夜だっていいんじゃない
noteにアカウントを作ったものの、ログイン出来ず3か月が経った。この3か月の間に残しておきたい記憶もいくつかあっただろうし、残さなくて良かったであろう記憶もあるはずだ。別に全てを残しておく必要もないと考えながら更けていく夜を味わうのも悪くなかった。
でも、この3か月の中で感じた匂い、音、光、どよめき、苦み、甘さは気づいたら手でつかめそうでつかめなさそうな距離にいる。もう自分の一部に溶け込んでいて見えやしない。
その中で浮かび上がるのは、「どうにかなりそうでどうにかならなそうな日々」かもしれない。このところ将来のことを考えながら学習しているのだが、実際不安に駆られることも多く、そのことが時に自分を遠くへ突き放されてしまうような感覚に襲われるのだ。
この感覚は妙なもので、「ああ、なぜここで息をしているのだろう」と思わずにはいられなくなってしまう。本来、このようなことは考えれば考えるだけ自分という軸が揺らぐのに、自然と、気付くとこのようなことを考えている。
ある人はもしかしたら、このことを「考える時間があって幸せだよ」と声をかけるかもしれないし、あるいは「不安な時ってあるよね」と寄り添うような声をかけてくれるかもしれない。
どちらにせよ、自分の中から湧き上がってきた無音の声なのだから、すぐには相手にかけてもらった言葉を素直に受け入れることができないかもしれない。
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なんだか、書いているうちにほわっと心の中が満たされていく。ああ、きっとこのことを書きたくてたまらなかったんだなと思う。
誰かに対して言葉にしたら壊れてしまいそうなもの、崩れてしまいそうなものをここに置く。そんなことが必要だったのかもしれない。
ふらり、ふらりと降ってきた言葉を置く場所を人は求めているのかもしれない。