひとつは将棋の指導料である。
 将棋三家の者は武士ではない。御典医などと同じく町人である。常時江戸城に詰める必要はなく、毎年四月の「御目見え」から十二月の「御暇」までが勤務期間である。年明けから三月までは比較的自由であり、湯治などの名目で寺社奉行に届けを出したうえで、地方の将棋愛好家のもとを訪れることができた。この旅で得られる将棋の指導料が大事な収入源であった。
 この名村立摩という男を看恕は見たことがなかった。しかし、腰に下げた煙草入れは革製で、留め具は天駆ける麒麟の見事な彫金であった。加賀と言えば前田侯百万石のご城下である。名村は加賀の地にて宗看の大事なお客様かもしれず、まずは丁重に扱うべきと看恕は判断したのだ。
 宗看の妻も弟の看寿かんじゅも外出しており、伊藤家に残っていたのは看恕だけだった。宗看がいつ帰るかはわからないがそれでも待つと言う名村を、看恕は客間へ通した。
 夏の初めでじっとしているだけでも汗が滲んでくる。それでも、外に面した客間の障子を開け放つと風が通り、幾分暑さが和らいだ。
「あいにく、私は不調法者でして、このようなものしか出せませんが」
 看恕は客用の茶器に入れた水を名村にだした。
「いえいえ、ありがとうございます。この暑さのなかでは、甘露でございます」
 そう言って、名村は口をつけた。しばらく看恕と名村はたわいもない雑談を続けていたが、ふと名村が尋ねた。
「伊藤先生や他の将棋家の先生がたが加賀がお越しの際には、ご指導をいただいております。しかし、あなた様にお会いするのは、初めてのように思います」
 名村の記憶に間違いない。いわゆる将棋の旅に、名人伊藤宗看が看恕を同行させたことはない。
 それに、それ以外の場で会っていたとしたら、名村は確実に看恕を覚えているはずだ。なぜなら、看恕の顔には、額から右頬にかけて大きな青痣がある。
「そうでしょうな。あいにく私は江戸から出たことはございませんので」
 一瞬の間をおいて答える看恕の心のうちに、忸怩たる思いがある。伊藤家の者である以上、将棋の技は鍛錬を続け、外にだしても恥ずかしくないものである、と自負している。伊藤家の門弟と指して負けることはない。それでも、兄である名人伊藤宗看が看恕を将棋の旅に連れて行かないのは、この顔のせいか。
「伊藤先生のご門弟の方でしょうか」
「失礼いたしました。門弟ではございませぬ。宗看の弟で、看恕、と申します」
「こちらこそ失礼いたしました。伊藤家の方を門弟と勘違いするなど。お許しください」
 名村は頭を下げた。
「ということは、看恕様も将棋の技に優れておいでなのでしょうな」
「宗看にはまだ遠くおよびませんが」
「ご謙遜を」
 謙遜ではなく、事実だ。看恕はそう思う。看恕は齢二十であり、兄の宗看とは十離れている。伊藤宗看は二十二のときには最高位である八段になり、二十三のときには七世名人に襲位している。昨年の御城将棋で大橋本家の大橋宗桂と対局した際は、宗看の角落ちだった。角落ちとは、自らの角行を盤から除くという不利な条件をつけることだ。つまり、名人伊藤宗看と平手、対等な条件で対局できる者は、世の中にはいない。
「さしつかえなければ」と名村が続けた。「伊藤先生がお戻りになるまで、一局お手合わせをお願いできますでしょうか」
「よろしゅうございます」
 今思い返せば、ここでも断ればよかったのだ、と看恕は思う。話題もつきかけていたし、将棋を指していれば、黙ったままでも時が稼げる。そう思って名村の提案を受けてしまった。
 客間に看恕は将棋盤と駒袋を持ち込むと、名村の前に置いた。駒袋から駒箱を取り出し、将棋盤の上に駒を放った。小気味よい軽い音をたてながら、駒が小さな山を作った。
「ときに、看恕様の段位を教えていただけますか」
「四段を宗看に許されております」
「そうですか……」
と言うなり、名村は「王将」の駒を取り上げ、自陣に打ち付けた。
「私は加賀で六段で指しております」
 将棋には「玉将」と「王将」の駒がある。どちらも駒の動きや、相手に取られたら負け、という機能は変わらない。しかし、慣例上、将棋の技に優れた者が「王将」を使う。将棋の技で看恕より優れていると、名村は宣言したのだ。
 田舎者め、と看恕は思った。しかし、口には出さなかった。名人伊藤宗看の大事な客人かもしれないのだ。収入源を失うわけにはいかない。こみ上げてくる怒りを押し殺し、看恕は「玉将」を手にとり、自陣に並べた。
 看恕と名村は黙ったまま、駒を並べていく。並べ終わったところで、名村が口を開く。
「そうだ、大事なことを忘れていた」
 名村は自陣の右側の香車を取ると、駒箱にしまった。
「看恕様とは、段位が二つ違いますからな。こちらが香を落とします」
 名村の香車が一枚ない不利な条件で、看恕と対等だと言うのだ。ここで冷静さを失ったと後になって看恕は思う。腸が煮えくりかえっていたが、この条件で勝ちを収め、無礼を思い知らせるのが大人の態度であろうと考えた。何も言わず、看恕はこの対局条件を受け入れた。
「お願いいたします」
と、看恕と名村はお互いに頭を下げ、対局が始まった。
 名村は飛車を最初の位置から動かさない、居飛車の構えを取った。それを見た看恕は香車がない薄みを突くべく飛車を動かし、左から四列目に据える四間飛車で迎え撃つ。互いの出方を探るような駒組みが進み、双方の玉を守りの金将と銀将の囲いの中に収めた。
 名村が香車のいない右端の歩を突き出した。支えるものがいない歩を突くのは、将棋の理に反している。誘いの隙の可能性もあったが、看恕はこれを期に攻勢に転じた。四筋の歩を突き捨てると、勢いよく桂馬を跳ねていく。
