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嵐が世界に巻き起こった日

1999年11月3日。
嵐がこの世界に現れたのは、今から23年前。
うら若き少年たちの、大きな物語が始まった。

今年は、私にとって少し特別な年。

まず、FCに入って1年が経った。     どのアーティストでも、ファンクラブに入るなら自分でお金を稼げるようになってから。 特に親からそう言われていたわけでもないのだが、なんとなくそう決めていた。    昨年社会人になり、初めてのボーナスが出ることが確定した私は、嵐のデビュー記念日付近でFC入会手続きに踏み出した。     ファンならFCに入らなければいけない、なんて決まりはないし、私も十分嵐が好きで、それでもなお自分のお金で支払うタイミングをうかがっていただけだ。

それでもやっぱり、FCの全てが新しくて嬉しかった。                初めての会員証。早速、ライブフィルムの特典入手のために使った。持っていると、何だか誇らしかった。            初めての会報。その紙面でしか見られない皆の顔が、なんだかリラックスしているような気がしてほっこりした。         初めてのFC動画。メンバーのバースデー動画、あらじお、丁度昨年のこの時期には皆が集まったりお〜のくんのお手紙や声が聞けたりと、彼らが「そこ」にいる感動を噛み締めた。                  他にもライブフィルムやCDのFC限定版が発売されたり、配信を行うメンバーがいたりと、FCに入ってより濃い日々を送らせていただいている。              もちろん、2年目も更新させていただいた。これからも、嵐と共に...。

そして、実はもう一つ今年が特別な理由がある。恥ずかしながら今朝気づいた...笑   嵐の音楽を聴くようになってから、今年で10年だった。               10年前、私がつるんでたグループの子たちは6人中5人が嵐ファンだった。あまりにも彼女たちが騒ぐものだから、どれどれ、聴いてみるか...ぐらいの気持ちで聴き始めた(軽すぎる)。ひとまず、グループ名と同じ『A・RA・SHI』を聴いてみた。             そんな軽々しく聴き始めた、当時中学生のうえきばちさんの感想。

「(ラストのハモりを聴いて)アイドルも合唱やるんだ...?!」

...合唱バカの合唱部員、なんて単純なことか、嵐を「合唱(も)するお兄さんたち」と認識して好きになったのでした笑      もちろん、それまで嵐の歌を全く聴いたことがないわけではなかったのだが、街中で流れているのを聴いた程度で、自分からきちんと聴いたわけではなかった。        だから、まさか合唱しているなんて知らなかったのでした(※合唱はしません)。     これでもまだ中学生の時は今ほどしっかりファンだったわけではなくて、それでも好きな人たちではあった。           それから10年。2年前にしっかりハマってからはより一層、色んな嵐の歌を聴いて来た。

そんな嵐の歌が、苦しい時こそ支えになっていた。                 不眠症になるほど不安に陥った就活。   癌だった父が余命宣告されたことを聞いた夜。                  そしてこれは、今年の初夏の話。

社会人2年目となった私は、残業だらけの日々を送っていた。どうにも忙しい部署で、毎日2〜3時間の残業は当たり前。おまけに新しく参画したプロジェクトで右も左も分からず、仕事の速度も遅い。         さらに、私は新たに別の夢を追っていた。日々、その研究をしたいと思っても仕事で精一杯。おかげで上達する見込みもなし。     時間の少なさと自分の要領の悪さにイライラする日もあれば、それが物凄く悲しく思えてグズグズと落ち込む日もあった。     そんな日の繰り返しで、やがて生活の中から「嵐」が薄れていった。         メンバーの番組も、歌も、遂にはこうして文を書いたり絵を描いたりすることも...。

なのに、いよいよ限界が来た時に私を救ったのは「嵐」だった。

ある日、遂に残業が最高記録を達成し、終電を逃した。               自暴自棄になった私は作業が終わらないのもあって、朝まで会社に残った。そして、朦朧とした頭で始発の電車に乗り込んだ。                  自分でもスッと全ての感情が消えていくのを感じていた。              家に辿り着いて空っぽの胃に食べ物を入れ、ふらふらとベッドに潜り込んだ。     そして、夕方に起きた。ボーっとしながら、「私、何やってるんだろう」と思った。虚しくて、情けなくて、悲しかった。

私は割と涙もろい。人前では泣けないが、一人の空間だと感動したり嬉しかったりするとよく泣く。               私はやっと気づいた。残業から逃れられなくなってから、全く泣いていなかったことに。人はつらすぎると、こうも泣けないものだったんだ、と。こうして吐き出せないうちにどんどんしんどくなってしまった。なのに、ただただ胸が苦しくて、涙が一滴も出ない。泣けなくなってしまった。

そんな時、ふと嵐の歌が聴きたくなった。5人の声が聴きたかった。シャッフルで嵐の歌を流した。

...そこで流れ出したのは、『Love so sweet』だった。                5人が活動休止前最後に届けてくれた、優しくて、切なくて、でも「明けない夜はないよ」と背中を押してくれた、大切な歌。

5人の強くて優しい歌声を聴いているうちに、あんなに泣けなかったのにみるみるうちに涙が溢れ出した。溢れて溢れて止まらなかった。

私、忙しさに負けて「嵐」を追いかけられなくなっていたのに。           あんなに糧にすると誓って、いつの間にか「嵐」を感じない日常を送ってしまっていたのに。                 それでも、「嵐」は私を助けてくれるんだね。                  なんて優しいんだろうね。優しすぎるよ。嵐。

明けない夜はないよ。

大切なことはいつも、嵐が教えてくれた。 たとえ道に迷っても、5人の言葉を信じれば大丈夫。                泣いて泣いて、やっと少しすっきりした私は、なんとなく、自然とそう思えた。   そして再び誓った。           これからもなかなか時間をかけることはできないかもしれないけれど。それでももう、忘れないようにしよう。        「嵐」が、いつもそばにいることを。

それから半年弱。私はなんとか残業だらけの日々から脱出した。                  身体的にも精神的にも残業がきついこと、このままでは作業の整理ができずパフォーマンスも低下することを全て上司やカウンセラーの先生に打ち明けた。すぐには改善しなかったけれど、少しずつ状況は良くなり、今では定時で帰ることができている。      相変わらず追いかけている夢があるので日々慌ただしくしてはいるけれど、仕事が定時で終わる分、その後の時間を充てることができる。

ここまで来ることができたのはやっぱりあの時、嵐の歌を聴いて立ち止まって、自分の状況に気づいて、今後の行動について色々と考えることができたからだと思う。それまでも嵐には沢山助けられていたけれど、ここまで救ってくれたことには勝手ながら恩義がある。

大野智さん。

櫻井翔さん。

相葉雅紀さん。

二宮和也さん。

松本潤さん。

あなたたちのおかげで、私は今日も笑って泣いて過ごせています。          長くなったけれど、私が感謝するのは記念日の今日だけじゃない。今までも、これからも、救われた分全部。

いつも、幸せをありがとう。       本当に、ありがとう。

だから、あなたたちも幸せでいてください。 それが、私の幸せです。         嵐が巻き起こった世界の片隅から、ずっとずっと祈っています。

そして、もちろんお祝いの言葉も。

嵐、デビュー記念日。おめでとう。  「嵐」という物語の良き旅路を、心から願って。

尊敬し、大好きな嵐へ。

どこかのしがないファンより。