2024.10.8
一度、ブログを書こうとしてタブを閉じた。書けないのではと思った。でも戻ってきた。今日の日記ということなら書けるかもしれないと思った。まあ、別に特別な日ではない。
火曜日。体がいつも通り疲れ切っている。今日は整体かなと思ったら、予約日は明後日だった。そんな火曜日。
朝、母に起こされる。というかなんか声をかけられたような気がするが、あたりまえに二度寝、三度寝をした。しんどくて起きられなかった。なお深夜0時から6時の間に1時間おきに起きている。
電話がかかってきた。9時台だったと思う。これから業者が来るとのことで、急いで起きて、サンドイッチを食べた。卵がいっぱい入っていて、こぼれた。卵おいしい。朝食を食べて、自室に物を移動させて、自室に篭った。業者がいる間に勉強のための本を読もうと思ったが、疲労感に抗えず寝た。気づいたら12時だった。なんで?
病院に行く用意をし、病院に行った。主治医とぼやぼや喋って、死にたい気持ちになっちゃうんです、ロープ買っちゃったんですと言うと、困ったねえ、はっはっは〜とベテランすぎて受け答えに余裕しかない。受験勉強ができてないという話もした。まあ、焦らずにあるがままでいたら道が開けてくるよと言われた。美大に受かりたい気持ちはもちろんあるが、必ずしも今年である必要はないのかなと思えるようになってきた。ちょっと今は調子が悪い。ああ、もうすぐ11月。去年、11月の頭にこの入院した。色々思い出す。この1年とても頑張った気もするし、去年お琴を思い出して辛い気持ちにもなる。
受信後作業療法を受けた。と言っても、患者さんと作業療法士とおしゃべりしただけだが。ラジオというメディアの布教に成功しました☆
私は伊集院光さんが好き。ラジオとの出会いは即ち伊集院光さんとの出会いだった。伊集院さんが好きだから100分de名著を見るようになって、それで『善の研究』を知った。『善の研究』を卒論の研究対象にし、今はその読書会を開いている。
帰りがけ、知り合いの患者さんが泣いていた。泣いているところを見るのは珍しい人だった。幻聴?に対して怒ったり戦う姿勢の人で、芯があって、自分の世界もしっかり持っていて、聡明な人。その人と色々話して、気づいたら一緒に歌っていた。自分の悩みを話したりした訳ではないのに、そんな触れ合いに私の方が癒されていたように思う。病院から出る時、いつもより息がしやすくてびっくりしたのだった。
薬局が遠いのでいつも後日お薬を取りに行っている。でも、今回は眠剤を足してもらったので帰りがけに直接薬局に行くことにした。待ち時間1時間半と言われた。ひま!!!!今月は展示を見に行く約束をいくつかしているのだが、一緒に行く方の一人にふりふりの可愛らしいお洋服を着る人がいる。個展にも来てもらったし、差し入れも頂いたし、なによりいっしょにお出かけするのが嬉しくて、プレゼントを買うことにした。小さな雑貨屋さんがある。色々な作家さんの作品を販売しているところで、便箋やカレンダー、絵本、ブローチ、イヤリング、オーナメント、、、かわいい。かわいくて、ゆるっとしてて、あったかい。ちいさな可愛いが詰まったお店である。プレゼントと読書会用の便箋を買った。
それでも1時間以上時間があったため、喫茶店に行った。私と赤ん坊連れのご夫婦のみしかお店にはいなかった。赤ちゃんが、ちょい大きめな声で「あうー!」「ったー!」とか言うたびに、お父さんが「静かにね」と赤ちゃんをあやす。子育てしづらい世の中なんだなあと実感。赤ちゃんの声なんて全部ヒーリングミュージックなんですが??????ついに赤ちゃんが泣きそうな感じになる。あわてて移動しようとするご夫婦。見かねて、私気にならないんで、お構いなく!と声をかけた。幼児教育の有名な先生の授業を学生時代に何コマか取っていた。先生は「子どもにとって優しい社会にするためにはどうするべきか考える必要がある」というようなことを言っていた気がする。幼児教育の授業また受けたいなあ。就活の時期に、実を言うと、卒業後通信制の大学で幼稚園教諭の資格を取ろうかと考えたくらいだった。その先生の授業やそのほかの幼児教育の授業がおもしろすぎた。哲学とアートの融合の世界がそこにはあった。そして、授業を受けた限りだと、幼児教育をする保育者たちは私の目に修行僧として映った。子どもの心を感じ、考え、知り、学ぶその姿は、一生を通して魂を研磨する人たちに思えた。素敵で豊かで近くて深遠な世界。
お薬が用意できる時間までゆっくり喫茶店で過ごそうと思ったら、もうすぐ閉店とのことで店を後にした。それでも40分ほど時間があったので、カフェで紅茶を飲むことにした。カフェに入るなり、「お仕事終わりですか?」と聞かれた。ああ、嫌だなと思った。違いますと答えると、「観光ですか?」と聞かれた。違いますと答えた。会話が終わった。悲しいね。精神疾患なので正社員で働いてなくて、今日は病院の帰りなんですとでも言えばよかったんだろうか。そんな訳はない。そんな回答は許されない。そんなことを考えながら、どんどん鬱々としていく。ああ、私ってこんなところに居てはいけないんだ。働いてるのが普通なんだ。私はそうは思わなくても社会ってそうなんだ。ごめんなさい。サービスと言って店の看板商品を小さくしたものを一緒に出してくれた。それも余計に悲しかった。気まずい質問をしたから出てきたのかなとか、実際はどうなのか分からないけど、完全に鬱モードなので、もうどんどん悲しくなってしまった。そしてそれには手をつけられなかった。それを食べたらなんだかどうにかなってしまいそうだった。悲しくて、店を早々と出た。悲しくて仕方がなかった。調子が悪いみたい。
帰宅。母の夕飯を食べた。異常な美味しさ。今日はお好み焼きでした。美味しかった。母は料理上手である。
ご飯を食べ終わり、また鬱々としてきて、友人と電話をした。今ひま?と聞いたらYesと帰ってきた。最高の友人である。とりあえず、私は受験に落ちたら、愛知県中の美術館巡りをしようと通話の中で決めました。合否発表日に落ちたら、「愛知の美術館行こう!」ってLINEする約束をした。
楽しい電話も終わり、また鬱々として、ブログを書いてみた。今書き終わったところだが、めんどうなので読み返しはしないことにする。