 それに呼応するように名村も攻撃を開始する。看恕が築いた防衛線を突破し、飛車を成り込み竜王を作る。しかし、看恕はそれ以上の侵入を許さず、竜王を名村陣に追い返し、封じ込める。
 さらに、名村の玉を効き筋に収めるように、看恕は角を打ち据えた。後難を避けるように、名村は玉を逃がす。看恕が跳ねた桂馬は、名村に取られることなく盤上に残っている。
これを拠点に看恕は攻めをつなげていく。看恕の攻めに対し、名村は防戦一方となっていった。
 所詮、田舎の天狗か、そう思った看恕に油断が出た。攻めの拠点となっている桂馬を守るべく銀を前進させた途端、名村は桂馬の頭にあった歩を角で払った。
 しまった。守るべきは桂馬ではなく、歩であった。
 失態に看恕は気づいたものの、体制を整える。けれど、これをきっかけに看寿側に振れていた勝利の針が、中立に戻った。飛車の交換の後、看恕は飛車を名村陣に打ち込む。負けじと同じく名村も看恕陣に飛車を打ち込み、看恕の玉に迫る。看恕は防壁を築くが、名村は看恕の戦力を少しずつ削っていく。均衡した状況のなか、名村は角を成り込んだ。看恕の玉に何の影響を及ぼすわけではない、緩んだ手であった。
 ここで何か手がある。
 竜王、竜馬、桂馬と三つの看恕の駒が、名村の玉を半包囲している。二枚の金が名村の玉を守っているものの、排除は可能だ。そのために犠牲にするのは、竜馬か桂馬か。どちらが速いのか。それとも、元から名村から看恕の玉に迫る手はなく、どちらを犠牲にしても変わらないのか。看恕が思考に沈んでいたところで、表で声がした。
「ただいま、戻りました」
 弟の看寿だ。
「失礼。弟が帰ってきたようです」
 客人の前で大声をあげるわけにもいかず、弟の出迎えと来客を伝えるため、看恕は席を立とうとした。
「逃げるのですか」
 名村が厳しい声をかけた。思いがけない言葉に、看恕は名村の顔に目をやった。脂ぎった顔で、にやりと名村が笑う。
「なるほど、これが伊藤家の勝負術ですか。時間稼ぎとは……、姑息な」
 頭に血がのぼり熱くなるのが、自分でもわかる。反射的に看恕は桂馬を手にし、名村の金を取るために成り込んだ。そして、直後に気づいた。
 違う。竜馬を捨てるべきだ。
 指した手を取り消すことなどできない。ついさっきまで頭にのぼっていた血が、みるみるうちに引いていく。次に名村から看恕の玉に迫る手を指されると、一手の差で看恕は負けてしまう。そのことに看恕は気がついた。なぜ悪手は指した直後に気づくのか。看恕は胸に去来した思いを押し殺し、平静を装った。
「失礼します。お客様でしたか」
 弟看寿が客間に入ってきた。看寿は齢十七である。客人に失礼のないようにとは思いつつも、将棋の家に生まれた者の性ゆえに、つい盤面に目が行ってしまう。
「看寿、こちらは名村様。名人を訪ねて、お越しになられた」
 看恕が名村を看寿に紹介した。看寿は深々と名村に頭を下げる。
「名村立摩と申します。僭越ながら、看恕様に稽古をつけておりました」
 看寿は驚いて、盤面を見つめる。名村陣の右端の香車がないことに気がついたが、兄の心境を推し量ったのか、口を開かなかった。
 名村は完全に調子にのっている。ふざけるな、と看恕は思うが、ここに至っては名村が指し手を誤るのをいのるばかりだ。
 なぜ、こんなことなったのか。
 看恕は将棋盤の前に正座をしたまま、考え込む。将棋の局面は看恕の敗勢となっている。しかし、まだ負けてはいない。名村が間違えた場合に、ここから逆転するために盤面に集中しなければ、と思いつつも、後悔の念が溢れ出てくる。
 名村が盤の中央に桂馬を打つ。看恕は構わず、成桂で名村の金将をとり、王将に近づく。名村は桂馬を成り込み、王手をかける。看恕が同玉と応じたとたん、読み切っていることを示すかのように、名村は銀将を駒音高く打ち付けた。
 看恕はその銀を凝視する。名村の駒の効きのないところに打ち付けられた、捨て駒の銀将。取れば一手で看恕の玉将は詰まされてしまう。かといって逃げても、すぐに追い詰められてしまう。
「……負けました」
 しぼりだすように看恕は告げると、頭をさげる。
「ありがとうございました」名村も頭をさげた。「さすが伊藤家の方だ。筋がよろしい」
 きっと看恕がにらみつけると、名村は余裕の笑みを浮かべた。
 続いて、名村は外の様子を伺った。明るく強い日差しは和らぎ、あたりは赤く染まり始めている。
「日も暮れてまいりました。伊藤先生もお戻りにならないようですので、本日はこれで失礼いたします」
 そう言うと、名村は駒を片付けようとした。
「そのままで結構でございます」と看恕が遮った。「このあと、一人で検討を行いますゆえ」
 将棋の対局後に初手から終局までを改めて並べ、問題のあった手や指し手の難しい局面を振り返ると看恕は言っている。通常は対局者同士で行い、これを感想戦というが、名村が帰るため、これができない。
「ご熱心なことだ」
 得心したように名村は頷いたあと、言葉を続けた。
「伊藤先生にお言付けをお願いいたしたい。私の用向きでございます」
「……何でございましょう」
「私こと名村立摩に、七段をお許し願いたい」
 看恕は言葉を失った。将棋の段位の最高位は、八段である。八段は名人に次ぐ者であり、次期名人とされる者に与えられる。七段は、将棋三家それぞれで最も優れた者がなり、当主が七段となるのが通例である。
 この七段を認めろと、名村は言っている。
「……なかなかに無体な」
「無体な願いではございませぬ。将棋の段位は、家柄ではなく、将棋の技で決められるべきものであると存じまする。そうであるがゆえ、伊藤家のご長男は命を落とされたのでございましょう」
「…………」
 何も言い返すことができない看恕を前に、名村は続ける。
