人生初個展を終えて
夢だった初個展。何ヶ月もかけて気合を入れ、追い詰められながら準備してきた初個展。真夏の数日の夢のように気づいたら過ぎ去っていった。
でも、夢じゃない。私の個展は実際にあった。ということで、個展の振り返りをして行きたいと思う。
まずは、個展の情報から
展示会名:ぴゅあぴゅあえくすぺりえんす〜知覚以上言葉未満展〜
会期:2024.7.26〜28
場所:原宿デザインフェスタギャラリーEAST303
コンセプト:言葉で説明するとこぼれ落ちてしまうような切実な感情の風景を抽象がに表現しました。
ぴゅあえくすぺりえんすとは何か
ぴゅあえくすぺりえんすは、実は、日本の哲学者である西田幾多郎の『善の研究』の純粋経験(pure experience)から拝借しました。
それを、原宿っぽくポップに可愛くして、「ぴゅあぴゅあえくすぺりえんす」。
詳しくは、spotifyのポッドキャストでお話ししてますので、こちらも聴いてみてください。
展示の反省
ーオーディオガイダンスの存在をアピールできなかった+ビラを渡し損ねた。
ーまずは会場の空間や絵をそのまま体験して欲しいという思いもあり、どのくらいの塩梅で話しかけるのが良いのか分からず、お客様との駆け引きが難しかった。
ーご来場がある度に「こんにちは」と声出しができたのは良かった◎
ー3作品持っていくの忘れた泣
ー空間を「原宿かわいい」ものとして作り込みすぎたせいで、男性のお客様が入りにくい空間になってしまった。
ー「傷シリーズ」のタイトルを本当に傷シリーズにして良かったのか。所謂「傷」という現象を表現したものと、「痛い」という感情や感覚そのものを抽象画にした作品類とあり、それを一緒のタイトルにして良かったのか。
ー受付がごちゃごちゃしてしまった。
ー椅子に座って受付をして、背後に「ふわふわ無気力」と「変化」という自分にとって意味ある作品を背負うつもりだった。実際は受付の椅子にあまり座ることはなく、展示の意図が実現されなかった。
ー予想よりも備品にテーブルが小さく、イヤリングを飾る点数が絞られてしまった。
感想
ーとにかく人との「縁」を感じた。ふらっとご来場された方と話が弾んだり、何年も会えていない友人が来場してくれたり、Twitterやブルースカイの繋がりの方々、抽象画の先輩方、「おはようとおやすみを言う公式アカウント」繋がりの方、先日インタビューを担当してくださった方、個展を手伝ってくれた友人、会期が同じだった作家さん達との出会い、ギャラリーの方とのご縁等等…。これまでの縁と、新しい縁の両方ともが「ご来場頂く」事を通して「可視化された」。これまでの縁にとても恵まれていた事、そして新しいご縁との広がりも感じられて、心がホカホカになりました。有り難い限りです。ご来場くださった皆様、助けてくださった方々ありがとうございました!
