美大受験合否発表前夜の記録
合否発表前夜。
今の気持ちを書き出してみようと思う。喜怒哀楽で言うと、怒り以外の全ての感情かもしれない。やっと、受験期が終わる、決着がつくと云う喜び。人生の分かれ道だあ、早く合否結果とう云う名の審判を下してくれえ、という恐怖や嘆き、心細い気持ち。どうしようという不安。合否結果が私という人間にもたらすインパクトもどのくらいか推定ができないため、より怯えている(なお大学受験は一度経験しているが、ここに受かりたい!気持ちよりもここに私は入学するのだという当てにならない確信を持っていたので現役時代の受験は心的にはそこまで苦労しなかった。)。ここまで精神的に追い詰められつつ、結果を楽しみにしている自分もいる。自信はないんだけどね。言い聞かせる様に落ちた、落ちたと思っている自分がいるのでは、いや、でもやっぱり落ちたと云う手応えがあるからそう思っているだけで…ともはや何と戦っているのか、全く無意味な疑心暗鬼状態。えーん。これに尽きる。
えん、というと縁という言葉もあるよねえ。私は、人にはどう転んでもそれが良かった結果なのだよと伝えたりしている。人間、間違えるもので、実生活の生きる内容として間違えた!というのは自然なものだと思う。一方で、自分がやったこと以外はどうしたって成し得ないのだとおも思う。ミクロな視点で、生活者として「これを間違えてしまった!」という実感は当然のものだし、次からは気をつけようと思うのが手本だろうと思う。でも、人生を振り返るとだいたい、凡ミスも含めてその人生しか生きられなかった自分がいると思う(全てとは言わない)。つまり、実行されたことしか可能ではなかったのではないかという立場というか。かなり楽観的だけれど、なるようにしかならない。合格したり、落ちたりしたら、それは今回の縁の結果なのではないか。辛い結果に終わることもあるし、正直辛酸なめてきたけど、最善だったのではないか、と過去の自分を慰めながら生きてる。そしてこれを書きながら、なんだか落ち着いてきた自分がいる。広く、心よりも広く、どこまでも広く、私たちはやはり「意識」の外に出ることができない。「有る」に満ち溢れている。意識はどこまでも超越的なのだと。