「また、大橋本家は跡取りなきがゆえ伊藤家から養子を迎え、また大橋分家も先代名人亡き後、よき噂を聞きませぬ。つまり、将棋三家は事実上、伊藤家だけとなっており、風前の灯火です。ここで家柄にとらわれず、実力ある在野の将棋指しに段位を認め、将棋の技を継承し切磋琢磨することが、将棋指しの地位向上に資するのではありますまいか」
 名村は言葉を切り、看恕に微笑みかける。
「そのように思い、こちらへ参りましたしだいでございます。伊藤先生にお取次ぎをお願いいたします」

 名村が帰ったあと、看恕は名村が言ったことを振り返っていた。腹のたつこともあったが、言っていることにそれなりに筋が通っているように思える。
 伊藤家は五人兄弟であった。長男印達、次男宗看、三男宗寿、四男看恕、五男看寿、である。
 長男印達に、看恕は会ったことがない。なぜなら、看恕が生まれる前に死んだからだ。もし生きていれば、看恕よりも二十ほど年上になる。大橋本家の五代大橋宗桂が四世名人だったころのことだ。将来を嘱望される棋士が二人いた。一人は伊藤家の長男印達、もう一人は大橋本家の長男宗銀である。将棋家の当主たちはこの有望な二人をより鍛えようと考えたのだろうか。差し込みありで定期的に将棋を指すように命じた。
 差し込みとは、勝負を対等にするため、連勝した側が駒を減らしていくことである。
 伊藤印達のほうが年少であったが、実力では上回っていたようだ。伊藤印達と大橋宗銀の戦いは一年以上も及んだが、徐々に印達が押していき、角落ちで指すようになった。印達の将棋の技が優れていたことを示す逸話である。
 二人の勝負は五十七局目で突然終いとなった。角落ち番で勝利したのち、印達が十五才で死去したからである。ついで、大橋宗銀も二十才で亡くなってしまう。苛烈な勝負が二人の体を蝕んだのだと伝えられている。
 将棋の段位は、家柄ではなく将棋の技で決められるべき。伊藤家の長男はそれがゆえに亡くなった。そう名村は言ったが、これは伊藤家長男、伊藤印達のことを指している。家柄ではなく将棋の技がすべて。だからこそ将棋の技の鍛錬のため命を削ったのだろうと。
 大橋本家は伊藤家から養子を得て、将棋家は事実上伊藤家だけ、とも名村は言った。これは 三男宗寿のことである。大橋本家当主となった宗寿は、今は八代大橋宗桂と名乗っている。
 大橋分家の当主、四代大橋宗与がいるにもかかわらず、なかなかひどい、と看恕は思う。しかし、将棋家は伊藤家の者が主流であることは確かだ。
 在野の棋士にも高い段位を認め、将棋三家の者に限らず、将棋の技を研鑽することは、将棋の道の発展に繋がる。確かにそうかもしれぬ、と看恕は思った。

「お人好しですね。兄上は」
 看寿は甲高い声で看恕に向かって言う。齢は看恕より三つ下で、そろそろ落ち着きを見せてもよい年頃だが、軽佻浮薄なところがある。
 名人伊藤宗看が帰宅した。看恕はすぐさま、名村立摩の伊藤家訪問の顛末を報告した。名村の発言と自分の感想を看恕が述べたところで、そばで聞いていた五男看寿が口を挟んできたのだ。名人宗看は黙ったままでいる。
「そうかな」
「そうですよ。名村が言っていることはおかしいです。なぜなら、在野の棋士に七段を認めることと、将棋の技を研鑽することは別ものだからです。現在も在野の棋士には段位を認めていますよね。指導対局などを交流があり、ともに将棋の技を磨いているではありませんか。七段を与えなくてもそれはできているのです」
「……たしかに」
 看寿のいうとおりだ、なぜ名村のいうことが正しいと思ってしまったのだろう。看恕は不思議に思った。
「将棋界のため、みたいに、さも世のため人のためみたいなことを言うやつに碌なものはいません。そういうやつに限って、自分のことしか考えていないのです。騙りです、騙り」
「そこまで言わなくても……」
「控えよ、看寿」
 名人宗看が牛のような体躯を揺らし、低い声で一喝した。
 宗看はこのとき三十才、頭を剃り上げた僧形である。将棋家の者は、御典医や儒者と同じく、武士ではなく特別待遇の町人である。このため、十徳を身に着けた僧形で登城する。
 父伊藤宗印は、長男印達の早世の理由を体力不足のためと考えた。同じ轍を踏ませまいと、新たに後継者となった次男宗看をやわらの道場へ通わせた。棟梁たる自覚を備えた宗看は父の期待に応え、将棋とやわら双方に精進した。結果、筋骨隆々たる体躯を備えることとなった。
 若くして名人となった宗看にとってこれは利点となった。若造と侮られがちなところを、肉体から発する威圧感で補うことができたからだ。将棋の才は指さねばわからないが、体躯は見かけでわかる。ただし、必要以上に相手を萎縮させないようにするさじ加減が難しいところであるのだが。
「出過ぎたことを申しました」
「わかればよい。ところで看恕」と名人宗看は看恕のほうを向く。「名村は当家にふたつ、無礼な態度をとった。分かるな」
「はい」
「あえて言う。ひとつはお前の面目を傷つけたこと。もうひとつは将棋家当主に匹敵する段位を求めたことだ」
 看恕は黙って頷く。将棋家より先に看恕の体面をあげたところに、宗看の優しさを感じた。
「このままにしておいては、伊藤家のひいては将棋家全体の位を下げることにつながりかねん。名村を打ち負かし、二度と歯向かって来ぬようにせねばならぬ」
 声音は低く穏やかだが、宗看の顔には憤怒が浮かんでいる。名村を許さぬ決意は固いようだ。
「……あの」
 五男看寿が声をあげた。叱られたばかりなのに、臆することなく発言するのが、この弟だ。
「ほおっておいては、いけないのですか。名村の言うことなど取り合わねばよいのではありませんか。あの手合いは、相手にするからつけあがるのです」
「そうもいかぬ。山崎勾当こうとうの一件を存じておるか」
