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FXと出会うまで(前編)

何の変哲もない日常に突如おとずれた異変

私は、現在岐阜の片田舎に住んでいますが、元はというと、観光地でも有名な某城下町のとある商店街で、父の代から続く花屋を営んでいました。そう、跡取り息子でした。

大学を出て就職はしたものの、家庭の事情などが同時期に重なり帰郷、それ以来17年、父のもとで家業に邁進してきました。

当初は、不景気ながらもそれなりに手広く商売を行っており、店売り、お教室の稽古花、地元の葬儀社から請け負う仕事、の3本柱で日々忙しく、まともな休日は年に数日あるかないか、という激務でした。

とはいえ、自分を育ててくれた両親への恩返しの気持ちや、贔屓にしてくださったお客様、仕事に打ち込む中で得られたやりがいに支えられ、お花と向き合ってこれました。

しかし、そんな日々に転機が訪れます。それは、新幹線の開業という、一見無関係に思える出来事がきっかけでした。

突如として観光客が激増、出店している商店街が、毎週末には年末のような大混雑となったのです。
その結果、待っていたのは…

そう、地元客の敬遠。この時代、街中であれば近所に空調の効いた、近代的なスーパーマーケットが必ずある中、激しく込み合うようになった昔ながらの商店街から客足が遠のくのは自明の理でした。

程なく、家業は窮地に陥りました。商売している中で受けていた融資の返済が、売り上げの激減で厳しくなってきたのです。雑貨やハーブ等、花屋と親和性がありそうなものに活路を求め、店頭に並べたり、得意先開拓等を試みましたが、結果は芳しくない…困った末に両親が切り出したのが…

「花屋は続ける。が、実家の店舗だけにしよう。この商店街の店は、客層が変わったので、観光客向けの飲食店に業態転換だ。その為の融資を政策金融公庫から受ける。一か八かの賭けだが、やってみよう!」というものでした。父の構想は続きます。外部から居酒屋のマスターを招き、教わりながら商品を提供、ゆくゆくは自分で全てできるようにしろ。俺も数年は体が動くから手伝う。そして、花の仕事(ここでは主に葬儀の生花祭壇の業務を指す)が入ったら、着替えて作業場に行って花を挿せばいい…

両親の目は輝いていましたが、自分には途方もないことに聞こえました。勝算不明の未経験の業務に、借金をして手を出す、しかも花屋と二足の草鞋とは…

絶望した私は、なんとかそれを回避できないかと調べ、行きついたのがネットビジネス(いわゆる情報商材のたぐい)でした。
その一つがFXだったのです。

しかし、初心者が、なけなしの金をはたいて一発で稼げるようになるほど相場の世界は甘くはなく、もろもろの教材費と合わせ、200万円ほどの貯金があっという間になくなってしまいました。

こうして、私のFXデビューは、散々なものとなりました。
続きは次回。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました(^_^;)


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