ー空間までが自分の世界だ!と意気込んで空間ごとプロデュースすることにこだわったので、その意図が伝わった手応えがあり、嬉しかった。
ー知り合いから初めましての方まで、お話しするのが楽しかった。自分自身の人当たりが良くなった気がする。
ー会場(原宿)に合わせながら、自己紹介という意味で初個展を開催するという意図だったが、自分の予想とは裏腹に、「傷シリーズ」が人気だった。自分の中のエグみに焦点を当てた展示をしてみても良いのかもしれない。そして、「傷シリーズ」が受け入れられた事が嬉しかった。痛々しい絵だって発表して良いんだとホッとした。先日無名人インタビューを受けた時に、社会への怒りを抱えて居るというような話をした。その時に、うまく言語化できなかったが、怒りや悲しみ苦しみを表現してはいけないという様な社会全体の雰囲気に対して私は憤りを感じていた。だから、「傷シリーズ」が受け入れられたのは、社会に認められた様な、そういう嬉しさがあった。
ー作品を展示するという行為がずいぶん久しく、そして本格的に挑戦したのは初めてのことだった。個人的なものから、初めて「作品」としてある種成立した様な感覚。平面が立体になった様な、存在として成立したような、そういう次元が一つ変わる様な感覚になった。喜びでいっぱいになった。飾ることの大切さ、発表することの大切さに気づいた。
個展をプロデュースするということについての感想・気づき
ー「作り込もう」と思ったら、まずは「見つける」ことが必要になってくる。そのためには「疑念」が必要なのかもしれない。元々は、額縁屋さんと話をつけていて、数千円の木製の額縁に全て入れて展示して終わりの予定だった。しかし、作家活動の経験もある方に個展をすると相談したところ「額縁までがあなたの世界よ」と言われて驚く。額縁も工夫を凝らしたり、オリジナルで、絵の効果を高めるような額縁を作る必要がある、と。そこで、額縁までが私の世界なんだったら、空間ごと自分の世界にしようと思い始め、「展示」への思いが変わっていった。
展示方法を考えていた時にふと自室の中のカーテンが目に入り、カーテンのひだの中に作品を入れてみたらどうだろうか考え、やってみたところ面白く、カーテンで巨大な川のインスタレーションを作ることになった。絵の展示であっても平面的な展示にこだわる必要がないというのは、一つの気づきだった。
ギャラリーの壁は白だけども、空間ごと作るなら、白じゃないほうが世界を作り込む事ができるのではないかと、疑問が生まれた。そこで、ミラーボールとシルバーの壁飾りを使って装飾することにしてみた。
キャプションは、シンプルに発泡スチロールを使って文字は印刷し、従来のキャプションボードを作ろうと思っていた。しかし、ネット上でキャプションボードに筆で文字を書いて居るのを見て、キャプションも作り込めるのでは?と思い、手で紙粘土を捏ねて、キャプションボードを作った。
作り込むためには、展示方法の「当たり前」の中から、さらにオリジナリティを出せる余白を見つけることが必要になるのだと学んだ。私の今回の展示の場合は、人からの助言や、たまたま目に入ったものから着想を得る事ができたが、もっと自発的に色々なものを疑いながら展示の中に自分の色を出せる隙間を見つけていく必要が今後展示をプロデュースする場合はあると思う。
ー何を何処にどのような意図で展示したのか、展示会場内のセクションの意図などは必ずしも説明したり、理解されなくてはいけないものではないという事が大きな気づきだった。だからと言って、無造作に作品を置いて良いという訳ではない。展示の意図が汲み取られることはマストではないが、作り込むことによって一つの空間が成立するのではないかと感じた。
ー私は基本的に、制作にかける時間が短い。テーマも移ろいやすく、展示を見にきてくれた友人に、時間をかけて作品を作り込む必要がある、テーマを掘り下げていく必要があると助言をもらった。スタイルがなく、興味が移ろいやすく、作品を作り込んでいないところは自分でも弱点だと思っていたので、痛いところを突かれた感じがした。それを踏まえて、今後の制作をどうしていくのかというアイディアはまだまとまっていないが、とりあえず描き続けようと思う。
ただクレヨンを使い続ける事にはこだわりたい。クレヨンは子どもの画材だから。子どもの時、クレヨンでスーっと腕を伸ばして描いていた時のあの身体感覚。大人の自分としてクレヨンに再会した時の、身体感覚の新鮮さ。私が、「嗚呼、」と言ったら、「うん。」と応えてくれる。自分の体の延長みたいに素直に優しく、一緒に描いてくれる。ただ、クレヨンを何に乗せるのか、もしくはクレヨンと一緒に他のメディアを使うべきか、サイズはどうするのか、そう言ったことは考えてみても良いのかもしれない。
で、基本的に制作時間が短く、作り込むということをしていないという話に戻る。ふと今回の展示は準備に数ヶ月を要し、細部まで作り込むことを考えて挑んだ。原宿のオーディエンスを意識して居るという点で少し恣意的ではあるが、展示室の空間自体がある種一つの作品になったのではないかという気がした。
最後に
ご来場頂いた皆様、協力してくださった友人の皆様、作家の皆様、ギャラリースタッフの皆様、この度はありがとうございました!