 四世名人大橋宗桂のとき、弟子に山崎勾当という者がいた。この男が「象棋亀鑑」と銘打ち、自分が勝った将棋のみを掲載した実戦集を出版した。この内容が問題となった。師である大橋宗桂との対局が二十二局も含まれていたからである。この書物だけを読めば、名人が山崎に負け続けているように見えてしまう。激怒した大橋宗桂は山崎を破門した。
「この例は極端かもしれぬ。しかし、私が名村の要求を放置すれば、かの者は私が逃げたと触れ回る可能性がある」
 伊藤家四男を香落ちで負かした。大したことはなかった。あの様子だと名人宗看の実力もたかが知れている。そう言って笑う名村の姿が、看恕には想像できた。
 おそらく同じ想像を宗看もしている。しかし、口にはしない。宗看の優しさなのだろう。が、それがかえって看恕の心をえぐる。
「そのようなことは断じて許せぬ。よって、名村の要求に応じて、奴が七段にふさわしいか試しの場を設ける」
 思いがけない宗看の宣言だった。
「その場にて、圧倒的な力量の差を見せつけ、伊藤家の威光に逆らう気など起こさせないよう、奴の心を徹底的に折る。そして、この結果を敢えて世に広める。われらを侮る名村のような不逞な輩が現れないようにするためである。これは家の大事である。左様心得よ」
 宗看はそう言い切ると、厳しさと晴れやかさとが入り混じった顔で、二人の弟を見た。
 看寿は心がはやるのか、楽しげな表情を浮かべている。
 看恕は沈鬱な面持ちで考えにふけっている。名人宗看の将棋の技を疑うわけではない。しかし、そのようにことがうまくいくだろうか。看恕との対局で劣勢に立ちながらも、名村は粘り腰を見せ、簡単には折れなかった。それでいて看恕の一瞬の隙を見逃さず、局面をひっくり返してみせた。名村は宗看の手のひらで踊ってくれるだろうか。
「不安そうだな」
「……はい」
「敵の手の内も知らぬうちから、大言壮語を吐くなど、愚か者のすることだと思っておるのだろう」
「いえ、そのようなことは」
 読まれていたか。笑う宗看を見て、看恕は内心で汗をかいた。
「懸念はもっともである。勝つためにはまず敵を知らねばならぬ。看恕、名村との対局を初手から並べてくれるか」
 看恕は頷くと、名村との対局を再現しはじめた。将棋家の者であれば、記録をとっていなくとも、手順を覚えているのは当然のことである。初期配置で、名村側の香車を除くときには、うずくものが胸にあった。
「……強いですね、この人」
と、看恕が再現した対局を見て、看寿がつぶやいた。しかし、言葉とは裏腹に声音ははずんでいる。
 名人宗看が力強く頷く。
「看恕。お前には大きな失着がふたつあった。どこか分かるか」
 失着とは、不利になる誤った指し手のことである。
「私が優勢になった局面で、守るべき歩を守らず、桂を守った点がひとつ。もうひとつは、終盤にて成桂を作ったところ。ここは馬を捨て、敵玉のそばの金を剥がすべきでした。それで私の勝ちでございました」
 看恕の声が少しかすれた。このときのことを思い出す。看寿が帰宅し出迎えようとしたところを、名村に時間稼ぎと咎められた。焦った着手が、そのまま敗北につながった。このことを話しても、自らの未熟をさらけだすだけだ。
「よし。ではひとつ目の場面、桂を守ったところだ。ここはどう指すべきだったか」
「歩を守るため、角を引く手かと。敵が銀を前進させれば、こちらも同じく銀を援軍として繰り出します。ここは私が優勢ですので、戦力を拮抗させれば、有利な我が方が敵を押しつぶしてゆけます」
「なるほど。看寿、お前はどう思う」
 発言したくてうずうずしている看寿に、名人宗看は水を向けた。
「はい。兄上の手も良案でございます。しかしながら、私は別の手を指してみとうございます。歩を守らず、むしろ捨てるのです。四三歩成、同金、八四飛、八三歩打、四四歩打、同角、五三歩成、同角、同桂成……」
 淀みなく看寿は指し手を口にする。
 それを聞きながら、看恕は脳内の盤面に展開していく。ついていくのがやっとだ。手の良し悪しの検討まで追いつかない。
「ほう、つまりここは敵陣を崩壊させる好機だと、お前は見ているのか」
「そのとおりでございます」
 手数は長くかかるが手堅く勝ちを収めようとする看恕に対し、隙があるなら一瞬で相手を斬り倒そうする看寿。姿勢の違いが現れた。
「面白い。盤に並べて検討するか」
「はい」
 名人と弟は、看恕を置き去りにして話を進めていく。このようなことが時々ある。宗看と看寿が見ているものと、看恕が見ているものは違うのではないか。宗看と看寿の頭の中はつながっているのではないか。そのような思いが看恕の胸に浮かぶ。しかし、その都度その考えを打ち消す。それを認めてしまうと、あっという間に自分は転げ落ちていき、二度と二人とは将棋指しとして話ができなくなってしまうだろう。
 宗看と看寿の検討に加わり、看恕は食らいついていった。

 翌日、名人宗看は看恕と看寿に三つのことを命じた。朝は「象棋作物」を解くこと。昼は二人で対局すること。夜は名人宗看と対局すること。加えて看寿には、在野の棋士の間をまわり、名村立摩の棋譜を集めてまわることが命じられた。
 「象棋作物」は、昨年名人宗看が幕府に献上した詰将棋集である。詰将棋集とは、王手の連続で相手の玉を詰めることができる局面を集めた問題集である。この時代、名人となる前に幕府に詰将棋集を献上するのが習わしであった。しかし、名人襲位が前名人の急死に伴うものであったため、宗看は事前に献上することができず、襲位から六年目の昨年ようやく献上したのだった。後年「将棋無双」とも呼ばれるこの書物は、最高峰の詰将棋集のひとつとされている。百番掲載されており、詰むまでの手数も九手から二百二十五手までと幅が広い。
