ありたい理想像について
喫茶店に行った時
私は右利きなのにコップの持ち手逆で出てきて
何も考えず持ちやすいようになおす事が多々あったんだけど
(ちょっと不満にも思いつつ笑)
その理由を知った時に
不満に思った私
捻くれてんなと思ったのと同時に
知った今は、その心遣いにあたたかい気持ちになる (砂糖やミルクを出されてる時限定、混ぜやすいように、思い返してみるとそれが無い時は普通だった)
自分が知らない世界を見た時
見える分部だけをもとに経験則だけで
決めつけで考える
安易に過小評価してまいがちだけど
見えない部分を想像して補える
想像力や謙虚さを大事にしていきたい
また、それと同時に
分かってきた時だからこそ生まれる
"なぜ?" "なんで?"っていう疑問を
今さらって焦らずに向き合う人でありたい
日常に溶け込んでいる誰かの気遣いや心遣いを
気づかないで流す
無下にしない人でありたいケドモ
こういう感覚ってどう研ぎ澄まされていくんですかねトカトカ考えますね
人は自分の物差し(経験してきた事)でしか
物事をはかれないって言われるケドモ
結局
経験した所で、甘きに流されて流れていけば
イミナイシと思ってる
自分が分からないことに関して
"いいや" "なんなの?"
諦めというより、怒りが混じってしまっている人がたまにいるのですが。
私が今できる想像は
その人の
自己肯定感の低さ
負けず嫌い
理想と現実でのギャプ
トカトカだと思ってるんだけど
結局はそのよくの分からないプライドを捨てるしか
方法はないのかなと思っていて。
それを他者が自分の経験則から
彼女彼らに語った所で無意味に等しくて
結局は自分から考えて行動していくしかなくて
それを信じて見守るどっしりとした人でありたいなと思う今日このごろなのですね。