あけ渡す
なんでそうなったのか思い出せないけど、
もう二度と会わないし会いたくない人の
その後を知ってしまった(SNSって…)。
決定的に合わなかったところが
相変わらずというか加速しているというかで、
離れたことによって生き方を見直した結果
こうなったのであれば
どうやってもうまくいかなかったんだなと
何年越しかで答え合わせができてしまった。
今思えば、私にはわかりやすいスキがあって、
それは、自信のなさ、
自分を自分で測れないところだった。
その人がほめてくれることで
自分の才能や持ち味の輪郭がはっきりし、
自分に存在価値があるように思えた。
しかし、無意識だけれど相手には目的がある。
自分に引きつけ理解してくれる人から
良心を奪っていく。
無意識だからこそ自然で、
気づくと、あなたが喜ぶならどうぞどうぞと
私は相手の望むもの、その人が助かるものを、
自分の許容範囲を少し超えて差し出していた。
それは、時間であったり労働であったり
生活スタイルであったり。
相手は、自分がいかにギリギリかを
無言訴え続けることで私に圧力を加える。
断らせないためだ。
体が弱かったりお金がなかったり
どうしても好きなものがあったり。
そして相手の要求はどれも目に見えないもので
ちょっとムリすれば可能な
ギリギリの範囲を求めてくる。
だからこそ断る自分がケチに思えてくる。
私はぼーっとしているので
絶対こうでなくてはというのがあまりなく、
だからこそ差し出せるはずのものを
断った時の言い知れない罪悪感は
ずっとあとを引く。
満面の笑顔で常に脅迫されているよう。
断らなければ差し出し続けるしかない。
ずっと、なんなんだこの感じ、
私が悪いのか?とイライラしていた。
ずっと少しずつ私の大事な何かが
奪われている気がしていた。
しかし、それさえも自分の心が狭いからだと
自分を責めてしまっていた。
いい時はこれ以上の組み合わせはない
と思うくらい話は合うし楽しい。
でも相性は最悪だったと思う。
私のこれまでの人生で
これ以上冷たい別れはないという
最後になった。
もう相手に使える心は使い果たしてしまった。
どこにも愛はないし、関わりたくもない。
今の私を知られたくない。
正直幸せでいて欲しいと思う気持ちもない。
でも、こんな別れ、本当はしちゃいけない。
そこから学んだ教訓といえば、
決意がいらないような
「ほんの少し」こそが最も重要ということ。
それを疎かにした自分の
雑な生き方が生んだ結末だと思っている。
•••
一緒にいた間、
境界性パーソナリティ障害という
名前を何度か聞いた。
その時はよくわからなかったけど
つまりはそういうことだったんだと
後になって気づいた。
それさえも私が鈍かったんだな。
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