 看恕と看寿に渡された「象棋作物」には、当然のことながら回答がついていない。自分で解くようにということだ。終盤に相手を詰ます局面が現れたときに、それを逃さぬ力を身につけるための課題であった。
 残り二つは実戦練習である。対局を重ね、勝敗の分岐点をその都度検討し、最善手を求めていく。本番で同じ局面が現れればその対局を有利に運ぶことができるし、そうでなくとも地力として身につき、未知の局面でも最善の示す羅針盤となる。
 名人宗看との練習将棋では、異例のことがあった。角落ちと平手とを交互に指すのだ。
 看恕は四段のため、名人と指す時の手合割は角落ちと飛車落ちの繰り返しとなっている。手合割とは、強い側に不利な条件を課すことだ。どのような条件かは、段位の違いにより決まっている。名村立摩が看恕と対局した際に、香車を落としたのも、これによるものだ。名村が自称六段、看恕が四段であった。段位の差が二つの場合の手合割は常に香落ち、であるため、名村は自らの香車を駒箱にしまったのだ。
 名人と平手、つまり対等な条件で指せる。これは看恕にとって望外のことではあったが、平手で看恕と指す名人の意図をはかりかねた。看恕と名村の再戦を想定して、名村の代わりに名人は看恕に胸を貸しているのかもしれない、そう思ったこともある。しかし、名人伊藤宗看と名村立摩では、ものがちがいすぎる。
 自分の背丈ほど壁であれば、上部に手をかけて体を引き上げ、足を突っ張ることができれば越えることができる。少なくともそのような算段をつけられる。一方、そびえたつ石垣と城壁を目の前にしたとき、人は何をすべきか見当もつかず、途方に暮れるだろう。
 名人と練習将棋を指すたびにそのような感想を看恕はいだいていた。

 そんな日々が十日ほど続いた朝、看恕は「象棋作物」の局面を並べた将棋盤の前で沈思していた。その近くで、五男看寿は書き物をしている。思考に行き詰まった看恕は、気分転換に弟に声をかけた。
「何をしているんだ。名村の棋譜を書き起こしているのか」
「いいえ、違います。そちらは別の方にお願いしています。松平長門守様の家中に添田宗太夫という方がいらっしゃるでしょう」
 看恕も知っていた。こちらは自称ではなく、看恕たちの父、五世名人伊藤宗印から六段を許された者だ。
「名村は添田様の弟子なのだそうです。しかし、名村は加賀や上方を拠点をしているので、棋譜が手に入らなくて。そこで上方から棋譜を送ってもらうように頼んでいます。そろそろ届いてもよい頃なのですが」
 内心で看恕は舌を巻いた。何もしていないように見えて、やることはやっている。なんて要領のよさだ。この弟は外で皆に好かれているのだろうな、と看恕は思う。将棋の旅だけでなく、江戸近辺で将棋の指導を行う際にも、名人伊藤宗看は、五男看寿を連れて行くことがあった。その過程で、看寿と在野の棋士の間に、人のつながりができているのだろう。軽口を叩き、生意気だと叱られながらも、なぜか憎まれない弟の姿が、看恕には容易に想像できた。
 私には無理だな。それとも、この痣さえなければ、名人は私に供をさせていたのだろうか。臆することなく、もっと堂々と振る舞うことができたのだろうか。 額から右頬にかけての大きな青痣に、看恕は手をあてた。
「そうか。では、その書き物は何なんだ」
「へへ、知りたいですか」
「もったいをつけるな」
「じゃあ言いますね。私が作った詰将棋です。六百十一手詰め」
 看寿は駒の配置図と指し手の符号が並んだ紙の束を、看恕につきだした。看寿の笑顔の端から、八重歯がのぞいた。
「戯れ言がすぎる」
「ほんとですって。ちゃんとできてますから」
 だとしたら、とんでもないことだ。こんな超手数の詰将棋は聞いたことがない。そういえば、と看恕は思い出した。看寿が七才のときのこと、ある詰将棋の図面を見て、こんなことを言い出した。
『これ、つまんない。代わりに桂馬が二枚あったら、もっと面白くなるのに』
 こどもがなにを言うかと看恕は相手にしなかったが、宗看は無視しなかった。幼い看寿の言うことを辛抱強く聞いた後、『すごいぞ、看寿!』と宗看は叫んだ。宗看と看寿、ふたりと看恕との間には、何か差があることを感じた初めてのできごとだったのかもしれない。
 苦い記憶が看恕に突き放した態度を取らせた。
「こんなことをやって、遊んでる場合か。象棋作物を解かなきゃだろ」
「もう解き終わりました。最っ高でした。今までで一番面白かったなぁ。私がこの詰将棋を作り始めたのも象棋作物がきっかけなんですよ。七十五番の、二百二十五手。こんな長い詰将棋みたことなくて。すっげぇ、って思って。じゃあ、私は二倍、いや三倍の手数でやってやると思って、作ってみたんです。けど、三倍にはいかなかったな。もうちょっとなんだけどな。どこか工夫できるかな。あと、三十番。あれは美しいですよね。初手の金の押し売り。馬ノコでで遠くの歩を拾い、そのあと馬を捨て、拾った歩で手をつなげる。そして待機していたもう一つの角が動きだして、最後は、駒の種類も配置も左右対称の形で詰め上がる。あれは象棋作物で一番の作品です。兄上もそう思うでしょ」
 看寿は一気にまくしたてた。迷いのない澄んだ目で見つめてくる。
 看恕は手元の書物に目を落とした。 象棋作物三十番。解けずに行き詰まっていた。
「うるさい!」
 そう言って、看恕は家を飛び出した。

 なんなんだ。なんなんだ。
 怒りのあまり飛び出してきたものの、どこに行くあてがあるわけでもない。ただひたすら道をまっすぐに看恕は進んでいた。額から右頬にかけて大きな青痣のある男が、顔を真っ赤に染め、荒々しく歩いていく。すれ違う者たちが恐れをなし、慌てて道を開ける。そのようすも癇に障る。
