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わたしとキルト(番外編②)。

音楽イベントのアートデコレーションの1番最初は (アイソレーションタンク)というイベントだった。

前記のレインボーショウよりも何年か前のことで、ファッション業界の知り合いからの声かけだった。場所はクラブチッタ川崎 。ググッたが アンダーグラウンドなイベントだったせいか もはや記録はない。テクノイベントの日本での先駆けだったことはまちがいない。

1990年初頭は、フライヤーと言われる紙切れ1枚の告知でイベントの主催も ファッションメーカーだったり 限りなくプライベートでアンダーグラウンドなものだった。SNSもない時代の話しである。

電子音楽はドイツから、ハウスミュージックはアメリカ、シカゴから テクノはアメリカのデトロイト発祥であるから、海外に出た日本人がパイオニア的に文化を持ち帰ったのだろう。テクノで1番最初に世界に認められたケンイシイはドイツに行ってた時成功したと思う。日本人として最初のテクノパイオニアはケンイシイかもしれない。坂本龍一がYMOつくる前のことである。

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会場のエントランスホールを異空間に。明るい時は タイダイ染めの布やわたしのキルトがメインに。

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照明を落として、オプチカルなライティングで異空間。右手にキルト。

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オイルライティングと 左手にキルト。

(アイソレーションタンク)とはうまいネーミング。メインホールで どんな音楽をやってたか?テクノはテクノだけど、なんせわたしとパートナーは エントランスホールで、オプチカルやオイルライティングをやってたから よくおぼえてない(笑)このライティングはパートナーのアイディアで もちろん手動(笑)即興で音楽に合わせてやるので楽しかった。手作りpsychedelicである。

クラブといっても小さなところでテクノはダンスミュージックとしてあったものの、クラブチッタ川崎規模の大きな箱でのテクノイベントは当時の先駆けだったと思う。

やはりテクノミュージックはファッション業界の人がいち早く受け入れていた。そしてタイダイファッションも1990年代 日本でファッションとして受け入れられたのもこの頃からである。60年代からのヒッピーファッションが東京発信で 広がった。音楽イベントやフェスに着る ファッションとして浸透した。

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川崎といえばハロウィン🎃パレードが有名。今年は無理かな?HAPPY HALLOWEEN❗

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