”好き”という感情は難しいと思う
好きなものって
自分の好きなもの、それを好きな理由ってなんだろう
って考えることがよくあります。
自分が、自分自身を〇〇好きだと思っているものって、人から〇〇好きであると捉えられるレベルではないんじゃないか。と思うときがあります。
こういう考え方を持つかどうかも、人によって違うと思います。
けれども、自分がやりたいと思ったことを発信しようとする時、人に協力を求める時、人に理解してもらいたい時、自分の好きに自信が持てないのです。
何をもって”好き”というのか
人によって”好き”の尺度は違うとは思います。
自分と、友人Aがいるとします。
友人Aのほうが音楽に対する思いが強いとすると、第三者からみて、自分の”好き”は”好き”だと感じられるのでしょうか。
”好き”で何かを生み出す力
いままで、自分から何かを作り出せた実感はありません。
自分の作り出したものに自信を持ったことがない、そこでいつも止めてしまう。人と同じ”好き”まで作り込めない。ここが自分の短所だと思ってます。本当にここを治すのは自分にとって辛いです。
この程度で”好き”が冷めてしまうなら、自分のこの感情は”好き”ではないんじゃないか。また、最初の問題に戻ってしまうわけです。
好きだから続けられる。もしそうなら、続けられない自分の”好き”は”好き”じゃないと思います。
なんとなく好き
なんとなく好き、でもいいと思いませんか。
ただ、自分の空間よりも外に出た途端、人に話すときでさえも、”なんとなく好き”という感情は他人からは魅力的でなくなるんじゃないか、と思います。
さいごに
自分の好きを原動力に何かを作ろうとする時、どうしても他人の好きと比較する・される場面に出会います。すると、自分の好きに関して疑問的になってしまいます。
自分の”好き”という感情に関して、疑問に思ってしまう。そもそも、これがよくないことなのかもしれません。それでも、どうしていいのかわからない、というのが正直なところです。
好きなものってどんなものなんでしょうか。
自分の”好き”に自信を持つってどうやったらできるんでしょうか。
皆さんはどう思いますか?
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