 この怒りはどこからくるのか。自分でもよくわからない。象棋作物の作意を賢しらにばらしてしまった看寿にか。解けない自分への不甲斐なさなのか。象棋作物のような芸術品をつくる宗看にか。このような顔に生んだ母親にか。
 冷たいものが頬にふれた。見上げると、暗く厚い雲が空一面を覆っている。ついてない。あわてて看恕は近くの社の軒先に駆け込んだ。とたんに桶をひっくり返したような雨が降り始めた。
 文字通り水をぶっかけられた。そう思うと看恕はおかしくなってきた。かっとした頭にはちょうどよかったのだ。
 頭を空にして、景色を眺めた。間断なく降り続く雨。勢いがよく煙を伴っているようにも見える。社の屋根を伝って、何本かの水の筋が落ち、地面に穴を穿っていく。さっきまで立ち込めていた熱気がたちまち冷めていく。うなだれていた草木が水を吸い、力を得ていく。
 そんな看恕の目に、社の軒先に入ってくる男の姿がとまった。背中に重そうな四角く長細い大きな包みを背負っている。
「これ、使いますか」
 包みを下ろし一息ついた男に、看恕は手ぬぐいを差し出した。
「荷物が濡れると困るでしょう」
「ありがてぇ。遠慮なく使わせてもらうよ」
 そう言って男は手ぬぐいを受け取ると、荷物についた水滴を手ぬぐいで叩くように拭き始めた。
 その様子を見ながら、看恕は自身の姿を振り返る。みっともない。看寿は別に悪意があったわけではない。ただ自分が解けたから、それが普通だと思って、兄と話したかっただけだ。象棋作物のすばらしさを共有したかっただけなのだ。それを看寿の自慢と捉えたのは、自分の力不足から、目をそらしたいからだ。情けない。
「ありがとよ。助かったよ」
 雨を拭き終わった男が、しぼった手ぬぐいを返してきた。
「お役に立ててよかったです」
「あんちゃん、なんで手ぬぐい、貸してくれたんだい」
「その荷物、貸本だと思いましたので。濡れると読めなくなると思いました」
「お、冴えてるね。そのとおりだ。気働きがあるのは、いい商売人になるよ」
「そうでしょうか」
「そうだよ。それにいい男ぶりだ」
「馬鹿にしてるんですか。」
 看恕の顔には、額から右頬にかけて大きな青痣がある。
「馬鹿になんかしてないさ。痣はあるが、顔のつくりはいい。それにその痣。俺みたいな商売人にはうらやましいくらいさ」
「うらやましいですって」
「すぐに顔を覚えてもらえるからな。商売人にとっては大きな強みさ」
 思ってもみない指摘だった。今まで、枷だとしか思えなかった顔の痣が強みだとは。
「……私は商売人に向いていますかね」
「素質はあるんじゃないかね。ちなみに、あんちゃんは何をしているんだい」
「将棋指しです」
「将棋指し。将棋って、王手、ってやるあの将棋かい。ありゃよくねぇよ。博打はご法度。そのうち、お縄になっちまうぜ」
「賭けはしていません」
「賭けてなきゃ、どうやって稼ぐんだい」
「お上からの扶持と、将棋の指導で暮らしております」
 拝領地に建てた家屋からの家賃収入のことは伏せた。将棋の収入とは言えないからだ。
「ということは、あんちゃんは先生なんだ。すげえな」
 看恕は言葉に詰まった。謝礼を伴うお得意先への将棋の指導は、名人宗看と看寿が行っている。看恕は表には出してもらえない。将棋の指導をしたことがない。これまで一心に磨いてきた将棋の技は何の役に立っているのか。役に立つどころか、伊藤家の災いとなっていないか。将棋を知らなければ、名村立摩のような厄介を引き寄せることもなかったではないか。
「俺は将棋のことはわからねぇが、もし教わるなら、あんちゃんがいいな。名前、教えてくれよ」
「……看恕。伊藤看恕です」
「カンジョ。変わった名前だな。覚えとくよ」

 帰宅した看恕は、五男看寿とともに、名人宗看に話があると呼ばれた。
「名村立摩の試しの日取りが決まった。これより十日後、六月三十日。場所は松平長門守様の屋敷内である」
 宗看は、名村の師である添田宗太夫を訪ねた。経緯を聞いた添田は驚愕し、名村の破門を申し出たが、宗看はこれを断った。代わりに、松平長門守家中である添田のつてで試しの場として屋敷の使用と、添田の立会を依頼した。これは試しが伊藤家内部で行われるのではなく、第三者立会いの公の場で行うことを意図したものだった。添田は快諾し、これを名村に通知した。
「続いて、試しについて述べる。看寿、まずお前が平手で名村と対局する。続いて、私が角落ちで対局する。この結果にて、名村の七段昇段の是非を決定する」
 看寿が戸惑っている。看恕も耳を疑った。
「兄上、もう一度お聞かせいただけますか。名村と対局するのは、私、看恕ですか。それとも看寿ですか」
「伊藤家五男、看寿である」
 看恕は言葉を発することができなかった。口から鉛を流し込まれたように、全身が重い
「お待ち下さい、兄上。理由をお聞かせいただけますか」
 見かねた看寿が尋ねると、宗看は厳かに答えた。
「気概につき、看寿が優れているからである。これまでの毎夜、平手で対局し、二人の力量を計っておった。将棋の技は、序盤は看恕が優れ、終盤は看寿が優れておる。甲乙つけがたい。しかしながら、気概においては違う。平手であっても看寿は私に対し臆することなく、工夫して指しておる。この点を私は評価した」
 そびえたつ石垣と城壁を目の前にしたとき、人は何をすべきか見当もつかず、途方に暮れる。登れると思わないからだ。しかし、看寿は違う。登れると信じている。だから、わからなくても手を動かし、もがき、次から次へと方法を考え、試していく。自分を信じることができるかどうか、この一点が分かれ目だった。
 呆然としている看恕の前で、名人宗看は話を続ける。
「ところで、看恕、お前によい話を持ってきた。婿入りの話だ」
 なんだって?
