若い時に怪我して学べ
経営者を目指す直近7つの要因
・TOKYO2020がなくなったこと
・オーストラリアへ行くことを断念せざる得なかったこと
・宇宙ベンチャーで総務業をすると決めたこと
・会社は想像の10倍ベンチャーであったこと
・業務の進め方、自分の立ち位置にたくさん悩んだこと
・社長車事故を起こしてしまったこと
・自分の"幸せ"と向き合ったこと
宇宙ベンチャーで総務業をすると決めたこと
遡ること2016年4月の車椅子就活生時代。旅行業に就職先は絞っていたこともあり、内定はいくつか確保していた。その中で前職であるHISに決断した理由は私の大好きな地球のさらにその先にある「宇宙旅行」を目指す会社だったからだ。内定式後2016年10月後半に宇宙輸送事業に向けた資本提携をANAと共同で愛知県にあるベンチャー企業「PDエアロスペース株式会社」(以降PDAS)へ出資を決めたニュースをみて、いつか宇宙旅行に携わってみたいと考えるようになった。
その時みたwebページがこちら。
HIS宇宙研究会との出会い
入社後、宇宙旅行をメインに企画販売する部署はまだ存在しないことを知った。私は店舗営業として渋谷本店、国内専門店に配属された。海外旅行経験を生かしたいし、もっと海外のことを学びたいと思っていので少しだけショックはあった。しかし学生時代に沖縄本島にあるホテルで半年間のインターン経験と、訪日外国人向けwebメディアMATCHAでの経験が生かされ、国内旅行ののプロになりとも思っていたので、結果オーライだった。
旅行会社勤務1年経過後、宇宙研究会なるものが立ち上がりメンバー募集している会社ニュースをみた。これは!と思い参加したのがきっかけで、新しいビジネス・新しい価値を生み出したいという人や、宇宙に憧れを持つ人、宇宙旅行を実現させたいと考える人、乗り物マニアなど、個性が集まる研究会に所属することを決めた。有志活動であるため、チームごとに就業時間外で時間を作り、テーマごとに調査を重ね月に1度全体で共有した。宇宙イベントに参加したり、関連会社と合同合宿の機会もあった。
この部署でもなく当時会社から認められているのかどうかも怪しい、交通費も実費負担な研究会だったが、やる気と想いのある人達と出会えたことが私を宇宙へと誘う道筋になった。
とりあえず1年働かせてください!
オリンピックでの活動を全力で行うこと、脳が老いる前に語学学習をしたいと思い2020年4月HISの退職を決めた。しかし職場の人手不足と、宇宙への関わりを持ち続けるために、オリンピック有給ボランティアをしながら9月までパートタイムとして出勤回数を減らし継続することにした。ここでコロナショックにより、オリンピック、海外渡航、旅行業界に激震が走り、何もできない状態となった。
そんな時に便宜を図ってくれたのが宇宙研究会のリーダーである。ちょうどPDASのバックオフィス全てを行う「総務」メンバーが1年間産休&育休取得するとのことで、その後任者に推薦してくれた。社長からのオファーも受け、今の自分の状況とこれまでのストーリーから行かない理由はなかったのでとりあえず1年間働くことを決めた。
28歳のあゆから23歳のあゆへ
代々木公園で走って転んで左足腓骨骨折、1ヶ月後に松葉杖で転んで右足捻挫で車椅子生活になっちゃったね。就職活動中になにしてんの〜だよね!でもそのおかげで他の就活生よりも間違いなく目立つことができたし、ストッキングもヒール靴もなしが許されたね。今まで健康体しかしらない私が日常的に車椅子を使う人の気持ちと、その周りの環境を知る、そしてサポートしてくれた人への感謝の気持ちを実感することができたね。だから、怪我して目立って気づいて学べてよかったねって言ってあげたい!