「日本橋北、長谷川町の小間物屋が婿を探しておる。優しい気性のお前のことを伝えたら、先方はかなり乗り気でな」
 ふざけるな。
「心配しなくてもよい。顔の痣のことは先方にも伝えておる。先方は店も構えておるが、行商のほうに重きをおいている。覚えやすい顔は商売にとって、都合がよいそうだ。もし白粉で隠すことができれば、商品の効能を示すことができ、なおのことよい、と」
 看恕の体が瘧にでもかかったかのように、震えはじめた。
「看恕、お前には苦労をかけた。これまでたびたび勘定奉行様にもお伺いをたててきたが、お前の面相では、御城に上がることはできないそうだ。今後、お前の将棋の技が、上様の前で披露される機会はないのだ。だから、私はお前を供に連れることをしなかった。看恕先生が御城将棋にあがるのは、いつのことでしょうかと先々で将来尋ねられるのはつらいだろうと思ったからだ。どれだけお前が努力してきたかは知っている。力を示す機会がなく、鬱屈した日々を送ってきただろう。もう、そんな日々ももうこれで終わりだ。この家を出て、幸せに暮らせ」
 看恕は叫びながら、名人宗看に飛びかかった。仰向けに倒すと馬乗りになり、拳を振り上げる。看寿が後ろから羽交い締めにし、看恕を宗看から引き離した。
「離せ!」
 足をじたばたさせる看恕の目には涙が浮かんでいる。必死になって看寿はしがみつく。
「幸せに暮らせ、だと。ふざけるな! 兄上、こう言いいましたよね。このたびは伊藤家の大事であると。私は伊藤家の一員ではなかったのですか! 初めから、数に入っていなかったのですか!」
 宗看は答えない。
「さっき、看寿を選んだ理由を言いましたが、あれは後付けですか。最初から私を世に出す気がなかったなら、そう言ってください。言ってください!」
 看恕の動きがおさまってきた。看寿が力を緩めると、看恕は力なく尻もちをついた。つぶやくような声で話し続ける。
「私は名誉を挽回できないのですね。……伊藤家には将棋が弱く醜い男がいた。粗忽なこの男は在野の将棋指しに駒落とされで負け、伊藤家の名を汚した。男は逃げ出し、兄と弟はその尻拭いをした。そういうことですか……。ひどい……。ひどすぎる」
 看恕は声をあげて泣き始めた。二十の男が子どものように泣くなんて、みっともない、そんな考えが頭をよぎる。しかし胸の奥からこみ上げてくるものを、押さえつけることができなかった。
「私だって、将棋の家の子です。伊藤家の一人です。至らぬ点があれば、直します。精進いたします。ですから……、ですから、この家に置いてください。名村と戦う機会をください。お願いいたします」
 看恕は姿勢を正すと、宗看に向かって深々と頭を下げた。
 しばらくして、宗看が口を開いた。
「看寿、二人にしてもらえるか」
 看寿が黙って部屋を出ていったあと、宗看は座り直し、顔をあげるよう看恕を促した。感情が収まるまでの間、宗看はじっと看恕を見つめていた。
「……先ほどの気持ちは、本心か」
「本心です」
「……いくら将棋の技に優れておっても、上様のお目にかける機会はないぞ」
「承知しております」
「……御城将棋にでられぬお前を、侮るものもおるやもしれん」
「構いません。指せば、力は伝わるでしょう」
「……金はないぞ」
「今に始まったことではありません」
 ふたりはくすりと笑った。
「私が浅はかであった。名村との対局はお前に任せる」
 看恕は深々と頭を下げた。
「ついては、対局にあたっての心構えを伝える。先ほども言ったように、お前は気概が足りぬ。思慮深く、優しいゆえに、いろいろなものが見えてしまう。それがゆえに、虚像におびえてしまうことがある。だが、お前は強い。自信を持て」
 このような兄の言葉を聞くのは初めてだった。
「ひとつ、お前に見せたいものがある。わが口中を見よ」
 聞き間違いかと看恕は思ったが、宗看は大きく口を開けた。覗き込むと、上下とも奥歯がないことに看恕は気づいた。
「考えるときに、噛みしめる癖があってな。奥歯が全部だめになってしまった。私は凡人だ。惜しまず努力をせねば、この地位にたどり着けなかった。結果がこれだ。実は、他にもいろいろ調子が悪い。看寿には内緒だぞ」
 牛のような体躯を揺らして、宗看は笑う。
「看寿は天才だ。まだ未熟なところがあるが、あっと言う間に私を追い越していくだろう。しかし、精進すれば私くらいには、なれる」
 宗看が看恕を見つめる。
「ただし、つらいぞ。励めよ、看恕」

 六月三十日の空は、雲一つなかった。名村立摩の七段試しの日である。夏の強い日差しを遮るものはなく、外を歩く者の体力を容赦なく奪う。
 昼四つには松平長門守の屋敷に、名村立摩、立会人添田宗太夫、名人伊藤宗看、伊藤看恕の四人が集った。試しの場として離れが用意されていた。部屋の中央には、厚さ六寸の将棋盤が据えられ、その上に駒袋が置かれている。盤の脇には持ち駒を置くための懐紙が並べられていた。
「一同、表を上げよ」
 試しの前に、屋敷の主である松平長門守が訪れたのである。居並ぶ面々を眺めたあと、看恕のところで目が止まった。
「直答を許す。その方は何者じゃ」
「伊藤宗看の弟、看恕にございます」
「よき面構えじゃ」
 顔の青痣を恥じる様子もなく堂々と答える看恕にそれだけ言うと、満足気な表情を浮かべて松平長門守は去っていった。
 立会人の添田が七段試しの決め事を改めて説明した。七段試しは、二番勝負で行われる。第一局は名村と看恕が平手で対局する。第二局が名村と名人宗看が宗看の角落ちで対局する。この結果にて、名村の七段昇段の是非を決定する。
 名村が手合割について注文をつけた。
「異議はござらぬが、念のため確認したい。手合割が私にとって有利なものであるように思われる。あとで間違いであったと撤回されぬよう、この手合割の理由を伺いたい」
 名村は六段を自称している。看恕は四段、宗看は名人である。手合割は、段位が二つ違う場合は常に香車落ち、名人と六段の場合は香車落ちと角落ちを交互に指すことになる。名村は、このとおりになっていない、と質問しているのである。これに宗看が答えた。
「手合割に間違いはない。なぜなら名村殿は五段が相当であると、私は考えているためである。これは師である添田殿にも確認のうえである」
 驚いた名村が視線をやると、添田は追認するように何度も頷いている。
「手合割は、段位が一つ違う場合は平手と香車落ちを交互に指し、名人と五段の場合は常に角落ちと定められておる。本日の試しは、この定めに則ったものである」
「……私を侮辱されるのか」
「これは異なことを。先ほども申したように、貴殿を五段とするのは、貴殿の師匠に確認のうえである。実力相当の扱いをして、何を侮辱とされるのか。また、仮に貴殿を五段とするのが誤りだったとしたら、この手合割は貴殿にとって有利であろう。われらを打ち負かし、貴殿の将棋の力を見せればよい。それだけではないか」
 一旦言葉を切ったのち、宗看は続けた。
「貴殿が二局とも勝てば、この名人伊藤宗看、貴殿を七段と認めよう」
 名村は思案を巡らせている。なぜ名村に有利となる提案をするのか、宗看の意図が読み取れないでいる。なおも宗看は言葉を続けた。
「なお、敢えて申し添える。貴殿を五段と見なす私が、七段試しを行う言われはない。しかしこれを受けたは、私の温情である。不満があるなら、退出いただいて結構。名村殿、いかに」
「……異存はございませぬ」
 立会人の添田が、名村と看恕に将棋盤の前に座るよう促した。それぞれ座につくと、名村が駒箱をあけ、王将を手にとった。一言も発せず、互いに駒を並べていく。
「段位の低い伊藤看恕殿が先手です。七段試し第一局、始めてください」
 一礼の後、対局が始まった。
 看恕は飛車先の歩を突き、居飛車の構えを取った。角を引き攻撃力を集中させ、速攻による敵陣突破の姿勢を見せる。
 対して名村は雁木と呼ばれる形に金将と銀将を配置した。攻撃を待ち受け、突破を許さぬ構えである。王将も囲いに入り、鉄壁の体制をとった。
 攻撃に偏った指し手を続けていた看恕であったが、突破は無理と判断し、一転して囲いを構築しはじめた。
 遅いわ。敵陣の防御が立ち遅れていると見た名村は攻撃を開始した。大きく角行を転換し、中央から歩を突き捨てる。薄い看恕の陣地に穴が次々と穿たれる。順調に攻勢を続けた名村であったが、奇妙なことに気がついた。そろそろ七十手を越えようという局面にもかかわらず、看恕の玉将が一つも動いていないのである。
 王将が取られないように、金将と銀将による堅固な囲いを構築し、その中に王将が立てこもる、というのが将棋の基本戦術のひとつである。名村もそれに則っている。しかし看恕はそれにそわない動きをしているのである。紙のように薄く広く配置された駒が、名村の攻撃を撃退している。そして、その中央に看恕の玉将が敵などいないかのように鎮座している。
 私の攻撃など届かぬと侮っているのか。小僧め、愚弄する気か。名村は声をかけた。
「玉が動いておりませんな」
「動かす必要がありませんから」
 看恕は思ったままを答えた。一の力が加わるところには、同じ一の力で押し返せばそれ以上敵はは入ってこれない。力が二に増えれば、こちらも二に増やせばよい。それ以上は不要であり、無駄である。均衡を保つ看恕の絶妙な指し回しがこれを可能にしている。敵が入ってこないのであれば、玉将が逃げる必要がない。それだけのことだった。
 私は凡人なのだ、と看恕は改めて思う。剃刀の切れ味がないのであれば、地道に攻撃を受け続け、相手の疲れを待ち、反撃に転ずる。地味ではあるが、それが確実なのだ。
 燭台が四つ室内に運び込まれると、将棋盤を取り囲むように置かれた。すでに日は落ち、明かりなしに盤面を見るには辛くなりつつあった。昼四つに始まった対局は、暮六つに及んでいた。
 ここに来て、名村の攻撃が途切れた。看恕は反撃を開始する。名村の防御陣の薄みを突き殺到する。徐々にではあるが、名村陣に看恕の刃が迫っていく。これを押し止めるため、攻撃の起点となっていた看恕の飛車を取ろうと名村は動いた。しかし、遅かった。すでに攻撃の主役は飛車から、名村陣に楔のように打ち込まれた歩に変わっていたからだ。この歩を拠点に名村陣は崩壊していく。
 ぱちり。
 その最中、名村は歩を看恕の玉の頭に打った。何の味方の支えもなく、敵中にただ一つ置かれた歩。一瞬、看恕の手が止まった。この歩の意味がわからなかった。罠か。この歩をとると、詰みの筋があるのか。取らずに逃げるべきか。むしろそちらが罠か。看恕は読みをいれたが堂々巡りとなった。思わず、顔をあげた。
 そこには脂汗を流し、笑みを浮かべる名村がいた。しかし、看恕から目を離さず、表情はぎこちない。目の奥に怒りがある。
 そのとたん、疑問が氷解した。玉を動かしたい、それだけか。せめて一太刀ということか。終局まで、看恕が居玉のままでいるのは許しがたい。それだけのために打たれた歩。勝敗にはなんの影響も及ぼさない歩。指し手の見栄のために捨てられた歩。
 見苦しい。
 看恕は恐ろしいまでの集中力を見せた。名村が指したあと、間髪入れず着手する。にもかかわらず指し手は正確で、網を絞るように名村の玉を追い詰めていく。その姿に気圧されたか、逆に名村が着手を誤った。その隙を逃さず、看恕は竜王を犠牲にして名村を討ち取った。
「……参りました」
 力なく名村が敗北を告げた。
 勝利したという感慨が湧いてこないことを、看恕は不思議に感じた。前回負けた時には、名村が強いと感じ、今回の対局直前でも自分が勝つという確信がもてなかった。不安に打ち勝って掴んだ勝利は喜びを生むと思っていた。しかし今は、まるで弱い者いじめをしたかのような、後味の悪さを感じている。
 強くなることはこういうことか。大きく息を吐き、看恕はそう思った。

 一日おいて、名人伊藤宗看と名村立摩は、宗看の角落ちで対局した。宗看の勝ちであった。
 この一件、名村立摩の七段試しは広く巷間に伝わった。名村は面目を失い、伊藤家の強さは喧伝されることとなった。

 翌年、伊藤看恕は五段に昇段する。しかし、御城将棋には出勤していない。最終的に看恕は七段に昇段するが、死去するまで御城将棋に上がることはなかった。将棋家当主に匹敵する実力を持ちながら、一度も表舞台に登場することのなかった、不思議の人とされている。

<終>

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